第31話
記者・大鳥敬吾
臨時収入もあり、高めの喫茶店に来ていた僕は思わずにやついた。
雑誌の棚に僕の書いた記事が載った週刊誌が置かれていたからだ。
僕がすっぱ抜いたスクープで週刊誌の売り上げが倍増した。
昨今の出版不況で売れなくなった週刊誌だが、こういう時には爆発的な売り上げを見せる。
この快感があるからやめられない人も多いだろう。
僕は編集長直々に食事に誘われ、これからも頼むと言われた。加えて原稿料も上げて貰い、金一封まで渡された。
彼らが得た利益からすれば雀の涙だが、これで少しは生活に余裕が出る。
それにしても驚きだ。まさかあの資産家殺人事件の裏にこんな組織がいたなんて。
無敵同盟。
響きが今風じゃないのは仮面の男がそれなりの年齢だからだろう。
僕は再び彼らが示していたサイトにアクセスを試みる。
しかし既に封鎖されていた。違法性が高いと見なされたのだろう。
それもそのはずだ。彼らの公表したリストは恐ろしいものだった。
エルドラドと呼ばれたそのファイルには資産家の名前や住所。顔写真。職業。年収。資産。仕事の関係者等々。ありとあらゆる個人情報が掲載されていた。
同盟のSNSから流出し、運営サイトはすぐにサーバーがハッキングされて個人情報が流出したことを公表、謝罪した。
報道によると退会者が急増し、既に運営すらままならないらしい。
そのリストには当然香取と今回襲撃された炎上くんこと田野辺の名前も載っており、彼らが事前にこのリストから情報を得ていたのは確実になった。
面白いのはネットの盛り上がりだ。
ニュースやワイドショーは無敵同盟を悪だと断じ、連日非難している。もちろん多少の理解を示し、社会の分断の象徴だとしているが、擁護は全くしていない。
一人お笑い芸人が肯定とも取れる発言をしたが、すぐに批判殺到し、番組を降板する流れとなった。
それほどまで表の世界では無敵同盟を叩いている。
しかし裏の世界。ネットの書き込みやSNSでは意見が真っ二つに割れていた。
元々炎上くんが嫌いだったアンチはともかく、彼らの言葉に共感する者が続々と現れたのだ。
それは次第に広がり、遂には英雄視する者達も現れた。
今のところ模倣犯は現れていないが、今後の流れ次第で誰が真似してもおかしくない。
それだけの材料は既に揃っていた。それが僕も入手したあのファイルだ。
サイトは閉鎖されたものの、ファイルは何万もダウンロードされ、今も拡散し続けている。
幸いなことに登録が最近だった富岡の名前はない。
ただ今まで闇に隠れていた金持ち達の資産が公のものとなり、人を見る目が変わってきている。
少しだがこのエルドラドファイルはパナマ文書に似ていた。
パナマ文書とは金持ち達が合法的な脱税のために税率の安いパナマに事務所を設け、そこで税金を支払っていることを示したものだ。
からくりは簡単。例えば日本で会社を運営しているとする。そこをパナマに作ったペーパーカンパニーの子会社にする。あとは利益の付け替えをすれば完成だ。
日本でいくら稼いでもそれを付け替えれば利益がゼロ。なので子会社の税金もゼロになる。そして利益を付け替えたパナマにある親会社が安い税率で納税すればいい。日本とパナマの税率の差がまんま利益になるわけだ。
恐ろしいのはこれができるのは金持ちだけだと言うことだ。
カネがない状態でやっても手数料で赤字になる。
利益を得られるのは金持ちだけ。彼らだけが正規の納税を免れていた。
汗水流して働いた労働者は少ない給料で高い税金を払っているのにだ。
パナマ文書には各国の大統領や王族が載り、そこに日本の経営者が名を連ねている。
その中には誰もが名前を知っているIT企業や警備会社の大手もあった。
だが彼らが罰せられることはない。これは金持ちだけに許された正当な脱税だからだ。
パナマ文書はこの世に正義と悪が同居していることを教えてくれた。我々貧乏人がいくら叫んでも無意味だと言うこともだ。
しかし今回のエルドラドファイルは違う。
無敵同盟はこれを持って資産家達に強請をかけている。
資産の半分を寄付。それを拒否すれば死による強制徴収。
いつでもどこでも安全を担保され、法律さえもくぐり抜けてきた彼らに暴力という力で究極の二択を迫っていた。
既に数人の資産家は寄付を宣言し、実際に行っている者もいる。
だが彼らはそうすれば人気が生まれ、さらなるカネを産むことを知っているからだろう。そしてその人気があればいくらでも稼げる人間でもある。
