第2話 少女は居場所がない
第一章 三〇分前
学校からの帰り道は、ランドセルが一〇倍重くなっているような感覚がする。
家まであと五分というところだけれど、いっそ永遠にたどり着かないほうが幸せかもしれない。そう思うけれど、自宅である古いマンションがもう目の前に見えている。
ベージュの塀はちょっと黒ずんでいるし、端のほうに植えられている木ものびっぱなしだ。お世辞にも綺麗とは言えない。私の憂鬱さを表しているのかなって思う。
重たい足をずるずると動かして、マンションの一号棟の前まで来た。マンションは五号棟まで連なっていて、敷地は広かった。そしてその分、住んでいる人も多くて、私は一号棟以外のご近所さんのことを、あまり覚えられていない。
一号棟が道路から見て一番手前だから、帰るのはちょっぴり楽だとお母さんは言っていたいけれど、私はそうは思わない。
(せめて魔法使いが住むお城だったらよかったのになぁ)
いつものように魔法について考えて、目の前の嫌なことから目をそらす。私の癖だ。クラスメイトにも六年生になってまで変と言われて、浮いてしまっている。でもやめられない。私の生きる知恵だからだ。
(古さならこのマンションも、お城くらいあったりするんじゃないかな。ほらそこなんて、すごく汚れてる)
汚れた手すりに触らないように(小説で見た螺旋階段をちょっとだけ夢見ながら)一歩一歩階段を上っていく。こうすることで少しは気がまぎれる。気の重い憂鬱な帰り道も、少しはマシになる気がするのだ。
しかし、現実にはすぐ引き戻される。
家に近づくにつれて、複数人の声が聞こえてきた。私は大きなため息をつく。
(ああやっぱり、今日も来てるんだ…)
私は予感が的中したことに、心からがっかりした。そして大きなため息をつく。
玄関を閉めてでも聞こえる声。
ここ最近の日常だ。
(これがあるから家に帰りたくなかったんだ)
沈んだ気持ちでがちゃりとドアを開く。
両手を使ってドアノブを引っ張ると、声のボリュームが上がった。
「お、妹じゃぁん。おじゃましてまぁーす」
「ぎゃははは!お前があいさつすんのかよ!」
「いいじゃあぁん?何帰ってきたのぉ?」
「…………」
廊下の向こうのリビングから、わらわらと玄関のほうに色とりどりの頭が顔を出す。その全員が全員、眉毛がない怖い顔をしている。私は顔をしかめた。
彼らはみんなお兄ちゃんの友達だ。
昼間から学校に行かず、ここに居るのがここ最近の日常になっている不良高校生だ。彼らの遠慮がない笑い声がうるさくて、私はぎゅっとランドセルの肩掛け部分をつかんだ。
(ああ全然魔法っぽくない! ……またいやな現実が始まっちゃった)
玄関には靴がたくさん脱ぎ散らかされている。かがむのも嫌で、手を使わずお行儀悪く足だけで靴を脱ぐ。
リビングからはタバコのにおいがたち込めてきている。私は顔をしかめたまま無言を貫いた。
「…………」
「ちょっとー無視―?」
「お前の妹、かわいくないなー!」
私は彼らの名前も知らない。なのになんでこんなことを言われないといけないの!
