第29話

「はいどうもー。炎上くんでっす」

 画面に映っていたのは若い男だった。金髪で中性的な小顔。ピアスをしていて今風の若者といった感じだ。

 炎上くんと名乗る彼は登録者数八十万人の人気動画クリエイターだった。

 彼の芸風は話題になった人物や事柄を切るというもので、聞いたところいわゆるもの申す系と呼ばれる部類の動画配信者だった。

 話題のネットニュースを見つけてはそれに意見していくスタイルだ。

「あの人って頭悪いですからねえ。多分普通に考えたら分かることが分からないんですよ。想像力がゼロなんです」

 男の言葉にコメント欄には次々と感想が書き込まれ、笑いや関心によって流れていく。

 無責任な言葉を無責任な人達が楽しむ。まるで場末の居酒屋みたいだった。

 炎上くんの配信は大抵二時間ほど続くそうだ。

 だが開始十分でその様相が変わる。

 チャイムが鳴ると男はなにかを思い出したように立ち上がった。

「あ。ごはん来たかな」

 しばらく画面には無人の部屋が映される。玄関と思われる方向でドアが開く音が微かに聞こえた。

 その時だった。ガタガタガタと物が倒れる音がしたと思えば、先ほどまで余裕が嘘のように慌てる男の声が聞こえた。

「なんなんですか?」

 だが声は炎上くんのものだけだ。かと思えば鈍い音がした。

 大きな物がドサリと床に倒れ、うめき声がした。

 そのうめき声はなにかを引きずる音と共に離れていく。途中振動でカメラが倒れた。

 コメント欄は騒然としていた。なにが起きたか分からず誰もが混乱している。心配している書き込みもあるがドッキリを期待している人が多かった。

 そんな中、倒れたカメラが起こされた。

 映像の中に表れたのは全身黒い服を着て、野球帽と白い仮面を被った男だった。

 コメントはこれを炎上くんのジョークだと思い、大騒ぎになる。

 しかし、発せられた声は似ても似つかない男のものだった。

「どうも。我々は『無敵同盟』です」

 その言葉で今まであったおどけた雰囲気が薄れていく。

 柔らかく、それでいて威圧される声の男は両手を広げて続けた。

「我々の使命は停滞したカネを回収することにあります」

 男は右手の人差し指を立てた。

「手段は二つ。一つは寄付という形で自発的にカネを手放してもらいます。その場合、資産の半分を匿名で差し出してもらいます」

 男は中指も立てた。

「もう一つは取り立てです。この国では死亡すると相続税が発生します。その割合は富裕層で約五割。我々はこれを強制的に回収します。つまり、殺人による再分配です」

 こいつはなにを言ってるんだ――

 俺が唖然としていると男はテーブルの上に分厚い紙を切るペーパーカッターを置き、そこに先ほどの炎上くんを連れてくる。

 炎上くんは頭から血を流し、手足を縛られていた。泣き震えるその顔には先ほどまであった余裕は微塵もない。

 炎上くんの首をペーパカッターの上に置き、男は続けた。

「彼の収入は年収二億。貯蓄は八億を越えます。つまり死ねば四億が回収できるということです」

 炎上くんは「やめて……」とか「助けて……」と声を漏らす。

 俺はそれを警察署で見るしかできなかった。

「やばいぞこいつ。早く住所を割り出せ!」

「分かってます!」

 梅田はそう言うと他の部署に連絡し始めた。

 そうこうしている間にも男は話を続けた。

「カネは社会の血液です。一部の場所に集まると他が酸欠になる。一人の人間が何億も持てば多くの人が餓えることなるんです。しかし人は欲から逃れられない。逃れるには死ぬしかありません。ですからその手伝いを我々が買って出ることにしました」

