第14話

 刑事・浅井律樹



 本当の悪人は捕まらない。

 これが警察に入ってから分かった最も衝撃的なことだった。

 悪人なんだから捕まるはずだ。俺は警察学校時代までそう考えていたが、それも刑事を続けていくと違うのだと気付かされる。

 組織犯罪が多発する昨今、捕まるのは実行犯や精々が幹部だ。

 本丸である計画犯は常に安全な場所にいて、現場の者はその存在すら知らないことも多い。

 組織を壊滅させたとしても頭脳は生き残っているのでまた人を集めれば再生する。

 犯罪組織に属する者なんて大抵は金目当てだから、報酬さえ準備すれば無法者はすぐに集まってくるものだ。

 その上計画犯は見つかったとしても多額のカネを払って弁護士に守ってもらえる。

 法律は誰にでも平等だ。それはつまり悪人にも平等だということでもある。

 その法が抜け穴だらけなら、必死の思いで計画犯を捕まえたとしてもすぐに逃げられる。それも表から堂々と。穴の空いた網で魚を捕るようなものだ。

 苦労するのはいつも現場なのは警察も犯罪組織も同じなのかもしれない。

 守る術を持っている者だけが上で悠々とした生活を送っているのも含めて。少なくとも俺達に天下りなんてできない。

 つまりは頭脳と実行力なんだ。

 それがある奴はどの業界でも上に登り、高級な椅子に座りながら指示を出すだけで多額の報酬と名声を得る。

 それがなければ必死に働き、そして捨てられるしかない。

 俺にはそれがなかった。だが刑事としての仕事には誇りを持っている。だから三十六歳まで辞めずに続けている。

 毎日毎日事件よ起こるなと願いながら。

 だが、いくら祈っても事件は起きる。軽犯罪は元より、傷害事件や強盗など、この東京では日常茶飯事だ。

 だけど一つだけ、特殊な事件がある。

 それが殺人だ。

 日本で殺人事件が起きるのは珍しい。一年間に起きる殺人は既に三百件を切った。つまり一日一件以下だ。

 日本の市町村は約千七百カ所なので、自分の街で殺人が起きるのは大体六年に一度あるかどうかということになる。

 いくら犯罪件数日本一の東京都でも殺人は珍しい事件だ。

 それが管轄内で起きた。それも比較的都会の地域でだ。

 辺りにあるのはマンションや宿泊施設、そして小さな事務所くらい。ここで起きる事件の多くが空き巣などの盗みだった。なので今回も強盗殺人だと俺は考えていた。

 だが違った。被害者の財布はポケットの中にあった。なにより腕に付けられたロレックスが手付かずだ。

 強盗ではない。これは純粋な殺人だ。

 殺されたのは投資家の香取光一。二十九歳。この若さで既に総資産七億という金持ちだ。

 投資家の間ではある程度有名だったそうだが、特段恨まれていたという話は今のところ聞かない。

 だがそうなるとおかしい点がいくつかある。

 香取が殺されたのは夜の十二時。金持ち達が集まるパーティーからの帰り、タクシーに乗った香取は大通りで下りてマンションまで歩いた。

 大通りからマンションまでは徒歩一分。なぜマンションまで送らせなかったのかは分からなかったが、香取と親しい人物からはその性格のせいだろうという証言が取れた。

 香取の住むマンションは新しくできたこともあり運転手が知らないことが多かった。香取自身乗るたびに説明するのが面倒だとこぼしていた。なので大通りにあるコンビニ近くを指示することが多かったそうだ。

