1-2 *
◇
階段を一階まで降り、特別教室棟のある方と反対の、東側通用口から外に出る。それから少し歩いて、校舎とグラウンドの間にある小さな中庭の、校舎裏でも教室からは死角になるような位置まで連れてこられた。
普段から人に囲まれる彼らは、いつもこんな人気のない場所で昼食をとっているのだろうか。
「あの、何の用、でしょうか……」
同じ年だというのに、二人とも長身で見た目の迫力が強いせいか、つい敬語になってしまう。
四葉の言葉に、菖はもう一人の方を見た。すると菖と同じくらいの長身で、長い髪を後ろで一つに結い上げた男子生徒──浦部 陽葵は何かに気付いて頷き、どこからともなく何かがたくさん入ったビニール袋を取り出して、四葉に近づいて差し出す。
「こちらをどうぞ」
「……へ?」
「昨日の礼だ。受け取ってくれ」
「は、はぁ……」
ひとまず差し出されたそれを受け取り、中身を確認した。袋の中身は、購買で買えるパンや飲み物がいくつも入っている。
昨日のお礼。確かに彼はそう言った。
つまり、キスの代金ということだろうか。
──キスに、値段をつけられてしまった。
袋の中身をまじまじと見ていると、菖が近づいて手を伸ばす。そのまま四葉の顎を掴み、ジロジロと、何かを探すように顔を見つめた。それから身体のあちこちも、妙にじっくりと見回してから言う。
「……今日はまだ、ケガをしていないようだな」
「は、はぁ……」
彼みたいな人物にまで、自分の不幸体質を知られているのだろうか。まぁ確かに毎日のようにケガをして登校していれば、それなりに目立つのだろう。
「えと、いつもなら朝は必ずなにかケガをするんだけど、今日は何もなかったので」
「──だろうな」
「え?」
おずおずと答えた四葉に対し、菖はどこか確信したような顔で笑った。
今日はまだ何もなかったと言う話は、同じクラスの仲の良い生徒しか知らない話。
どうして、と考える間もなく、菖は驚くような言葉を口にした。
「黛 四葉。お前、その不幸体質を治したくはないか?」
「は?」
「俺と定期的にキスをしていれば、治せるぞ」
「……えぇ?」
どうしてそういう発想になったのだろうか。
確かにキスをした翌日の今日はまだ、一切の災厄が起きていない。しかし、まさかキスをしたくらいで長年の不幸体質が治るとは、俄かには信じられなかった。
きっと何か、他に別の目的があるに違いない。
それであるなら、答えるべき言葉は一つ。
「しゅ、宗教勧誘ならお断りします……!」
四葉が精一杯の声で返す。すると、
「……ぷっ! あはははは!」
菖の後ろに控えていた陽葵が爆笑していた。
いつも静かで優しそうな笑顔をたたえている陽葵が、こんなに大きく笑う場面は初めて見る。
「……笑うな」
「ちゃんと説明しないとダメですよ、菖」
ムッとした顔で菖が言うと、あー可笑しい、と目尻に浮かんだ涙を拭きながら陽葵が返した。
「……しかし」
菖の方は眉間に不服そうな皺を寄せて、陽葵を見ている。
いつも見かける二人は、王子様とそれに付き従う従者、というイメージだったのだが、意外と菖は陽葵に頭が上がらないようだ。
陽葵はひとしきり笑い終えると、こほん、と小さく咳払いをして四葉の近くまでやってきて、軽く頭を下げる。
「失礼しました。黛くん、君が驚くのも仕方ないので、順番にお話しさせてくださいね」
「は、はい……」
「私と菖は、悪霊や怪異をやっつける、いわゆる『祓い屋』という仕事をしていまして。だからちょっと、その手のことに詳しいんです」
陽葵がにっこり笑って話してくれたところによると、四葉の不幸体質の原因は、四葉自身の身体から溢れ出る、膨大な霊力によるらしい。
なんでも溢れるような強い霊力をだだ漏れさせているせいで、その霊力を欲した悪霊たちが寄り付き、四葉に大量に憑きまくっているのだとか。
「お、お化けのせい!?」
「ええ、そうなんです。黛くんは、お化けとか視たことあります?」
「いえ、ないです……」
「視えてたら、たぶん卒倒すると思うぞ」
陽葵の横で説明を聞いていた菖が口を挟む。
もし普段であれば、本人の姿も見えないくらいにウヨウヨと、大量の霊が付き纏っているものらしい。
「しかし今日は、不幸な目に遭わなかっただろう?」
「う、うん」
「それは、昨日俺とキスをしたからだ」
「いや、なんでそうなるの!?」
「俺はお前と逆の『霊力欠乏症』なんだ」
四葉が霊など全く視えないのに、過剰なまでに霊力を生成できる『霊力過剰症』なのに対し、菖は自力で生成できる霊力が極端に少ないのだという。
そこで昨日、菖が四葉にキスをして過剰な霊力を吸収したことで、溢れていた霊力が抑えられ、憑いていた悪霊達もいなくなってしまい、不幸体質が改善されたというのだ。
「……食べちゃった、ってこと?」
「そんな感じだな。悪くなかったぞ」
「助けてもらったのに、そんなふうに言うんじゃありません」
菖が尊大な態度のまま頷いたのを、陽葵がたしなめる。
──あの時の『悪くない』は、そういうこと!?
