第44話
「我々は民主主義の虚を突きます」
朝食が終わると石丸さんはそう言った。
温めた緑茶を飲んでいた僕はポカンとした。
橋爪にいたっては疑問符を浮かべている。
「えっと、すいません。民主主義も虚を突きますも分からないんすけど」
「民主主義は選挙で代表を選ぶこと。虚を突くは無防備な、つまり隙を見つけて攻撃するということです」
石丸さんの丁寧な説明に橋爪はふんふんと頷いた。
「なるほど。でもどうやってですか?」
「大臣の家族を誘拐します」
あまりのことに僕は目を見開いた。ことの大きさに唖然とする。
「だ、大臣って……」
「可能です」
石丸さんはすんなりと肯定する。
「いやでも、大臣の娘なんてSPがついてるんじゃないですか?」
「アメリカなどではそうですが、日本の場合SPが守るのは政治家だけであり、その家族は警備対象ではありません」
知らなかった。てっきり大臣の家族なんかもSPが守っていると思っていた。
石丸さんは続ける。
「民主主義での政治家はそれほど重要ではありません。重要なのは市民の声を国政に反映させることであり、その人物自体は誰でも良く、いくらでも替えが効きます。なのでそんな人間やその家族を守るために国家予算を割く必要はないのです」
「……たしかにそうかもしれません。でもなんで大臣なんですか?」
「分かりやすいからです。我々が狙うのは経済産業省の大臣。倉田の娘です」
石丸さんは写真を二枚取りだしてちゃぶ台の上に置いた。一枚はどこかで見たことある初老の男性。もう一枚はまだ若い女の子だ。
「分かりやすい?」
「はい。我々の主張を伝えるに最も分かりやすいのが政治家です」
「話題性ってことですか?」
「ええ。若い世代にはユーチューバーで十分ですが、上の世代には伝わりません」
たしかに僕らの評価は若者達の間では高いが、年寄りには低い。
年寄りからすれば僕らは日本赤軍の生き残りにでも見えるらしい。
だけど僕らは階級を否定してるわけじゃない。富の独占に怒っているだけだ。
一人の人間が何億、何十億も持っているより貧困層が減る方が幸福の総量は多い。別のことに使えば誰かの不幸を減らせるのに、使いきれない額を手元に置いておきたい金持ちが多すぎるんだ。
そしてそれはこの世で最も金持ちである国家にも言える。
弱者の不幸を放置し続けた罪は間違いなくあるはずだ。
なら大臣やその娘を狙うのは理解できた。
でも誘拐となれば今までとは難易度がまるで違う。
「……どうやるんですか?」
「移動中を狙います。情報によると娘は今日大学の卒業式を迎えます。それが終わり次第友人とホテルのパーティー会場まで電車で移動するそうです」
「つまり電車の中で誘拐すると?」
石丸さんは頷いた。
「そうです。電車は我々が動かさなくても動いてくれます。そこを利用すれば誘拐も難しくありません」
「どう利用するんですか?」
「娘が電車を利用する時間帯は満員電車とまではいきませんがそれなりに込みます。電車から出る時は一人ずつになるでしょう。先に彼らの友達を外に出し、娘だけ中に残します」
「その子を脅すんですか?」
「はい。ナイフを見せて黙るように告げ、周りが降りたあとも電車内に残ってもらいます。そして次の駅で降りて、そこから車で逃亡します。車を変えて隠れ家に戻ってから我々の要求を飲むようにと大臣に伝えるのです」
橋爪は「要求ってなんすか?」と尋ねた。
「まず所得税の改正です。今の日本は大金持ちに有利な税制になっています。加えて企業が海外の子会社から得た金についても相応の課税をするべきです。最後に相続税と贈与税の増税です。金持ちの家で産まれた人間はいつまでも金持ちでいられる。親に関係なく、子や孫がそれぞれの努力で成功を手に入れるのであれば平等ですが、現実は違いますから。そこに課税をし、能力はあってもお金がないせいで機会が与えられない人々に再分配します」
橋爪は難しい単語に頭を悩ませていた。
言ってることは分かる。つまりは富の再分配だ。平等のためには必要なことだった。
だけど大臣の娘を誘拐したくらいでそんな要求を国に飲ませることは可能なのか?
「……国は話を聞いてくれますかね?」
「交渉をライブ放送します。発信元が分からないようにした端末を使い、視聴者にも見てもらう。政治家は人気商売ですから、嫌われるようなことはできません。すれば議員だけでなく与党も下野することになりますから」
「警察や国は時間を稼いできたら?」
「させません」
「どうやって?」
「制限時間を設けます。一時間毎に指を一本。二十一時間を越えれば娘の腕と足を一本ずつ切り落とします」
ゾッとした。石丸さんは冗談でなく、本気でやるつもりだ。
橋爪は口笛を吹くがその笑みは引きつっている。
「…………若い女の子の未来か、金持ちへの優遇か。そのどちらかを選べと?」
「ええ。後者を取れば今の与党は信用を失うでしょう。大多数の国民からすれば金持ちの懐より未来ある女の子の命の方が大切ですから。まあ、両手の小指くらいは切り落とすかもしれませんが、氷付けにしておけばくっつくでしょう」
石丸さんの言葉はどこまでもリアルに聞こえた。今の石丸さんなら娘の指なんて簡単に落とすだろう。
これが人を殺したことのある人が持つ強さだと思うと背筋が凍った。
そしてだからこそ、そんな人の提案を受けなければどうなるか分かったものじゃない。
その刃がこちらに向けられても不思議じゃないのだから。
今までの行動が今回の脅しに現実味を持たせている。ここまで計画通りなら見事としか言いようがない。
石丸さんは橋爪に「どうですか?」と尋ねた。
橋爪は二カッと笑う。
「いいんじゃないっすか。ちょっとリスキーだけど偉い人をおちょくるのは面白そうだし。それにリメインの計画なら成功するって分かってますからね」
今度は二人が僕の方を向く。石丸さんは尋ねた。
「田端さんは?」
心臓がイヤな跳ね方をした。
今までのターゲットは金持ち達だ。でも今回は違う。その子供だ。
もちろん彼らも不平等の象徴と言える。
親のカネで学び、遊び、そして仕事も得る。そして学ぶことも遊ぶこともできない人を自分の方が上だと見下す人間を何人も見てきた。
無自覚的で無責任な奴らがどうなろうといい。そいつらの目を覚ますことができれば尚良い。
そう思ってきた。
だけど、それでもその子はまだなにも知らない若者なんだ。
勉強はできるかもしれないし、知識だって僕よりもあるんだろうけど、たかだか二十二年しか生きていない。体験が圧倒的に少ない人間を捕まえ、脅しの材料にする。
果たして本当にそれが正しいことなのか?
僕の中に生まれた疑問は膨らみ、それでも見知らぬ女の子よりも大事な自分がいた。
もう一人になりたくなかった。
「…………やります」
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