第16話

 東京の街を覆面パトカーで走っているとよく視線を感じる。

 こいつらは知っているんだ。あれは危ないと。

 だからスピードを落とすし、道を譲ってくれたりもする。

 車種なのか、それとも雰囲気で察知しているのか。そのどちらかは分からないが、人々は馬鹿じゃない。

 権力に対しては逆らわず、だが裏では舌を出す。その強かさに腹が立つことも多いが、俺もどちらかと言えば彼らの側だ。

 権力は好きじゃない。権力はいつだって人を勘違いさせる。それこそ猿に与えれば自分を聖人だと思い込んでしまう。

 カネはもっと厄介だ。持てばガキが大人になったと勘違いする。

 いくらあっても持っているのがガキならいつしか憎み合い、争い出す。

 権力もカネもほどほどで良い。手に余るならない方が良い。俺はそんなことを思いながら権力とカネで溢れた街を眺めていた。 

 一体どれだけの人間がこの街で権力とカネに曝されて変わってしまったんだろうか。それこそ夥しい数の人間がそれらによって生き方そのものを変えさせられたはずだ。

 優しかった人が遂には暴力を振るうようになる。原因を探るとカネと権力争いの果てに心が狂ってしまったなんてことをこの仕事をしているといくつも見てきた。

 根っからの悪人なんて早々いない。みんなどこかでなにかがズレ、それが大きくなると犯罪が起きるんだ。

 現場に着くまでに梅田が新しく手に入れた情報を教えてくれた。

「そう言えば田尻さんが行ってました。一人消えた男がいるって」

「消えた? 誰がどこに?」

「誰だか分からない男がどこかにです」

 俺がため息をつくと梅田はむっとして呟いた。

「自分はなんにも見つけてこないくせに」

 耳が痛い。実際若い頃のようには動けなくなってきている。

「…………で、田尻はなんて?」

 梅田は車を走らせながら答えた。

「周囲の防犯カメラを遡ってチェックしていると、ある一人の男があの路地に入って行ったのが確認できたんです。でもどこを探しても出てきた映像がないんだそうです」

「いつ?」

「事件の二日前です」

「二日前なら住人だろ。休みが続けば三日くらい家から出ない人は結構いるよ」

「まあ、そうかもしれないですけど」

「この場合、犯人は四種類のうちのどれかだ」

 俺が指を四本立てると梅田は首を傾げた。

「四種類?」

「まず単独犯か組織犯か。そして直情型か計算型かだ」

「単独犯か組織犯か。まあそのどちらかしかないですからね。直情型ってつまりは通り魔ってことですか?」

「そうだ。だがこの場合周囲の防犯カメラに写ってないのがおかしい。もし直情型の単独犯なら後先考えずに殺して逃げるはずだ」

「たしかにそれだと運が良すぎますね」

「周辺住民なら別だがな。殺したあと家に戻ればいいだけだから」

「でもあの路地にあるマンションには防犯カメラがありますよ。入り口。エントランス。エレベーター。非常階段。カメラは外に向いてないですけど、マンション内を動けば分かるはずです。住宅もありますけど住んでいるのは老夫婦ですし」

「マンションの防犯カメラなんて死角だらけだ。探せば映らずに出入りできる場所もあるかもしれない。でもその場合は直情型じゃないくて計画型になる」

 梅田は頷いた。

「じゃあ計算型の単独犯の場合は?」

「こっちは二つの可能性がある。一つ目はさっきと同じ殺してすぐに帰宅した。もう一つは殺してから防犯カメラに写らないようにその場から去った」

 梅田は眉をひそめて左折する。

「あんな街中でカメラに写らない方法なんてあるんですか?」

「ないだろうな。だから計算型の場合も戻るのは家だ。この路地に面する家に暴行や傷害などの前科がある奴を調べてきた。他の奴も行ってるかもしれないけど、あとで行くぞ」

「分かりました。でも組織犯の場合は? そもそも直情型の組織犯っているんですか?」

「一応はな。組織で行動していて香取とトラブルを起こし、ついて行って人目のないところで殺害。そして防犯カメラの網をかいくぐって逃走って具合だろう。でもその場合はついていく段階でカメラに写るはずだ」

「じゃあ組織犯の場合は計算型ですね。まあ、それが普通ですけど」

 すると梅田は考え込んだ。

「えっと、計画通りに香取を殺し、計画通りにあの路地から脱出したってことですか?」

「有り体に言えば」

「どうやって?」

「知るかよ」

 俺がそう答えると梅田はため息をついて車を停止させる。頭上の信号は赤だった。

「えっと、計算型の組織犯の場合、動機が分からないんですけど」

「組織が動くのは単純だ」

「と言うと?」

「カネか、尊厳か。それ以外で動く組織はねえよ」

「はあ……。なんか馬鹿みたいですね」

「馬鹿なんだよ」

 梅田は呆れ、俺は肯定した。

「じゃあ動機がカネとして、それならどうして香取は殺されたんでしょう? 今のところ目立ったトラブルは確認されてませんけど。それに香取の財布は無事でしたし、腕にはロレックスが残ったままでしたよ」

「その場合表立ったトラブルじゃないんだろうな。裏で変な組織と繋がったか。あるいはカネでも貸してたか。口約束で何億も貸してれば殺して借金をなかったことにしようって考える奴がいても不思議じゃない。そうなれば小銭を漁るより大金が動く。物を盗んで売ればそこから足がつくかもしれないしな」

