第18話

 まず僕がしようとしたのは香取がやっていたSNS、エルドラドに登録することだ。

 大学卒業後、香取はすぐにトレーダーになっているので会社に勤めていたりはしていない。だから同僚に話を聞くなんてことはできない。

 なら普段使っているSNSをチェックするのが最も効率的に情報が手に入るはずだった。

 でも入会に年収証明書が必要になり、断念した。残念ながらいくら盛っても僕の年収が二千万を越えることはない。

 だが金持ちのあてならある。同じ大学の政治経済サークルに通っていた富岡だ。

 富岡は大学卒業後にマーケティング会社へ就職。八年後の三十歳で独立し、今は小さいながらそこそこ儲けのある会社の社長をしている。

 僕は富岡と会う約束をして、日本橋に向かった。

 仕事の邪魔をしてはいけないと思い、喫茶店かどこかで相談に乗ってくれと言うと、富岡は気にせず事務所に来いと答えた。

 実際言ってみると小さな事務所の中はがらんとしていた。いるのは富岡と部下が一人だけだ。

「仕事のほとんどをテレワークにしたんだ。お前も分かるだろうけどほとんどの仕事なんて家でやれば十分だからな。毎朝満員電車に乗らないでいいし、家賃の高い都心に住む必要もない。どうしても会わないといけない時以外は家でやってもらってるよ」

「進んでるな。じゃあ事務所も引き払うのか?」

「それも考えてる。だけど古いタイプのおっさん共は会社がどこにあるかを気にしたがるんだ。だから同じビル内で前より狭いここに移転した。おかげで家賃も減ったし、電気代も減ったよ」

 富岡は節約ができて満足そうだ。

 前から思っていたが金持ちほど小銭を大事にする。小さな節約ができない奴に大きなカネは貯められないってことらしい。

 僕は応接室のソファーに座り、富岡の部下が淹れてくれたコーヒーを一口飲んだ。少し期待していたけどどこにでもあるインスタントだ。

「で、相談したいことって?」

「それがちょっと言いにくいんだけどな」

 僕がそう言うと富岡は手を広げて突きだした。

「悪いけど、カネは貸せない。連帯保証人にもならない。仕事の紹介くらいならできるけどな」

「全部違う」

「それはよかった。俺はまだお前と友達でいたいからな。それで?」

 僕はスマホの画面を富岡に見せた。

「できればだけど、これに入ってくれないか?」

「これは?」

「SNSだ。金持ち専用の。入るのに年収二千万がいる。そうじゃなければ資産三億。僕にはどっちも無理だ」

「俺だって三億も持ってねえよ」

「でも年収はそれくらいあるだろ?」

 富岡は部下をちらりと見た。部下は後ろに戻っていく。それを確認すると顔を近づけて小声で言った。

「俺のここでの年収は一千二百万。だが別に株や債権の収入も含めるとそれくらいはいくな」

「なら入れる。頼む。お前しか頼める奴がいないんだ。サラリーマンなんて一千万を越えれば高給取りだ。でもそれでもここには入れない。他に知り合いがいないんだよ」

「外資に就職した沖田がいるだろ? あいつは?」

「今ロンドンだ」

 富岡はため息をつき、訝しみながら僕のスマホを見つめた。

「エルドラド。黄金郷ね……。たしかアマゾンの奥地にあるっていう伝説の都だな。胡散臭い名前だ。会員費は?」

「月に一万円。それはこっちで持つよ。僕はある人物を調べたいだけだから。あと、報酬も少ないけど出す」

「いらねえよ。友達からカネもらうようになったら終わりだ。お前は分からないかもしれないけど、カネを持つようになると友達なんてできないんだ。知り合いは全部ビジネス関係。遊びに行ってもカネがちらついて本気では遊べなくなる。もちろん良い奴はいるけど、カネは関係を対等じゃなくならせるんだ。どっかでこいつは持ってて、こいつは持ってないって線を引いちまう。我ながら卑しくなったよ。その分昔からの連れは良い。今でも思い出すよ。夏休み一緒に引っ越し屋でバイトしただろ。あれ、俺の初バイトだったんだ。安い給料で安い酒買ってボロアパートでウイイレしながら飲んだ。あれが一番うまかったし、楽しかったよ」

