第5話
『彼岸花を見に行きたい』
ある日、彼女からメールが届いた。もう9月も終わり頃、来週には枯れてしまっているであろう彼岸花。これは今日、今から行くぞ、ということだろう。
僕はベッドから起き上がり、伸びをする。『準備をするから、少し待ってて』とメールを打つと、すぐに『四十秒で支度しな』と返ってきた。
僕はまさかと思い、慌ててカーテンを開けて下を見てみると、彼女は自転車に跨りながら目の覚めるような笑顔で手を振っていた。
「君ならすぐに来てくれると思ったよ」
僕が玄関から出ると、彼女は言った。
「僕が暇じゃない可能性を考えないのかい?」
「それならそれで、嬉しいってもんさ。親心だよ」
「親心……ですか」
「見る前に飛べ、だよ。それにとてもきれいな場所だと聞いたんだ。去年行けなかったのがすごく悔しくてね」
当時の彼女はこの〈見る前に飛べ〉というのをひどく気に入っていた。どうやら父親が持っていたCDにこの言葉をタイトルにした歌があったとのことだ。
その言葉通り、彼女は思いついたことをすぐに実践する。その相手はたいてい暇で時間をもてあそんでいる僕だ。
一度彼女に「どうして他の人じゃないの」と聞いたことがある。その時も「友だちの成長を間近で見ていたいんだよ」とさわやかに笑いながら言っていた。
確かに他の人には僕に言うようなわがままは言わない。行動力のない僕への彼女なりの気遣いなのかもしれない。
自転車をたっぷり一時間ほど漕いでその場所に着いた。小川の土手に多くの彼岸花が咲き誇っていた。僕はその綺麗さに息を飲んだ。
「とてもきれいだ」
「でしょ。来たかいがあったでしょ」
「うん。去年のリベンジができたね。こんなきれいな場所だとは知らなかったよ」
「って、私も初めてなんだけどね。君と来れてよかった」
急に僕は顔が赤くなる。その顔をにんまりと眺めて彼女は言った。
「やっぱり君はからかいがいがあって面白い」
それからは彼岸花を見ながら、いろいろな話をした。部活動のことや勉強のこと、お互いに経験なんてないのに恋愛のことなんかも話題にのぼった。
恋愛の話題が出たときに、僕はなぜか心が泡立つのを感じた。
中学生にもなると、誰々と誰々が付き合っただの、誰某が先輩に告白しただのと、噂はいっぱいあった。
どうやら僕たちのことも一部では噂になっていたようだが、あまりにも釣り合っていないと判断されたのか、本気で噂を信じている人はいなかったように思う。
事実、僕たちは付き合ってはいなかった。僕はまだ、人を好きになるというのがよく分からなかったんだ。
ただただ、彼女の「友だち」という言葉を信じていた。
この一緒にいると泡立つような、この感情は‘友だち’なんだ、と。
◇◇◇◇◇◇
「って僕の話ばかりで眠くならないのかい?」
「ううん、本当に楽しいよ」
相変わらずのにんまり笑顔。
「ねぇ彼岸花の花言葉って知ってる?」
「……うーん、分からないや。この時から一番好きな花になったんだけど、花言葉までは」
「勉強不足だなぁ。見る前に飛べ、の教訓を生かしてね」
彼女は続ける。
「花言葉は色々あるんだけど、『悲しい思い出』『思うはあなた一人』『また会う日を楽しみに』と『再開』とかがあるんだよ」
「………」
「……さっきからさ、注意しようと思ってたんだけど……運転中に泣いていると危ないよ」
「……うん、分かってはいるんだ。でも止まらないんだ。ごめんね……」
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