第3話 図書館

当てもなく走り続けても、どこまでも知っている町だった。見慣れたスーパーを通り過ぎたあたりで、足が動かなくなって一度止まり、そこからとぼとぼとただ歩いていく。


(お母さんが帰ってくるまで帰りたくないなぁ…)


どこか時間の潰せる場所、と思ってもお金もないし、こんな姿クラスメイトに見られたら、なんだか気まずいから近所の公園とかもパス。足は自然とできる限り学校から離れた方角へ歩いて行っていた。

そうして、いつまで歩いただろう。

結構長く歩いたように思う。時計がないからわからないけれど、足がきりきりと痛み出した。太陽はだんだん沈んで行っている。

運動が得意じゃない私は疲れたなぁとぼやきながら道路沿いを歩く。


(これいつまで続けるんだろう、でも帰りたくないしなぁ)


そんなことを考えながらふと顔を上げると、日差しに照らされたバス停があった。古びたベンチも置いてあったので、せっかくだから座ろう、と思い、近づいてみると赤いラインが入った表札には「図書館前」と書いてあったのが目についた。


(こんなところに図書館なんてあったんだ!)


私は体が急に軽くなって、背中に羽が生えたような気分になった。

急いできょろきょろと周りを見渡すと、四角い灰色の二階建ての建物と少し広い駐車場が並んで広がっていた。建物のほうは出入り口が自動ドアになっていて、中には蛍光灯の光と人の気配が感じられる。


(きっとあそこが図書館だ!)


私は一目散に飛んで行った。出入口の上のほうに「○○市立図書館」と書いてある。確信をもって自動ドアに立ち向かうと、自動ドアはウィーンと二重で開いて、歓迎してくれる。

中に入ると、私は思わず「わあ」と声をあげた。

出迎えるのは大量の本棚!

すぐそこのカウンターに人が何人かいて、貸出期日のカレンダーが置いてあるが、それよりも、何と言っても本棚がたくさんあった。

学校の図書室よりもたくさん置いてあった。多分大人が読む難しい本もいっぱいあるんだろうなと見て取れた。目に入るだけでも私の背丈を超える本棚が五つもある。その中に所狭しと、本が並んでいる。

その圧倒的な光景に、私は口を大きくあけてしまう。そして放心したままよろよろと本棚に近づいた。


(これ全部読んでいいの?学校の図書室とやり方は同じなのかな?勝手に入って怒られたり、ビビーッてブザー鳴ったりしない?)


高揚感と戸惑いが一緒に心にやってくる。どうしたらいいのかわからずきょろきょろしていると、カウンターに座っていたくるくるパーマのおばさんと目が合った。


「どうかされました?」


おばさんはにこりと笑って私に声をかけてくる。


「あの、ここって、私初めてなんですけど、本とかとって、読んでもいいんですか?」

「いいですよ。お名前とお住所がおわかりになるのでしたら、図書カードを作って、貸出もできます」

「つ、作りたいです」


私はおばさん言われるがまま、カウンターで個人情報を書き込んだ。もう六年生だから住所も全部書ける。牧本秀(マキモトシュウ)という名前もすらすら書けたが、普段使わないボールペンで書いたものだから、間違えちゃいけないとやや緊張してしまった。

おばさんに個人情報を書いた紙を渡すと、カウンター向こうのパソコンを何やら手慣れた手つきでカチカチした。

私は手持ち無沙汰になり、また周囲をきょろきょろする。


(こんなところあるなんて、知らなかったなあ)


大冒険をした勇者の気分を味わえたみたいで、私はふふと笑った。

そうしているとおばさんが「お待たせしました」と言うので、急いでにやにやした顔をひっこめる。


「これが図書カードです。本は二週間借りられますよ。二階に小学生向けの本が並んでいますのでぜひご利用になって下さい」

「はい!ありがとうございます!」


私はつい大きな声であいさつしてしまい、ハッとした。「すみません」と言うとおばさんはうふふと笑って頷いた。

ここは図書館だから静かにしないといけないのだ。それくらいは知っている。

私は再度ペコっと頭を下げつつ、カウンター横の階段を昇って行った。

結構急な階段で、壁にはいろいろな案内のポスターが貼ってある。なんとか上り終えると、確かにここは私のような子ども向けなのだ、とわかる部屋の配置だった。

まず棚が低く、私の背丈ほどしかない。絨毯の色も下の階と違って、パステルカラーだ。椅子もいっぱいでカラフルだ。小さめの角のない丸めの机もあって、それは私の学校のではない、隣の学区らしき制服の子が本を広げている。

私はその子たちの邪魔にならないよう、奥の棚に行くと、おばさんの言った通り小学生向けの本がたくさん並んでいるのがわかった。

学校の図書室にも並んでいるシリーズがあって、しかも新しいのまでそろっている!

私は興奮気味にそれを手に取ると、立ったまますぐ開いた。

挿絵の多いその本は、魔法や竜がたくさん出ていて、すごく大好きだけれど、お母さんに買ってと言えなかった本だ。

うちは大してお金がある家じゃないのを私はちゃんと知っている。でもだからと言って学校で借りて読むと、クラスメイトがからかってくる。以前図書室でこのシリーズの本を借りて読んでいたらクラスのボス的ポジションの女子がニヤニヤしながら私の読んでいる本を奪い取り「牧本さんこんなの読むのー。子供っぽーい」ということを言われたことがある。  

私はその時恥ずかしかったのと、好きなことを馬鹿にされたのに、言い返せない自分に情けなくなった。以来図書室でたまに読むだけにしていた。

私は夢中で本を読み進めた。今までのシリーズにない冒険が魔法使いに待ち受けていて、めくるページごとに驚きが満ちている。

立ったままだったけど全然気にならない。できるならこのままずっと読んでいたい……。

高揚感で胸をいっぱいにしながらずっと本棚の前で読んでいると、トントンと肩を叩かれた。それまでずっと小説の中に意識を持っていかれていたから、誰かが背後に居たことに気づかなかった。

私は我に返って振り返ると、さっきのおばさんが困った顔で笑っていた。


「ごめんなさい。そろそろ閉館なんです」


そういえば、ホタルノヒカリがアナウンスから鳴り響いている。机にいた制服の子供たちもいなくなっていた。私はあわてて本を閉じ「すみません!すぐ出ます」と頭を下げた。


「借りられますか?」

「はい!お願いしたいです」


そう言うと二人で階段を降り、カウンターで貸出手続きをした。さっき作ったばかりの図書カードをズボンのポケットから出すと、おばさんはにこりとして受け取った。


「2週間後の返却です」


そう言われて、宝物のように本を受け取った。壁にかかった時計を見ると、午後五時前になっている。


(そうか、ここは五時閉館なんだ)


納得して、私はすごすごと図書館を後にする。でもそのあとの行き場はない。まだお母さんは帰らないし、お兄ちゃんの友達もまだ家に居座っているだろう。

私はどうしたらいいかわからず、うーんうーんとうなりながら、道を行ったり来たりしていた。周りは暗くなってくる。帰ったほうがいいのはわかっている。けれど……。

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