第46話
十人ほどの若者達は楽しそうに語り合いながら慣れた足取りで駅へと向かっていた。
男も女も高そうなスーツを着て一緒に笑い合っている。
僕も大学には行ったけど友達らしい友達はできなかった。女子と話したこともほとんどない。話しかけられたこともだ。
あの頃は年齢が近いとそれだけで緊張した。今でも女の子にはどう接したらいいのか分からない。
彼らはかなりの有名大学を卒業している。きっとすごい会社の内定をもらって、この春から働くんだろう。
それだけでも随分モテるはずだ。結婚も楽だろう。
若くて、カネもあり、将来も約束された存在。
それが眩しくて、同時に憎たらしい。
こんな風に生きられたらいいなと思いつつ、それは到底僕には叶わない夢で、だからこそ壊したくもなる。
でも一方で優れていることが罪なのかと問われれば、それは違う気もした。
僕だってそこを目指したことがあったはずだ。もし彼らのようになっていたら楽しかっただろうし、誇りもしただろう。それを妬まれても負け犬の遠吠えとしか思わなかったはずだ。
ターゲットの娘はずっと友達と思われる格好いい男の子と話している。娘の目は恋をしていて、それが初めて会った僕にも分かった。
男の方は気にしてないみたいだったけど、僕もあんな風に誰かから好意を寄せてもらえば今ここにいなかったのかもしれない。
昔からの友達がいればここにいなかったのかもしれない。
職があって安定した稼ぎがあればここにいなかったのかもしれない。
恋人がいたり家族がいればここにいなかったのかもしれない。
どこかでなにかが与えられていればここにいなかったのかもしれない。
だけど僕は今ここにいる。それが現実で答えだった。
誰からもなにも与えられないのなら、奪い去るしかない。
駅に入ると学生達は定期券ですぐに改札をくぐった。僕らも予め買っておいた切符を使ってあとを追う。
ホームに降りるとちょうど電車が入ってきた。
学生達は比較的空いている前の車両に向かった。空いていると言っても座席は埋まっているし、立っている人もそれなりにいた。そこに学生の集団が入ればなかなかの密集度だ。
僕らも学生を追い、同じ車両に乗り込んだ。狙っていることに気付かれないよう、ドアが閉まる寸前に乗り込む。
娘が座席の前に立っている場合はその後ろに進み、ドアの前に立っている場合は停車駅毎に少しずつ移動して囲む算段だ。
娘は男友達の隣にいた。ドアの近くにある手すりに捕まっている。運良く周りの生徒達と少し離れていた。
電車が次の駅に止まると人の出入りがあり、そこで石丸さんは静かに娘の背後に回った。
僕が石丸さんの側に、橋爪が娘の側に近づき、周りから石丸さんの手元を見えないように体で隠す。
壁の役目は大事だ。他の乗客にナイフを見られたらその時点で誘拐は不可能になる。
最初は話していた学生達も電車の中では大人しくなり、みんなしてスマホを眺めているばかりだ。
石丸さんはポケットからナイフを取り出すとそれを娘のコートに押し当てた。
娘が異変を感じて振り返ると石丸さんの手元を見てギョッとした。そこへすかさず石丸さんが耳元で囁く。
「動かないで。声を出せばこの場で刺し殺します」
ここからだと石丸さんの声が僅かに聞こえ、緊張する。だけど周りの誰も気付いていない。
電車は減速し始め、次の駅のアナウンスが聞こえた。
娘の額には汗が滲み、なにか言おうとすると石丸さんがナイフでコートを貫いた。
娘は表情を歪める。ここからでは見えないが、もしかしたら出血しているかもしれない。
石丸さんが口の前に人差し指を持ってきてしーっと言うと娘は青ざめながら頷いた。
次の駅はすぐそこだ。あとは娘を足止めし、他の学生を車両から出せばいい。出口は混むから止まっているだけで勝手に分断されるだろう。
なによりみんなスマホに夢中で友達がなにをされているかすら分かっていない。
いける。ドアが開いてもこのまま囲んでしまえば友人達は娘が先に降りたと勘違いするだろう。それくらい若者達は周りに興味がなかった。
電車が駅に着き、ドアが開く前に石丸さんは娘に囁いた。
「このままここにいてください。逃げたり助けを呼べば殺します」
これもただの脅しじゃない。逃げれば躊躇なく刺すだろう。
電車が止まり、ドアが開き出す。それと同時に僕と橋爪は娘がドアの方から見えないよう微かに移動する。
ドアが開くと娘の友人達はそちらへ進んだ。彼らの数が多いのが有利に働いた。
たとえ外に出てから気付いても娘をこのまま黙らせていれば引き離せる。
最初は無謀な計画だと思ったけど、やってみれば案外上手くいくものだ。
僕はドアから外に出ていく若者達を見てマスクの下で安堵していた。一度出れば外から入ってくる人が僕らを隠してくれる。
停車時間は約三十秒。だからあと二十秒ほどバレなければ――
「ナイフだ! その人がナイフを持ってるっ!」
男の声だった。
出口の方を見ていた僕が振り向くと駅に来るまで娘と話していた青年が橋爪をどかして娘の腕をぐっと引っ張った。
すると石丸さんの手に握られた銀色のナイフが周囲の目に触れる。
先端が微かに赤く濡れていた。それを見た誰かが悲鳴を上げる。
悲鳴は連鎖し、大勢の客がドアから外に逃げようとした。
最悪の形で失敗した。この状況を想定していない僕は目の前が真っ暗になった。
だけどこの状況でも石丸さんは冷静だった。
娘の腕を引っ張った青年は自分を盾にしようと前に出る。
石丸さんが彼の肩にナイフで斬りつけるとスーツの切れ間から血飛沫が飛んだ。
青年が倒れ、再び悲鳴が上がる中、唖然としていた僕らに石丸さんは逃げようとする客に叫んだ。
「誰も動くな! 動けばこの青年を殺します」
聞こえてないのか遠くの客は外に出ていくが、近くの客は足を止めた。出たくても人が集まりすぎていてどこにも移動できない。
それを見ると石丸さんは僕らに言った。
「ここで籠城します。田端さんはその子を人質にしてそこの席に。橋爪くんも誰かを捕まえてあちらの出口付近で人を逃がさないようにしてください。最低でも人質がいないと死角から撃たれますよ」
石丸さんに言われ、橋爪は呆れながら「仕方ないっすね」と言ってナイフを取りだした。
再び悲鳴が上がる中、近くにいた若い女を捕まえて首元にナイフをあてた。
「誰も出るな! こいつが死ぬぞ!」
そう言いながら通路を進み、真ん中のドアに向かう。そうして石丸さんと橋爪で車両の一画を占拠した。座席にはまだ何人も残っている。
なにが起こっているのか分からず、動けない僕に石丸さんがまた告げた。
「さあ。早く。その子を捕まえて」
娘と目が合った。首を横に振る娘の目には涙が滲んでいる。
僕はもうなにがなんだか分からないままナイフを取りだし、娘を捕まえるとそれを首元にあてた。
既に自分でなにをやっているかすら分かってない。
そんな僕を見て石丸さんは倒れていた青年の襟を掴み、閉まっている方のドアに連れて行く。
そして自分はドアに背を向けて青年を無理矢理立たせ、言った。
「今を持ってこの車両は我々無敵同盟が占拠しました」
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