第35話

 次のターゲットはユーチューバーだと伝えられた時、僕は少し嬉しかった。

 何の芸もない若者が流行に乗って何億も稼いでいる。そんな話を聞いていつもむかついていたからだ。

 この炎上くんと名乗る田野辺という男は周りを批判ばかりしてカネを稼いでいる奴だった。

 馬鹿はなにもするな。知能の低い奴に税金を使うな。詐欺なんて騙される方が悪い。

 過激な発言はネット受けがいいらしく、批判もされるがそれ以上に支持されているのだからタチが悪かった。

 僕も二、三個動画を見たが、どれも極論ばかりで苛立たしかった。

 なにより弱者を馬鹿扱いし、なんでもかんでも自己責任論しか言わないこいつからは何一つ優しさを感じない。

 でも逆に言えばそれが社会だ。みんなそう思っているからこそこいつは支持されている。

 だけど一方でこいつがカネを払えば殺すことはしないと聞いた時には情けなくもホッとしてしまった。

 一方で橋爪は「やっちゃえばいいのに」と笑っているのを見て、やっぱり僕は染まり切れていないんだと恥ずかしくなる。

 計画が伝えられてから僕はパソコンを買い与えられ、動画編集ソフトの使い方を覚えた。

 元々プログラマーをしていたがあくまでソフトを作る側であり、使うのは得意ではない。それでもこれがないと仲間に迷惑がかかる。

 少しでも逃げる時間を稼ぐために必要なことだ。

 計画当日。炎上くんの行動は把握しているらしく、僕らは彼がいつも頼む出前業者に扮した。

 鞄が二つ与えられ、僕と石丸さんがそれを担ぎ、野球帽とマスクで顔を隠した。

 ドキドキした。頭が真っ白になる。前は事前になにも伝えられていないから実行できた。もし言われていたら今のように体が硬くなっていただろう。

 石丸さんはしばらく僕と離れ、別々に行動をした。その方が怪しまれにくいとのことだ。僕は自転車に乗って田野辺のいるマンション近くを走り、石丸さんと合流するとついに時間となった。

「行きますか」

 石丸さんがそう言うと僕は頷き、マンションへと向かった。

 背中のリュックには田野辺を縛るロープや目隠しが入っている。

 もし警察に止められて中を見られたら。そう思うと気が気じゃなかった。

 心配は杞憂に終わり、無事マンションまで付くと石丸さんがインターホンを鳴らした。

 あっさりとドアが開き、管理人室の前を黙って通り、すんなりとエレベーターに乗った。

 僕はポケットからスプレー缶を取り出した。それをエレベーターの防犯カメラに吹き付ける。

 意外だったがこのマンションにある防犯カメラはほとんどがエントランスとエレベーター、そして駐車場に集中していることだ。廊下にはカメラがない。あるのは入り口周辺だけだ。