「その場合プロの犯行ってわけですね」

「だろうな」

「動機が尊厳の場合は?」

「ヤクザに喧嘩でも売ったか。でも資料を読む限りそういうタイプには思えないし、大抵周囲の聞き込みで埃が出てくるはずだ」

 信号が青になり、車はゆっくりと進み出した。

「う~ん。聞いた感じ通り魔が濃厚ですかね」

「いや。それだと運が良すぎる。あの時間に香取があそこを通ることを知っていないと犯行はほぼ不可能だ。犯人はなんらかの情報を得ていた。香取は勤め人じゃないから定時に帰ってくるところを襲うことはできない。ずっと待ち伏せしていたら周囲の人間に目撃されて怪しい人物として挙がるはずだしな。深夜、パーティーに行った帰りを偶然暴漢に襲われて一撃で死ぬ可能性がいくらある?」

「ゼロじゃないと思いますけど、そう言われればそうですね。香取は一人暮らしですし、あの辺りには香取の知り合いは住んでません。ビジネス関係者もいませんでした。なら計画的な組織犯で決まりですね。動機は先輩の言う通り借金があったとか、インサイダー取引とかその手のトラブルでしょう」

「それなら適当な場所におびき出して攫った方が早いと思うけどな」

 犯人はそれをしなかった。いや。面識がないからできなかった。

 だからあの路地で狙っていた。地元民だけが知っている最短ルートだ。

 だがそれなら新たな疑問が出てくる。面識はないが情報は得られる関係性ってなんなんだ?

 それに組織犯ならどうやって防犯カメラから逃れた?

 どうやってもあの路地に行く必要があるんだ。もし前科があるような奴や、反社会組織に所属しているような奴がいれば、周辺の防犯カメラから手がかりが出る。

 防犯カメラをかいくぐって外に出る方法はいくつかある。変装したり、仲間がいれば車に乗ったり。

 だがそれらを注意して見ても防犯カメラから怪しい人物は見つかってない。おかしな動きをする車両もだ。

 つまり外から入ってきた奴はいる。だが外に出ていない。

 なら犯人はまだあの周辺に隠れているのか?

 もう一つ可能性がある。

 俺は梅田に聞き込みを任せて事件があった路地に赴いた。周囲にあるのはマンション。会社事務所。外国人向けのホテル。あとは古くからある一軒家くらいだ。

 マンションに誰かが忍び込めば内部の防犯カメラに写る可能性が高いし、事務所には鍵が掛かっていた。

 怪しいのはホテルの客と一軒家の住人だが、住人には前科や怪しいところはなかったし、ホテルの客で路地に入って消えた者もいなかった。

 正直誰がやったかは分からない。だが鑑識から気になる情報が上がってきていた。

 俺は付近を散歩していたおばさんに尋ねた。

「すいません。最近この辺りに冷蔵庫が落ちてなかったですか?」

「冷蔵庫……。あ。そう言えばありました。どこかの人が粗大ゴミとして出したみたいです。リサイクルショップが回収するとか書かれた紙が貼られてました。もうないってことは引き取りにきたみたいねえ」

「いつですか?」

「さあ? でも少し前に見た気がするわ」

「場所は?」

「そこの路地ですよ。室外機の隣。端っこに寄せてましたけど」

 おばさんが指差した場所はは香取が殺された場所の延長線上にあった。

「……あの。一つ確認したいんですけど」

「はい」

「その冷蔵庫は横向きになってませんでした?」

 おばさんは少し悩み、頷いた。

「そうそう。なってたわ。だからあんまり目立ってなかったの。近づかないと分からないから。ここは車もあんまり通らないからねえ」

「……そうですか。ありがとうございます」

 お礼を言ったあと、俺の中にイヤな予感が漂った。

 もし。もしだ。田尻の言う男が犯人だとして、この周辺の住人じゃない場合、そいつはその冷蔵庫の中に隠れていたんじゃないか?

 それもこの寒い中、三日間も。ただ一人の男を殺すために箱の中でじっとし続ける。

 俺はゾッとした。そいつの執念に。カネじゃそこまではできない。よっぽどの大金を詰まれないと無理だ。

 借金をチャラにするために大金は詰まない。会社を経営しているわけでもない香取相手にそんな大金を詰んでまで殺そうとしている奴も見当たらなかった。

 ならばだ。そいつはもしかしてカネでなく、なにか恨みかまたは想像もつかない目的のためにその冷蔵庫に潜んでいた可能性がある。それも跡形もなく消えたところから見ておそらく一人じゃない。

 もう二月だ。いくら東京でも深夜は零度近くまで冷え込む。そんな中、一体どれほどの執念があればそんなことが可能なんだろうか。

 想像しただけで俺は冷や汗をかいた。

 冷蔵庫の中は確認済みだ。ずっとその場にいて回収会社が連れて行ったことはありえない。

 もし本当に中に隠れていたとしてもこの路地から消えたことには変わりなかった。

 俺は深く息を吐くと、聞き込みをしている梅田の元に向かった。

 その途中で自販機に寄り、缶コーヒーを買った。

 この自販機に取り付けられた防犯カメラの映像も回収したはずだ。

 犯行時刻の前後に三人の客が買っていたことを確認しているが、どれも不審な点は見当たらない。そもそも彼らは路地にすら入らなかった。

 缶コーヒーを飲むと少し体が温かくなる。それでも足下は冷えたままだった。

 俺は犯人と思われる男が消えた薄暗くて人気のない路地を見つめた。

 男はこの路地で何を思い若い資産家を殺したのだろうか。

 どのみち殺人犯だ。普通の精神状態じゃないだろう。

 しばらく頭の隅にへばりついた怨念のような考えは取れなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る