第52話
リメイン
一体いつからだろうか?
自分がカネを求めるようになったのは。
いつから自分が自分だと分かるようになったかはさておき、幼稚園の頃はカネなんて求めてなかったと思う。
あの頃はクレヨンで絵を描くだけで楽しかったし、外で走り回っていればいつまでも笑えた。
なら小学生になってからだろう。お小遣いをもらい、それを管理することになった。
うちの親は最初大した額はくれなかった。それでも初めて自由になるお金だ。自分はそれをお菓子を買ったり、欲しかった本を買ったりして使った。
だけどすぐに足りなくなり、次のお小遣いの日が待ち遠しくなる。
最初は百円でも満足していた。コンビニやスーパーに行けばお菓子が買えるし、そもそも欲しいものは別に親が買ってくれたから大した不自由はない。
本当に欲しいものは誕生日やクリスマスを待てばよかった。
そしてあの日がやってくる。日本独自の風習、お年玉だ。
親戚が家に来て子供にお金を渡していく。普段は見ないような額をもらい、買えるものが一気に増えた。
両親は貯金しなさいと言うけど、兄弟や友達がなにかを買うと自分もそれが欲しくなった。
それでも使い切れないものは貯金し、お金を貯めるということを覚えた。
お金を貯めると使える額は更に多くなり、もっと高価なものを買えるようになる。
買えるようになると欲しくなり、欲はどんどん膨らんでいった。
ゲーム機は新しくなり、スマートフォンは高性能になる。誰かがそれを持っていると他の誰かもそれを欲しがり、欲が連鎖していく。
それは自分の欲なのか、それとも他人の欲なのか分からなくなる。ネットにアクセスすると情報は益々増え、複雑になっていった。
塾や習い事にもカネが掛かり、旅行や外食でも同様だった。
成長すると新しい服が必要になり、母親は嬉しそうにデパートで選び、買った。
幼稚園も小学校も中学も、なるべく良い学校に行くのはカネのためだ。良い会社に就職し、人より良い給料を得ようとする。
大きくなればなるほど努力も人間関係も全てが収入と絡んでいき、一体どれが本物なのか分からなくなった。
分かっているのはいつ如何なる時も人はカネから離れられないということだけだ。
誰かと会うたびに、なにかをするたびに、カネは人の人生に静かに、しかし確実に浸透していく。
社会で生きる限り、それは避けようがない。
気付けば側にいて、決して離れない。いつの間にかそこにあることが当たり前になり、疑問すら浮かばなっていく。
自分が初めてその違和感に気付いたのは中学受験の時だった。
有名な私立に入れば高校もそのまま上がり、大学受験のサポートもしてくれる。
そんな説明を受け、自分は両親が選んだ学校に行くことになった。
本当は行きたくなかった。友達のほとんどは公立中学に進学したからだ。
小学校の六年間で築いた人脈が消え去ると寂しくなったのを覚えている。
でもこの方がいいと大人が言うからと受け入れた。
公立の中学に行った友達からは荒れているクラスがあると言っていた。でもそういう状況をみんなで共有できることに羨ましさを感じた。
私立中学の生徒は大人しく、精々がワルを気取るくらいだ。彼らは感情じゃなく損得で動く。大人しく勉強していればどうなるか。大人になった時に得られる利益を理解していた。
まだ子供なのに既に将来得られるであろうカネに縛られている。
自分はそんなことを気にしながら生きる人生に疑問を感じた。
これじゃあまるで自分がカネを求めているんじゃなくて、カネが自分を求めているみたいだ。
その頃の自分はカネなんて大して求めてなかった。もちろんある程度は欲しい。だけど月に数千円もあれば満足できるほどだ。
大人になれば稼がないといけないことは知っている。でもそれは大人の自分がであって、子供の自分じゃない。
もっと言えば大人になって自分がそれほどカネを求めているかも分からない。案外そんなものがない生活を望んでいる可能性もある。
それでも周りの生徒達は未来の自分がカネを求めているに違いないと考え、ひたすら時間を勉強や習い事に注ぎ込んでいく。
勉強と仕事を合わせれば六歳から六十五歳まで約六十年間。ひたすらカネに時間を注ぎ込む人生。
本当に自分はそれを心の底から望んでいるのか?