昨日自然公園で菖が倒れていたのは、霊力切れを起こしていたせいらしい。それであれば、真っ青だった顔色がキスの後から良くなったのも頷ける話だ。
「昨日は僕が霊力をあげたから良かったけど、鳴崎くんはそれまでどうしてたの?」
霊力が少ないのに霊力を使う仕事をしているとなると、昨日のような霊力切れをしょっちゅう起こしていても不思議ではない。
すると陽葵がにっこり笑う。
「ええ、ここからが本題なんです」
菖は常に霊力切れを起こしやすい体質のため、普段はこの町の清宮自然公園内にある『清宮神社』の境内──『神域』で霊力を補給していたらしい。そうすることで、祓い屋の仕事もなんとかこなせていたのだとか。
「今まではそれで何も問題はなかった。しかし、先日自然公園が荒らされただろう?」
「あ、うん。なんか神社のお社も壊れちゃったって」
「そのせいで今、霊力の補給ができなくなっているんです」
数日前に起きた、自然公園の荒らし事件。
四葉としては公園内の清宮神社によくお参りをしていて、それが出来なくて困っていたくらいだったのだが、まさかこんな弊害が起きているとは思いもしなかった。
「『神域』が荒らされたせいで、この辺りの磁場も不安定になっている。悪霊達も増えた。祓い屋としては祓って回らないといけないんだが、どうしても力が足りない」
「じゃあ、昨日倒れてたのも、もしかして?」
「ちょうどふっ飛ばされて倒れてたのを、お前が見つけたんだよ」
「そうだったんだ……」
真っ青な顔で、苦しそうに横たわっていた姿を思い出す。
力が足りなくても、あんなふうになるまで頑張っているのかと思うと、なんだか居た堪れない。
「……お前の霊力はかなり強かった。おかげで昨日は難を逃れることができた。感謝している」
菖がすっと綺麗に頭を下げた。
「い、いえ。たいしたことは、してないので……」
彼に請われてキスをしただけだ。ファーストキスではあったが。
しかし、あれくらいで役に立ったのであれば、あまり悪い気はしない。
「それで、提案があるんだが」
顔をあげた菖が、じっと四葉を見つめて言った。
「お前の霊力を俺に定期的に分けてもらえないか」
「へ?」
「俺はお前の霊力が欲しい、お前は過剰な霊力が減ることで取り憑く悪霊が減り、その不幸体質が治る。言わば取り引きのようなものだ」
「な、なるほど」
四葉にとっては不幸の原因となる不必要なものだが、菖にとっては喉から手が出るほどに必要なもののはず。双方にとってメリットしかない、この上ない取り引きだ。
「『神域』の改修は兄に頼んで、急ピッチで進めてもらっている。しかしそれでも数ヶ月はかかるだろう。その期間だけでもいいから、協力して欲しい」
「協力して頂けるのでしたら、その過剰に溢れる霊力を隠し、悪霊に狙われないようにする『霊具』をご用意させていただきます。こちらも作るのに数ヶ月はかかりますので、その間は菖に過剰な霊力の提供をお願いしたいのです」
提案の限りだと、たとえ取り引き期間が終わったとしても、こちらがまた不幸体質に戻るということはなさそうだ。
しかし制作に何ヶ月もかかる代物を、タダでもらえる気がしない。
「え、でもそういうのって、すごく高いんじゃ……」
「心配するな。協力してもらった報酬として渡すものだから、金はいらん」
半信半疑で胡散臭そうな顔をしていたせいか、呆れたように言われてしまった。しかし、そういうことであれば、問題はなさそうだ。
現に一度、菖が自分とキスしたおかげで回復する様子を見ている。その上での提案なのだから。
「わ、わかりました! 僕なんかでお役に立てるなら!」
