第21話

 メンバー・田端裕太



 昔から自分のことは普通の人間だと思っていた。

 運動はダメだったけど勉強は真ん中くらい。いや、それよりは下か。それでも赤点を取ったこともないし、留年もしなかった。

 中学、高校共に部活はせず、家に帰ってゲームをしたりネットの世界に入り浸った。

 大学はFランとまではいかないが偏差値四十程のところだ。

 大学生になれば友達ができて遊べるのだろうと思っていたけど、実際はそうじゃなく、大学と自宅、そしてバイト先を行き来する生活が四年続いただけだった。当然彼女もできたことがない。

 就活は手こずり、希望した先は全て落ちた。それでも無職はイヤだったので内定を貰えた名前も知らない中小のIT企業にプログラマーとして就職した。

 そこで待っていたのは地獄の日々だ。

 忙しいと家にも帰れない。帰ったとしても寝るだけ。プロジェクトが切羽詰まると徹夜も当たり前だった。

 それだけ働いても給料は平均以下。その会社は下請けどころか孫請けだったので上の会社が抜いていくそうだ。

 同期はほとんど辞めていき、僕も毎日転職や退職を考えた。

 だけど奨学金の残高を確認するたびに我慢することを選択した。

 三十歳の時、会社が倒産した。それでもあまり心配してなかったのはこの業界はある程度の技術があれば転職が容易だからだ。

 だけど誤算があった。一つは父親が倒れ、母親も病気が見つかったこと。

 もう一つは度重なる重労働で僕の心はすり減り、また働こうという気力が失われていたことだった。

 僕は実家に呼び戻され、介護をしながら働くことになった。

 収入は親の年金に頼りながら家事をする生活に焦りはあったが休憩にもなった。

 両親も共働きでようやく定年だと言う時にこの有様だ。

 一生懸命働いた末路がこれでは救いがなさすぎる。僕もあのまま働いていたら近いうちに体を壊していたかもしれない。

 もう若くないのは疲れが取れにくくなった体を見れば一目瞭然だ。腰も肩も凝ってばかりだった。

 親の介護は少しの間だけのつもりだった。両親ともまだ六十代だし、その内治るだろうと思っていたからだ。

 だが父親は認知症になり、母親も癌で余命宣告された。

 二人が死ぬことが分かるとつらかったが、それ以上につらかったのは二人ともすぐには死なないことだった。

 父親は日に日に暴力的になり、母親は抗ガン剤の副反応で鬱気味になった。

 僕は二人を世話しながら転職サイトを覗いてみたが、面接に行く時間もまともにない。

 施設に入れようにも二人ともそれだけはイヤだと反対した。

 子供なのだから親の面倒を看るのは当たり前だと言われると、そんな時代じゃないとも思いながら邪険にできない自分がいる。

 結局母親は五年後、父親は七年後亡くなり、その時には既に僕の年齢は三十八歳になっていた。

 再就職しようにも空白期間を指摘され、年齢の高さを理由に面接も受けさせてもらえない。

 両親の年金に頼っていた収入はゼロになり、受け継いだ遺産も奨学金の残りを返すと消え去った。

 なんとか見つけた期間工の仕事もコロナのせいで半年後に打ち切られ、僕はとうとう路頭に迷った。

 僕はずっと自分のことを普通の人間だと思っていた。

 普通に学校へ通い、普通に就職し、そして結婚して子供を育てる。

 途中まではそれができていた。だけど一度足を踏み外すとそのまま奈落の底に落ちてしまう。

 自分の現在地を理解すると、心の底から絶望がせり上がり、死にたくなった。

 僕は一人になり、そして誰も助けてくれない。

 街には幸せが溢れていたが、それは僕には無関心だ。

 カネもあり、家族もいて、将来もある。そんな人達がただただ羨ましく、憎らしかった。

 情けなさは膨らみ、もういっそ死んでしまおうとさえ思えてくる。

 そんな時、僕は石丸さんと出会った。

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