 男は机の上に横たわる炎上くんを見下ろした。

「寄付か死か。あなたはどちらを選びますか?」

 炎上くんは震え上がり、そして答えた。

「カ、カネなら払うから……」

 仮面の男は頷いた。

「分かりました。では今すぐに払ってもらいます」

「今すぐは無理だって……」

「可能です。あなたにはこちらの暗号資産を購入してもらいます。これで寄付をすれば回収は不可能。完全な匿名性が担保されています」

 炎上くんの顔が青ざめた。大方寄付をしても強制だったと言えば後々回収できると思っていたんだろう。

 仮面の男は四億円分の暗号資産を注文する。

「では、パスワードを教えてください」

 しかし炎上くんは黙り込んだ。当たり前と言えば当たり前だ。こんな一瞬で四億を失う。躊躇してもおかしくない。

 だが仮面の男は全て本気だった。

 立ち上がるとどこからかボトルを取り出し、蓋を開けて中の液体を撒き始めた。そしてその一部を炎上くんの両足にかけた。

 その臭いに炎上くんが再び青ざめる。

「うわあああ! こ、これってガソ、ガソリンじゃんっ!」

 叫ぶと同時に仮面の男は炎上くんを近くにあった瓶で殴った。

 瓶が割れ、炎上くんの頭からまた血が流れる。ぐったりとする炎上くんに男は言った。

「パスワードを」

 炎上くんは観念して男にパスワードを告げた。男はそれを入力して暗号資産を購入。すぐさま児童養護施設を運営する団体に全額寄付した。

 たった数分で四億ものカネが持つ者から持たざる者へと移動する。その事実を現実として受け入れるのは難しかった。

 それほどこの男の手際は鮮やかすぎる。

 いつの間にか視聴者は十万人を越えていた。コメント欄は騒然としている。

 そんな中、男は炎上くんのことはもういいと言わんばかりにカメラの方を向いた。

「我々無敵同盟は常に同士を募集しています。しかし、誰もがなれるわけではありません。いくつかの条件があります。

 一つ、家族がいない、または縁を切った者。

 二つ、友人がいない者。

 三つ、恋人がいない者。

四つ、社会の中で居場所がない者。

 五つ、失うものがない者。

 六つ、死ぬ覚悟がある者。

 これらの条件が揃い、我々と行動を共にしたいと思ったなら今から示すサイトに行き、そこでファイルをダウンロードしてください。ファイルの名はエルドラド。伝説の黄金郷の名を冠したそのファイルには我々のターゲット情報が記載されています。彼らに先ほどの二択を迫り、カネを回収するのが我々無敵同盟の使命であり、存在価値です」

 生放送の備考欄にURLを張った男がそこまで話すとパトカーのサイレンが近づいてくるのが聞こえた。どうやら俺達より早く居場所を見つけた誰かが駆けつけたらしい。

 男はそれを聞くと小さく息を吐いた。

「どうやら今回はここまでのようです。ではまた。どこかで」

 男はそう言うとライターを取り出し、カメラを手で隠した。

「そんなに炎上が好きならあなた自身が燃えればいい」

 男がそう言ってからすぐあとに別の叫び声が聞こえた。

「ぎゃああああああああああああああぁぁぁぁッ!」

 断末魔のような声が止むと画面はなんの音も聞こえなくなった。

 ゾッとした。剥き出しの悪意と敵意に心が抉られたようだ。

 そこに梅田が声をかける。

「住所分かりました! この近くです!」

「すぐ行くぞ! あんな奴を野放しにしたらとんでもないことになる!」

 俺達はすぐさまパトカーへ乗り込み、炎上くんが住むマンションへと向かった。すぐ近くで消防車のサイレンも聞こえる。

 現場に辿り着くとマンションの部屋から黒煙が立ち上っていた。

 その下では住民達が慌てて入り口から飛び出していた。

 住民の数はどんどん増えていき、近くの道路から溢れそうだ。

 俺は梅田に叫んだ。

「誰一人逃がすな! 変な動きをする奴がいたらすぐに捕まえろ!」

「そんなこと言ってもこれだけの数を制御するなんて不可能ですよ!」

「うるせえ! やれ! 応援ならいくらでも来る! ここで逃がしたらまた振り出しだぞ!」

 梅田は不服そうだったが理解してくれたらしく、警察手帳を取り出して叫びだした。

「住民の皆さん! 冷静に! あの火事は事件によるものです! どうか捜査に協力してください! 炎が強くならない限りここから離れないでください!」

 俺は人混みの中からさっきの男を捜した。それほど大柄じゃない。細身である程度歳がいっている声だった。

 どこだ? どこにいる?

 しかし探せば探すほど誰もが怪しく見えてくる。

 そうこうしている内に消防車や救急車が到着し、辺りは更に混沌と化した。

 しばらくすると消火活動が終わり、炎上くんこと田野辺玲音が運び出された。

 警察は辺りを固め、そこにいた全員に事情聴取を行ったが、犯人と思われる人物は誰一人いなかった。

 結局あの男の足取りは分からず、再び消えてしまった。

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