5-2 *

 存在しないはずの家の中へ入ると、室内はとても薄暗く、周辺のビルや街路灯のおかげで、辛うじてどこに何があるか分かる程度の明るさだった。

「……さっきまで、何もなかったのに」

 広い玄関に、まっすぐ伸びる廊下。その右手に開いたままの引き戸があり、廊下の先には二階に上がる階段が見える。

 本当によくあるような、二階建ての一軒家。しかし、壁という壁、床やガラスも黒一色で塗りつぶされていて、普通の家ではないのがよく分かる。

 以前襲われた夢魔の時は、夢の中だったけれど、今は正真正銘の現実で、眠ってなどはいない。なのに実際に触れてしまえる幻を生み出すなんて。

「ま、それだけ手強い相手ってことだよ」

 そういう菖の表情は、どこか楽しそうに見える。

 強くなりたい菖にとって、強い相手との戦いはいい修行になると同時に、ワクワクすることなのかもしれない。

「よし、本体を探すぞ」

「うん……」

 菖に続き、四葉も玄関から靴を脱がずに上がって、廊下を進む。

 開いたままだった引き戸の先は、リビングになっているようだった。中に入ってみると、ごく普通の家庭にあるような、テーブルやテレビなどの家具が並んでいる。しかしそれら全て、本棚に入る本や、ソファに置かれた犬や猫のぬいぐるみに至るまでの全てが墨色に染まっていた。

 リビングの奥は、ダイニングとキッチンになっている。

「そういえば、なんで一家心中になっちゃったんだっけ?」

「確か親子三人で暮らしてて、母親が旦那の浮気を疑ってどうの、だったかな」

「そっか……」

 大きくて広いキッチンを見ながら、四葉は亡くなったという女性のことを考えた。

 綺麗な家で、家族三人で幸せに暮らすのを夢見ていたはずの女性。最愛の人に裏切られ、子どもも道連れにして自ら命を絶った彼女は、どんな気持ちだったのだろう。

「なんで、ここに留まってるんだろう?」

「まぁ、亡くなり方があれじゃあ、だいぶ病んでたんじゃねぇかな」

「……確か、寝室で家族三人、川の字に並んで死んでたんだっけ」

 四葉は昼休みに陽葵から聞いた、この家で起きた出来事を思い出す。

 浮気した夫を衝動的に殺したうえでの心中であれば、もう少しあちこちで死体が見つかるはず。それが、リビングで夫を殺した後、布団を敷いた二階の寝室に運んで寝かせたらしい。