あるいはカネというものにあまり興味がない人達が多い。
しかし大多数は違う。ほとんどの資産家はカネに魅了されている。
毎日毎日カネを稼ぐことだけを考えている。だから大金を得ているわけだ。
彼らが少々脅されたくらいで資産を手放すはずがない。
現にワイドショーの司会をしている金持ちのタレント達も悪には屈しないと息巻いていた。
だが同時に化けの皮も剥がれた。
政治家やタレント、経営者がどれだけ市民の味方を演じていても、所詮はカネの方が大事なんだ。少しでも苦しんでいる人達の気持ちが分かれば資産の半分とは言わずとも行動は起こすだろう。
何よりここは日本だ。そう簡単に殺人なんて続けられない。資産家達は自分達が殺されるわけがないと思っているのだろう。
おそらくそれは正しい。だが今の時点ではだ。
これからの流れ次第では彼らが家から出られる日は限られてくるだろう。
それほどまでにネットの世界では無敵同盟が祭り上げられていた。
僕は恐怖を感じると同時に、どこか清々しさもあり、公私の間で揺れながら次の記事になにを書こうかと悩んでいた。
彼らをヒーローとして書くか、悪として書くか。
前途ある若者を殺し、足に火を付ける。
そんなヒーローは成立はしない。だが相手が金持ちだと言うだけで少し仕方なさを感じるのは僕がひねくれているからだろうか。
貧乏人のひがみなのだろうか?
それともあの男が言っていた言葉。誰かが餓えるのは誰かが独占しているから。あれに共感してしまったからなのか。
それは分からない。ただ味方はしなくても否定したくない自分がいた。それが大人として失格だと分かっていてもだ。
なによりも気になるのはどうしてあの男がこんな道を選べたかだ。
誰もが考えはしても実行には至らない。その先に破滅があるのを分かっているから。
これだけのことができる人だ。当然この先どうなるかも分かっているだろう。
日本の警察は甘くない。一つや二つは逃げられても、続けていけばいつかボロが出る。多数とは言え、ターゲットを名言していれば尚更だ。
それでも彼はこの道を選んだ。きっと何度も自分に言い聞かせたのだろう。
自分は無敵だと。
だが、現実でそれはあり得ない。人は無敵にはなれないんだ。
彼らが困難な道を選び、進んでいくから僕は彼らに惹かれるのかもしれない。
だとしても、僕があそこに加わることは未来永劫ないだろう。
なんだかんだ言いながら仕事もあって友達もいる。家族も田舎で元気だ。貯金もゼロじゃない。少なくとも今すぐ飢えはしなかった。
こんな僕でもとてもじゃないが失えないものがたくさんある。
だけどその全てを失ったら?
もう死んでもいいとまで追い詰められたら?
その時、僕は社会の歪みを受け入れて許すことができるのだろうか?
それは今の僕にはなんとも言えない。いや、彼らを否定しきれていないのが答えなのかもしれない。
今できることはこの事件を追いかけ、そして見極めることだけだ。
だけどこれだけ注目されては独占スクープを得るのはもう不可能だろう。
自分みたいな個人でやっている弱小は資金力と人材が豊富な大手には敵わない。
力の差は歴然で、それを可能にしているのがカネだ。
僕がどれだけ努力して這いずり回ろうとも、カネを使って効率的に利益を上げる会社というシステムには追いつけない。
できるとすれば出し抜くくらいだ。でもそれは奇襲みたいなもので、使えるのは最初の内だけ。
ここから先は警察の繋がりが深い大手新聞社や大勢の人間を動かせる大手週刊誌の独壇場になる。
僕の努力が報われなかったとは言わないが、現実はあまりにも弱者に厳しい。
それでも自分で決めた道だからなんとかやれているけど。
そんなことを思いながらコーヒーを飲んでいると僕が書いた記事が載っている週刊誌を一人の若者が手に取っていた。
彼がどの記事を求めているかは知らないが、一番大きな見出しが僕の記事だ。
あれが求められているということは僕が求められているみたいで嬉しかった。真実を届けたいと思って記者をやってきたが、こういう時には報われた気持ちになる。
若者が自席に戻る姿を横目で見ているとスマホが鳴った。
仕事の話かと見てみると、そこには富岡の二文字が並んでいた。
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