心の中で私は憤りを感じていたが、口にしたらなんて言われるかわからないから、何も反論できない。引き続き無視を貫く。
リビングに入って、置かれたカバンを避けながら、部屋を横切っていく。硬い表情の私を、彼らはにやにや笑いながら見てくる。お兄ちゃんは部屋の奥を陣取って、友達と話しているので、私を気にかける様子もない。
この瞬間、胃がギュッとつかまれた気分になる。
「私は見世物じゃない!」と叫びたくなるし
「いっそ何も感じなければいいのに!」とも思った。
でも私は小学生で、あっちは高校生。勝てる相手じゃないのは一目でわかる。
言いたいこと全てを飲み込んで、私はリビングの隣にある自分の部屋へ入っていった。
この状況をなぜお母さんが放置しているのかは私も不思議だ。
私の部屋はリビングの隣にあり、ふすま一枚しか隔てていない。隣には不良高校生。ふすまなんかじゃ彼らの騒ぐ声は遮られなくて、自分の部屋だというのに全然休まる気がしなかった。
(……こんなところ、私の居場所じゃない)
以前、お母さんにお兄ちゃんのことを相談したけれど、どうにもならなかった。
お母さんが帰るのは十九時過ぎで、そのころには彼らは撤退している。現行犯で注意することができないのだ。
それに、お兄ちゃんは今でこそ家で過ごしているが、前は外で相当やんちゃしていたそうだ。お母さんも何度も外に謝りに行ったらしい。
だから家ならまだマシ、とお母さんは思っているのだろう。
実際は私に多大な迷惑をかけているのが現状だ。
キャラ物の壁掛け時計を見ると、今は十六時だからお母さんが帰ってくるのはまだまだ先だ。この時間があと三時間も続くのか…、と再度ため息をつく。
その時だった。
ふすまにドン!とぶつかる音がする。
私は突然のことに思わずビクッと飛び跳ねた。
どうやらお兄ちゃんの友達がふすまにぶつかったらしい。
ぎゃはぎゃはという笑い声は止まない。ふすまの向こうからタバコの匂いもしてくる。
こうなると、自分の居場所が侵略されているような気持になる。
こんな人たちが隣にいる部屋では、うるさくて宿題の一つもできない!
でも私が文句を言わないことをいいことに、彼らは居座り続けている。
私の中で、文句が言いたい気持ちが芽生えた。
二回目のドン!というふすまを叩く音が聞こえ、私は再度体を震わせる。
私は耳をふさいで、座り込んでみる。それでも聞こえる彼らの声に、心がきしむ音がする。
私は妄想の世界に逃げることにした。
例えば、お兄ちゃんたちが吸っているタバコが綿あめに変える魔法が使えたら、どんなにいいだろう。
部屋中もくもくとした煙がすべて、ピンクの綿あめに変えて、彼らは大騒ぎ!
私はそれを食べながら、笑っている。
そして、お兄ちゃんもその友達も、動物に大変身させてやる。
そしたらもう悪いこともできない!
お母さんも困らなくなって、うるさい笑い声もかわいい鳴き声に変わって、みんなハッピーだ。
それからそれから……。
私は妄想の中にしばらく居座った。この調子でいけば、お母さんが帰ってくるまで耐えられるかもしれない。そう思った。
けれど、それ打ち消すように、三度目のふすまを叩く音が聞こえた。
それも、飛び切り大きな音で。
「おい妹ぉ!ごちゃごちゃうるせーぞ!」
「やめたげなよぉ」
「ぎゃははは」
お兄ちゃんの友達が今度は故意にふすまを叩いたらしい。私の妄想はぶつりと中断され、逃げ道は立たれてしまった。私は、じわりと涙が目じりに浮かんだ。
(何でこんな目に合わなきゃいけないの!)
私ばっかり我慢させられる。私は何も悪いことしてないのに!
悪いことしているのは、こいつらのほうじゃんか!
私は意を決してふすまを開いた。
色とりどりの頭がタバコを吸って、笑いあっていて、ざっと6名ほどいた。
部屋の奥にはお兄ちゃんがいて、お兄ちゃんもまた当然のようにタバコを吸っている。
突然現れた私に、彼らは笑いあいをやめることはなかったが、数人は「は?」と言った表情でこちらを見ている。
「んだよ」
「は?なに?」
私は変な汗がぶあっと出てきて、ほっぺたを伝う。私は震えながら仁王立ちした。
何か言わなきゃ、と思うけれど何も出てこない。
口の中がからからになっていった。
しばらく無言のまま立っていたけれど、いたたまれなくて、私は突如その場から走り出した。
カバンを蹴って、扉を乱暴に開けて、転がるように走って靴を履いた。
飛び出していこうとドアノブの手をかけたとき、お兄ちゃんの友達がこちらを気にしていた。
「なんだったんだ?あれ」
「知らね」
そう吐き捨てられた後、私は玄関から飛び出した。
「知らねじゃないよ!ばーか!」私は叫んでいた。
何度もこけそうになりながら、マンションの階段を下りていく。
そして、道路のほうへと走っていった。
このままもう、帰りたくなかった。走って走って、どこか遠くに行きたいと思った。
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