「あったあった。懐かしいなあ」

 たしか大学一年の夏だ。富岡が彼女とデートをするためにカネがいるということで短期のバイトをしたんだ。

 日給は八千円。仕事が終わるとお互い千円分の酒とつまみを買って、飲む食いしながら中古ショップで百円で売られていたゲームをして遊んだ。

 貧しくも楽しい日々だった。僕に至っては今も貧しいけど。

 富岡はふーっと息を長く吐き、ソファーに深く座った。

「分かったよ。入ってやる。でも調べ物が終わったらすぐ退会するぞ? どうにもここは怪しい」

「怪しい?」

 富岡は頷いた。

「勘だよ。名前といい雰囲気といい、蜘蛛の巣が張られてる気がするね」

「……蜘蛛の巣ねえ。まあ月に一万は高すぎるよな」

「そこじゃない。そこはただの泊だ。高級品を売るセールスマンが自分を高く見せるためにブランドスーツを着るようなもんだよ。まあいい。ちょっと待ってろ」

 富岡はそう言うと自分のスマホを取り出し、会員登録をしてくれた。ちょうど提出しないといけない資料の中に年収証明書があったのも幸いだった。

 必要資料をオンラインで登録するとメールアドレスとパスワードを決めてもらい、僕はそれをメモした。

「ありがとう。月額はこっちで払うし、情報収集が終わったらすぐに退会するよ。もちろんこれを利用したりしない」

「そこは心配してないよ。なんだかんだ言ってお前は根が善人だからな。悪事を働けば大金が手に入ると知っていてもそれができない人間だ。だからと言って幸せになれるとは限らないけど。で、なんに使うんだ?」

「ちょっと前、港区で若い資産家が殺されただろ」

「そういやあったな」

「彼が死ぬ少し前に取材をしたんだ。その男がさっきのSNSに登録していて、だから知りたくなってな」

「なるほど。ムカツク奴だったし飯の種にしようってわけか」

「まあ、否定はしないよ」

 僕と富岡は互いに笑い合い、それから昔の話をして盛り上がった。

 久しぶりに楽しい時間だが、富岡は社長だ。当然忙しい。

 高そうな時計を見るとしまったという顔になった。

「えっと、悪いけど」

「うん。帰るよ。長居して悪かった」

「悪いな。また飲みに行こう。都合の良い日はあるか?」

「なんて言うか、フリーランスでやってるといつでも良いんだけど、いつでも悪いんだ。でもお前ほどじゃない。合わせるよ」

「分かった。じゃあ俺も今の仕事が一段落したら連絡するよ」

「うん。じゃあ」

「おう」

 これがビジネスだけの関係なら言うだけ言ってどこにも行かないことも多いけど、そうじゃないところが友達だった。

 僕は立ち上がると出口へと向かった。その途中で振り返ると富岡は誰かに電話をかけていた。

 たしかにあいつが言うことは正しい。カネがあると変に尊敬してしまう。

 昔は違った。足が速いとか勉強ができるとか面白いとか、そういうところを見ていたはずだ。

 でも大人になると尺度はカネに統一される。いつの間にか自分も他人も年収で人を判断するようになってしまう。そんな場面が増えてくる。

 カネは人の価値観すら変えてしまう。ただのコインと紙に、あるいは数字にはそれほどの魔力がある。

 カネってなんだろうか? 大人になって僕らは大なり小なりそれを手にした。でもカネがなかった時より果たして幸せになれているんだろうか?

 そんなことを考えながら僕は高いビルが建ち並ぶ日本橋の狭い空を見上げていた。

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