 そして子どもも同様に、子ども部屋で殺害した後、夫婦の寝室の、二人の布団の間に寝かせ、自らは布団の中で自害したという。

「なんでそんなことしたのかな……」

「この家で、家族揃って暮らすことに、執着してたのかもな」

 だからまだ、死んでいない。

 幸せな三人家族のまま、自分達は眠っているだけ。

 そんな夢を未だ見ているのかもしれない。

 二人でそんな話をしていると、不意にギシッギシッと階段を踏みしめて降りてくる音がした。

「……来る」

 咄嗟に菖が四葉を背中に庇い、リビングの出入り口に木刀を向ける。

 足音は階段から廊下を歩く音に変わり、そしてゆらゆらと、白っぽく光る人影が引き戸の向こうから現れた。

 開いたままの出入り口から、ぬぅっと入ってきたのは、普通の人間の数倍もある女性の頭。

「……デッカ」

 そして出入り口が狭いのか、2メートル以上はありそうな身体を、頭を屈め、腰を屈め、小さくしながら入ってくる。

《あラ、たークんの、オとモダチ?》

 ザラついた機械音声のような声が、酷い音程で上がり下がりしながら聞こえた。

「友達……?」

《たークん、イツもヒトリきりダカら、ウレしいワ》

 酷くアンバランスな頭と身体に、雑音の混じるような声が耳障りで頭に響く。

 しかし、菖は木刀の先端を化け物に向けたまま、淡々とした声で答えた。

「俺はそいつの友達じゃない。お前を狩りにきた人間だ」

《……オトもダチに、ナりマしょウ?》

 そう言うと、化け物がゆっくりと右腕を振り上げる。細くて女性らしい形をしていたはずのそれは、振り上げられると同時にボコボコと膨れ上がり、何倍にも大きく長くなった。

「げっ……!」

 そしてその手に握っているのは、ギラリと光る赤黒いものがこびりついた包丁。

《おトモだチ! オともダチ!》

 巨大化した右手が二人に向かって振り下ろされ、菖は四葉を抱えて横に飛んだ。

 ガシャン! と大きな音を立て、リビングにあったソファやテーブルが壊れ、床に大きな穴が開く。

「なにあれ!」

「ち、厄介だな」

 化け物がゆっくりと右手を上げながらくるりと、二人のほうを見た。

《オとモダち……おトモだチ……》

 相変わらず雑音の混じる機械音声のような声が呟いている。

「四葉、お前は隠れながら隙をみて、玄関の方へいけ」

「わ、わかった!」

 戦えるわけではない自分がいては、菖の足手纏いにしかならない。玄関から出ればケガをしないというので、それなら玄関付近にいた方が安全だろう。

「誰がオトモダチになんかなるかよ!」

 今度は向こうが仕掛けてくる前に、菖の方から飛び掛かっていった。向こうは両腕とも巨大化させ、菖の打ち込む木刀に応戦する。

 ダイニングにあったテーブルや棚も薙ぎ倒し、室内は酷い惨状になってきた。

 四葉も言われた通りに玄関に向かいたいのだが、二人が室内を縦横無尽に駆け回るせいで、なかなか出入り口へ辿り着けない。

 ──ど、どうしよう。

 菖の方は化け物に的確に破魔の力を打ち込み続けているが、相手の巨大な腕に阻まれるせいで、なかなか急所である頭を捉えられないでいた。

 悪霊たちは基本的に頭部、もしくは心臓の部分に神聖な破魔の力を流し込むことで、完全に祓うことが出来る。

 ──でも、このまま僕がここにいたら邪魔だよね。

 意を決して駆け出し、なんとかリビングの出入り口まで辿りつき、廊下に出られた。

 ちょうどその時、バキバキ! と何かの割れる大きな音がして、四葉はリビングの方を振り返る。

「しまった!」

 リビングの床に開いた穴に足を取られ、菖が押し倒されていた。

「……菖くん!」

「来るな四葉!」

 叫ばれたが、身体は咄嗟にリビングの中に戻ってしまう。

 が、その時何かに躓いて転んでしまった。そちらをみると、出るときは何もなかったはずのそこに、口の端から血を流した男の子が横たわっている。

「うわっ!」

 四葉が驚いて後退ると、男の子がパチリと目を開けた。しかし、その目の中は真っ暗な空洞。

 ──一家心中で殺された、子ども?

 気付いた瞬間、また耳障りな機械音声のような声が響く。

《おトモだチ! オともダチ!》

 男の子のお化けが、横たわったままこちらに向かって腕を伸ばしてきた。距離があるので届かないと思ったのだが、母親のお化け同様、腕がボコボコと膨れ、異様な長さになって飛んでくる。

「げっ!」

 慌てて横に飛んだのだが、胸元につけていた隠匿の札を破られてしまった。

「……しまった!」

 四葉のつける『隠匿』の札は、悪霊たちの餌にもなる膨大な霊力を隠すため。札が破れた途端、菖を押さえつけてた母親の霊も、横たわっていた子どもの霊も、顔をぐるりと四葉に向けて大きく咆哮した。