そう考えると違和感は大きくなっていた。
自分が望んでいるというよりはむしろカネの方が人に求めろと命令しているようだ。そして人間は律儀にそれを受け入れている。
だけどカネから逃げられないこともまた確かだ。
生きている限りカネはかかる。それなら多く持つ方がいいと思うのも尤もだ。
でもあくまで自分は自らがカネを使う側にいたかった。カネに使われる側にはいたくない。
でもどうすればいいか分からなかった。
そんなことを考えている間に時は流れていく。
カネへの嫌悪感はどんどん膨らんでいった。その頃になるとなるべくカネを使わないようになった。
欲やカネに対する自分なりの反抗だった。
高校生になったある日、自分は模試を受けた。全国で何位かが分かるものだった。
結果は三位。自分より良い成績の人間は二人しかいなかった。
でもこれは本当に自分のおかげなのだろうか?
たしかに授業は受けたし、テスト前に友達と勉強もした。
だがこれは本当に自分の努力の結果なのだろうか? 本当に自分の能力のおかげなのだろうか?
高校生になっても自分はアルバイトをしていない。もししていたらこれほどの順位でいられただろうか?
家にお金がないなら中学を卒業して働かなければならない。もしそうだったらこれほど勉強できただろうか?
そして自分は愕然とした。
知らず知らずの間に機会を買わされていたのだと。
もちろんカネは親が出している。だけど選択したのは自分だ。拒否することもできた。極論家出すればいい。
でも自分はそうしなかった。機会を買い、それで得た時間を自らに投資した。
全てはカネの仕業だった。カネが自分を動かし、操っていた。
ここにいるのは自分の意思でなく、カネの意思だ。そんな意図すら感じた瞬間だった。
どこまで行っても人はカネに抗えない。全てを支配し、配下に置く。それは抗っていた自分も例外じゃない。
せめて使う側に回りたいと思っていた自分も、その実カネに使われていたのだ。
あの日自分は諦めた。天才だのなんだの言われてもカネやそれが作り出す欲という名の濁流に逆らうにはあまりに力不足だ。
一人じゃカネに逆らえない。
いくら遠ざけても命も時間も全てにカネは影響を与えている。
自分の人生で初めての敗北はカネに対してだった。
自分は益々カネを嫌い、疎み、汚らわしいとすら思うようになった。カネがある限り自分は自分を取り戻せないとすら感じた。
自分の努力も実力も全てが紛い物に感じられる。
カネへの嫌悪感が最高潮に達したのは自分の親がどういう人間かを知った時だった。
自分の父親は銀行の幹部をしていた。その銀行が酷い商品を客に売りつけ、損失を与えたのだ。
見る人が見ればすぐに危険なものだと分かるはずだが、銀行は分かっていながら売っていた。
しばらく経つとそれが詐欺まがいの商品だとバレ、銀行は購入者に謝罪をした。
頭を下げるその中に自分の父親もいたのだ。
信じられなかった。
ただでさえ自分から好んでカネに操られにいく人間を軽蔑しているのに、カネを扱って他人を幸せにするならまだしも、カネに操られた挙げ句、他人を不幸にする人が身内にいるなんて耐えられなかった。
父親は責任を取って辞任したが、高額な退職金を受け取ってすぐに子会社に役員として受け入れられ、またかなりの年収をもらっている。
どこまでも理不尽で恥知らず。そしてなによりそれら全てをカネのためにしているのだから救いがない。
こんな男の血が自分に流れているのがイヤになった。
こんな男の血が流れているから自分はいつまでもカネから逃げられないのだ。
自分は落胆し、そして静かに憤った。
その時からカネと父親への復讐が始まった。
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