 それと避難用の階段にもあるが、そちらは使わないので問題ない。

 つまり入りさえすればあとはどうとでもなると言うことだ。

 安アパートじゃないので防音もしっかりしていて、ちょっとやそっとのことじゃ外からはなにが起こっているか分からない。

 唯一の懸念点は二人して入ったことを怪しまれないかだった。だけど田野辺は友人を招いてパーティーすることも多いらしく、管理人には疑われなかった。

 ドアの前に立つと心臓の音が大きくなる。

 ここで田野辺に逃げられたり人を呼ばれたりすれば終わりだ。

 僕は息を殺して石丸さんの後ろに立っていた。

 そして、ドアが開かれる。

 その瞬間だった。石丸さんは開いたドアを更に開き、田野辺の首を掴んで強引に中へと入って行く。

「なっ!?」

 驚いた田野辺が抵抗しようとした時だった。石丸さんがスタンガンを取り出し、それを田野辺の体に当てた。

 田野辺はビクビクと痙攣するとそのまま大人しくなった。

 なにもできなかった僕に対して石丸さんが振り向く。

「さあ。中へ」

 僕はぎこちなく頷くと部屋の中に入り、ドアを閉めた。

 僕の役割は田野辺を逃がさないように待機していること。それは分かっているけどあまりにもなにもしていない。

 それを取り返そうと田野辺を部屋の奥に連れて行くと持ってきたロープで手足を縛り、口に猿ぐつわをはめ、目隠しで視界を奪う。

「では、始めてください」

 石丸さんにそう言われ、僕は田野辺のパソコンに向かう。

 既にパソコンが起動されていたのはありがたかった。わざわざパスワードを言わせなくて済む。

 僕は動画編集ソフトを起動し、ファイルを探した。そこにあるいくつかの動画の冒頭をチェックして使えるものをピックアップする。

 あとは切り貼りをすればいい。時間はないので手早くやる。

 まだ使ってない動画の方がよかった。生放送だと誤魔化しやすい。録画日時から新しいものを見つけ、まだアップロードされていないものを選んでいく。

 それと並行して持ってきたカメラで別の動画も撮影する。

 それが田野辺の拷問だ。こちらも終わった後に編集し、今作っている動画と合わせる。最後にサイレンの音をはめ込めば完成だ。

 僕が必死になって動画を作っている間、石丸さんは動けるようになっていた田野辺を痛めつけていた。

「……なんだよ? お前ら?」

「無敵同盟です。あなたの財産を取り立てに来ました」

 声のあとになにか固い物で人を殴る音が聞こえてきた。

 僕はなるべく聞こえないふりをして作業を進める。いや、正確に言えば急いでいてそれどころじゃない。短い動画とは言え、録画であることを簡単にバレてはいけない。

 田野辺が着ている服などを考慮し、音声だけを消したり、または持ってきたファイルから足したりを繰り返す。

 ここ数日この練習ばかりをやってきた。それでも本番は別物だ。緊張してあり得ないミスを連発する。

 そんな僕に石丸さんは優しく声をかけた。

「慌てないで大丈夫です。丁寧にやってください」

 そう言ってから石丸さんは再び田野辺を殴った。

「は、はい……」

 恐い。いつも優しい石丸さんが簡単に人を殴っている。

 当たり前か。人を殺してるんだ。殴るくらいどうってことないだろう。

 石丸さんは田野辺に恨みなんてないはずなのに躊躇なく手を下せる。それがとても恐ろしかった。

 しばらくすると動画の冒頭が完成した。残りは今さっきのやり取りを切り貼りすれば終わりだ。

 田野辺はすぐにカネを払うことを約束し、実際に払った。

 あとはベランダにガソリンを撒き、そこに火を付けて消防車を呼ぶことで警察を混乱させる手はずだ。

 だけど想定外のことが起きた。石丸さんが田野辺の両足にガソリンをかけたのだ。

 こんなことは聞いてない。このまま火を付ければ田野辺まで燃えてしまう。

 そう言おうとしたけど、言えなかった。

 石丸さんの目に暗くて深い闇が見えたからだ。そこでは真っ赤な炎が揺れているようだった。

 ゾクリとしながらも腕時計に連動した発火装置を設置して動画を配信。指定の時間になれば火が付く。

 警察は慌ててこの部屋に来るだろうけどその時に僕らはいない。

 既に安全な場所に身を隠している。

 その場所がこのマンションの三つ下の階にある部屋だとは気付かないだろう。

 監視カメラを無効化したエレベーターに乗ってリメインが用意したという部屋に行くと今現在も誰かが住んでいるようだった。ここで明日の早朝まで時間を潰す。

 警察はまず間違いなく僕らが外に逃げたと考えるはずだ。

 その理由は三つある。

 まず一つ目に録画で時間を稼いだからだ。誰もがその時間をどう使うか考え、逃亡のために使うと考えるだろう。その考えを逆手に取る。

 二つ目は香取の事件だ。警察は石丸さんがどうやってあの路地から外に出たのかを考える。そしてまた同じような手を使うと考えるだろう。だが今度は逆に中へ逃げる。

 そして最後に誰も僕らがこのマンションの部屋を借りれるとは思っていないことだ。それだけのカネがないからこんなことをしている。捜査の手が中に及ぶことはまずないだろう。

「……それにしても何者なんですか? リメインって人は」

 僕らは明かりも何も付けず、リビングの床に座り込んでいた。

 石丸さんは持ってきた水のボトルを開けて一口飲んだ。

「知らなくていいことです。知ったところでなんの得もありません」

 石丸さんはそう言って目を瞑った。どうやら相当疲れているらしい。

 当たり前か。人一人燃やしたんだもんな。普通の精神状態ではいられないはずだ。

 僕は石丸さんを怒らせるのも恐いので黙って考えていた。

 この部屋はリメインのものなのだろか? それとも知り合いから借りたとか? 見た限り女の部屋みたいだ。ならリメインは女か?

 どちらにせよかなりの額のカネを動かせると見て間違いない。

 だけどそれならどうしてこんなことをしようとしたんだ?

 なにもかも満足に揃っているなら社会を恨みなんてしないだろう。

 リメインの目的はなんだ?

 僕らにこんなことをさせてなにをする気だ? なにか金儲けでも企んでいるんだろうか?

 いくつか考えてみたが今の時点ではなにも分からない。

 本当は石丸さんが計画を考えて、リメインがカネだけ出している可能性だってあった。

 僕が頭を悩ませているとインターホンが鳴った。思わず体がビクリと震える。だけど隣の石丸さんは身じろぎ一つしない。

 おそらく警察や消防、または管理人だろう。当然だけど出ない。

 あっちからすれば中に人がいるかだけの確認のはずだ。この部屋に犯人がいることを知っていれば強制的に入ってくるだろう。

 それがないってことはどうやらまだバレてないらしい。

 そしてそのまま時間が経ち、僕らはこの部屋で朝が来るまで待った。寝てもよかったけどそんな余裕はない。寝ているうちに捕まったらと思うと恐くてたまらなかった。

 なんとか朝を迎えると僕らはスーツに着替え、そして一人ずつ部屋をあとにした。

 エレベーターに乗って一階に降り、そのままエントランスを横切って出口に向かう。

 出るだけなら鍵もなにもいらない。

 そして通勤するサラリーマンを演じ、駅に向かう。駅の近くにある人気もなく、防犯カメラもない場所にはワンボックスカーが停まっていて、僕は予定通りそれに乗り込んだ。

 そこには既に石丸さんがいて、顔を見ただけで僕は安心した。

 運転席では橋爪が笑顔で待っていた。車を出すと橋爪は嬉しそうだった。

「やりましたね。二人とも。見てましたけど中々よかったですよ。タネが分かってても生放送に見えました。カメラを倒したのがよかったですね」

 すると石丸さんが答えた。

「大変なのはこれからです。何日かはここで寝泊まりですからね」

「屋根と暖房があるだけいいっすよ」

「それは同感です」

 僕もそうだ。屋根があるだけでもいい。暖房なんて贅沢だ。

 少し前までそんな生活だった。だからこそ強くなれた。

 僕らを乗せた車はひとまず東京から出た。荷台にたくさんの段ボール箱を乗せて。

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