「……よそ見してんなよ!」

 押さえつけられていた菖は、母親の霊が四葉に気を取られた隙に腕を薙ぎ払い、大きく膨れた頭の額に、木刀を深々と突き立てる。

ハラタマキヨタマエ!」

 菖が叫ぶと、母親の霊の頭はさらに膨れ上がり、爆発して霧散した。

 そしてすぐ、リビングの出入り口付近まで駆けていき、座り込んだ四葉に腕を伸ばす男の子の霊を、光り輝く木刀で叩き切る。

ハラタマキヨタマエ!」

 霊が霧散すると、菖は木刀を振り下ろして床に膝をついた状態から、そのまま崩れるように倒れた。

「あ、菖くん!」

 慌てて駆け寄り、顔を覗き込む。

 菖は肩で大きく呼吸を繰り返し、霊力切れなのか、顔色が悪かった。二体続けて倒したので、そのせいもあるかもしれない。

「大丈夫?」

「大丈夫なわけあるか」

 ジロリとこちらを睨みつける。

「そ、そうだよね」

 仰向けになった菖にネクタイを引っ張られて、顔を引き寄せられた。

「わっ」

「──『仕事』しろ『非常食』」

 小さく開いた唇を、薄い唇に噛みつかれる。

 最初は軽く触れ合っているだけだったキスが、逃げられないよう頭を掴まれて、押しつけられるように深くなると、口の中に分厚い舌が侵入してきた。

「……んっ」

 入り込んできた舌先は、戸惑うこちらのことなどお構いなしに、それがまるで当たり前だと言わんばかりに絡みつく。遠慮をしないそれは、ジュルジュルと唾液を、霊力と一緒に搾り取っていった。

 ──……また、だ。

 病院での一件以降、最近は『仕事』の度に妙に深いキスをされる。何度やっても、身体は変に反応してしまって恥ずかしい。

 しかしそれを、嫌だと思わない自分もどうなのだろう。

 ──慣れてきちゃったせい、なのかな。

 息を吐くように、ようやく解放された。やっぱり顔が熱い。

 自分はこうであるが、菖にとっては死活問題なせいか、以前とそこまで変わらず、いつも通りである。

 ──でも、ちょっとだけ違うかな。

 キスをする直前、以前は綺麗だけれど冷たい印象の目で見られていたのが、少しだけ優しいのだ。

 ただ本当に、気のせいかもしれないレベルである。

 陽葵に聞いてみたいが、キスする直前の顔を陽葵が知っているわけもないので、こればっかりはどうにもできない。

「んー……」

 菖はまだ寝転がったまま、いつものように手をグーパーして霊力の様子を確認していた。

 周囲は本体を倒したため、幻覚だった真っ黒な一軒家がなくなり、霧が晴れていくようにサラサラと黒いモヤが少しずつ消えているところ。

 辺りが本来の駐車場としての姿を現した辺りで、寝転がったままだった菖が四葉を見上げて訊いた。

「──お前今日、飯当番だったりする?」

「へ? 今日は三葉お姉ちゃんだけど」

「よし、じゃあ今日『泊まり』な」

「……は?」

 まさかの言葉に、四葉はポカンと口を開けたまま。

 ──今『泊まり』って言った?

 四葉は目をぱちくりと、二度ほど瞬きする。

「足りてないからもうちょい欲しいんだけど、時間も遅いし、泊まって補給しろってことだ。分かったな『非常食』」

 菖は変わらず、いつもと同じ口調で言った。

「えっ、あ、はい。……わ、わかりまし、た?」

 頭の中はパニックなのだが、とりあえず、家に連絡しなければ、と四葉はスマホを取り出し、メッセージアプリで三葉に連絡する。

 メッセージを送ったら、少しだけ冷静になれた。

 菖は確かにここ連日、仕事続きである。大量に霊力を使う『浄化』の案件も多いので、あの深いキスを求めるのも、そのせいかもしれない。だけどあれでも全回復はできていないようだ。

 ──まぁ、それなら、仕方ないか。

 彼が戦えるよう、霊力の『補給』をするのが契約である。

 ちょうど週末で、泊まることになっても問題はない。

 家に連絡するついでに、アプリで呼んでおいたタクシーが、そろそろ到着するという通知が入る。細い路地の向こうから、車の音が近づいてくるのが分かった。

「タクシー、もう来るよ」

「そうか」

 寝転がったままだった菖が、ようやく身体を起こす。それから立ちあがろうとして、ガクンと膝をついた。

「……っ」

「あ、菖くん大丈夫? ケガ?」

 到着したタクシーに手を振って答えていた四葉が、慌てて菖の身体を支える。

「捻っただけだ、肩貸せ」

「う、うん……」

 肩を貸して立ち上がらせると、足を引きずるように歩く菖を支え、車道で待っているタクシーへ向かった。

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