「……よし、契約成立だな」
「うん、よろしくね」
菖が手を差し出してきたので、四葉もその手をぎゅっと握った。
「……あー、あのさ」
「ん?」
「その、提供方法って、キス以外の方法はない……のかな?」
もし可能ならば、キス以外の方法のほうが互いに良いのではないだろうか。
何せ相手は学校中の女子生徒の注目の的である。そんな人物が、対して取り柄のない、不幸体質というマイナス要素のある平凡な自分と定期的にキスをしなければならないというのは、やはり少しばかり気が引けた。
「……霊力は基本、体内にある。近くにいたり触れるだけでも多少は吸収できる。それ以外だと体液を取り入れるくらいだが、霊力は口からのほうが出入りしやすいし、キスをするのが一番手っ取り早い」
「な、なるほど」
頷くと、握った手をぐっと引っぱられて、顔が近づく。そしてそのまま、綺麗な形の薄い唇が、小さく開いた自分の口を柔らかく塞いだ。
「……っ!」
驚く暇もなく離れて、妙に色気のある目が眼前で自分を捉える。
自分勝手で美しい、まるで猫のようにつりあがった、色素の薄い綺麗な瞳。
「まぁ、人工呼吸みたいなものだと思えばいいから」
「は、はい」
そんなことを言われても、これに毎回見つめられてキスをするというのは、なかなかの破壊力だ。
──……心臓に悪い。
顔が熱い。多分また、ゆでダコのように真っ赤になっている気がして、四葉は俯いた。
「……他意はないので、慣れてくれ」
はぁ、と息を吐いて、菖が呆れるような口調で言う。
「あくまでこれは、治療行為に近い、霊力の補給作業でしかない」
手を離した菖は、その手で緩い癖っ毛の、色素の薄い髪をかき上げた。
「仕方なくキスをするだけだ。……間違っても、俺のことを好きになったりするなよ?」
鼻で笑うような、上から目線の言葉。
確かに男から見ても綺麗でドキッとしてしまうけれど、これはあまりにも。
──なんかすっごい横暴じゃない!?
こちらだって別に好きでするわけではないし、必要だからと協力しているだけなのに。
女子達が話していたような、物静かで落ち着いた、クールな雰囲気の王子様とはあまりに違う。どちらかといえば、横暴で自分勝手な王様だ。
「な、ならないし!」
「……ふん、いい返事だ」
強気に返すと、菖はどこか楽しげに笑う。
クールで横暴なだけかと思ったが、笑うこともあるんだな、と四葉は少し意外に思った。どちらかといえば嘲笑されたのだとは思うが、笑ったところを見れたのは貴重かもしれない。
「じゃあ、黛。早速今日の放課後なんだが──」
「……よ、四葉!」
話し始めた菖の言葉を遮るように、四葉が声を上げる。
「あ?」
「四葉、でいいよ。僕も鳴崎くんのこと、菖くんて呼ぶから! 浦部くんも、陽葵くんて呼んでいい?」
横暴な王様を好きになる気はないけれど、これから一緒に過ごす時間が長くなるというなら、やはり仲良くはしたい。ならば呼び方くらいはもう少し、親しげにしてもいいだろう。
「大丈夫ですよ。よろしくお願いしますね、四葉くん」
「……好きに呼べ」
「うんっ」
にっこり笑った陽葵とは対照的に、菖は少し面食らった顔をしていたが、すぐにいつもの無表情に近い顔になってしまった。
──これ、仲良くやっていけるかな……。
不安しかないが、やれることはやろう。
「じゃあ、四葉。今日の放課後、早速『仕事』をしてもらうから、教室で待ってろよ」
「うん、わかった!」
四葉は元気よく返事をして、教室へと戻った。
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