 タクシーで外出する時も大通りまで行き捕まえていたそうなので、おそらくその通りなんだろう。

 もちろん雨が降っていれば別だが、犯行当時は晴れていた。

 犯行が起こったのはマンションの近くにある路地。大通りからマンションまでの最短ルートだ。

 発見は早朝の四時。新聞配達員が近くのマンションに向かうためにバイクから降りると路地で誰かが倒れていた。近づいてみると動かず、警察に通報した。

 見つかった仏が香取だと判明したのがついこの間だ。

 ここで考えられる可能性は二つ。

 香取は通り魔にあった。

 または計画的に殺されただ。

 香取の死因は頭部挫傷。後頭部を強く打ったことが直接の原因だと司法解剖で明らかになっている。

 事故の可能性もあるが、それならどこかで頭を打ったことになる。周囲の状況から見てこれは他殺だと結論付けられた。

 バットのようなもので殴られたのだろう。それも背後から。犯人と向き合っていたら後頭部は殴られない。

 バットの向きは横向き。なら逃げていた途中に殴られた可能性もない。人を追いかけながらバットを真横に振る奴はいないからだ。

 つまり香取は何者かに待ち伏せされ、背後からフルスイングされた。

 周辺住人によるとあの辺りを深夜に歩くことはまずないらしい。

 もし犯人が通り魔なら誰も通らない道に潜み、運良く、あるいは運悪くやってきた香取をあの世にホームランしたことになる。

 確率的にゼロではないが、やはり相当低いだろう。

 ならこれは計画殺人だ。それも香取の習性をよく知った者の犯行ということになる。

 知人がやったのか、それとも用意周到なプロの仕業か。

 大通りから香取の住むマンションまでで防犯カメラがないのはこの路地の周辺だけだ。他は開発が進み、どこもかしこもカメラがついている。

 この辺りには横に三本、縦に二本の路地があり、香取が殺されたのは縦の線の左側で横の線の上と真ん中の間に位置する。

 この路地から防犯カメラのある場所への出口は十カ所。犯人はこの十カ所の内、どこからか外に出たことになる。

 今は別の班が周囲の防犯カメラをチェックし、犯行から遺体発見時までの間に出てきた者を探している。

 日本の警察は優秀だと言われるが、個人的にはあまりそうだと思わない。

 俺達がやっているのはあくまで地道な作業だ。そしてその作業をするためには目撃者の証言や防犯カメラの映像など様々な要素が必要となる。

 俺達に特段優れた推理力があったりするわけではない。逆に推理はえん罪を生む可能性もあった。だから証拠探しに這いずり回る。

 優秀なのは警察というより、そういった証拠が簡単に集まるこの国なんだろう。もちろん司法解剖などは大いに役立っているが。

 犯行の場所に防犯カメラがなくてもその周りには必ずある。そして一度カメラに写ればあとはリレー式に映像を探していくだけだ。

 よっぽどのことがない限り犯人の位置は特定できるだろう。

 通り魔なら今日か明日にでも見つける自信はある。

 だが相手がその手のプロや犯罪集団なら話は別だ。

 奴らは狡猾に証拠を消してくる。足がつかないようにする方法をいくつも用意している場合もあった。

 またはヤクザによくある尻尾切りだ。見つかりそうになった時は下っ端に自首させ、首謀者を守る。そうなると真犯人を捕まえるのはかなり難しい。

 最悪犯人は既に死んでいるという可能性もある。

 死んでしまえば永遠に捕まえられないし、真実も分からない。

 そうなった場合、大事になるのは動機だ。

 財布とロレックスは放棄している。なら強盗はない。

 考えられるのは恨みをかっているケースだが、その場合は周囲もトラブルに気付いているのがほとんどだ。聞き込みを続ければ容疑者は絞れるだろう。

 有力なのは直前に行ったパーティーの関係者。または仕事上のパートナー。あるいはカネを稼ぐ段階で闇稼業の者と関係を持ってしまったか。

 いずれにせよ今はネット社会だ。スマホを見ればメールやSNSからトラブルの香りが出てくる。

 幸いにもスマホは遺体のポケットに残っているし、パソコンも押収済みだ。

 スマホは暗証番号がなければ起動しないから改竄されている可能性は低いし、パソコンのあるマンションに誰かが入った形跡もない。

 犯人はいずれ捕まる。その自信はあった。

 だが四日経っても容疑者さえ浮上しない状態が続くと、俺達捜査本部は静かに焦りだした。

 スマホやパソコンを調べてもトラブルに巻き込まれた形跡はない。

 それどころか通り魔かどうかさえも分からない。

 なぜならあの時間帯、事件があったその路地から防犯カメラのある場所に出てきた者が誰一人いないからだ。

 つまり犯人は香取を殺したあと、跡形も亡く消えてしまった。

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