第9話

 なんとか日雇いとネットカフェで生き延びていた私だけど、コロナが世界を襲うとそれも安定しなくなった。

 日雇いの仕事を見つけて現場に行っても人数オーバーだと言って追い返されることがたびたびあった。それほど職のない人が増えたらしい。たしかに最近若者をよく見る。

 働けない日が増えるとカネはすぐに減っていき、私はとうとう炊き出しに並ぶことにした。

 まだ春だが、夜は冷える。近所のホームレスが凍死したと聞いてからカネは食べ物より屋根に回すことにしていた。

 そうなれば一食二百円なんて言ってられない。一食百円。いやもっと安く。そう考えて辿り着いたのがホームレス向けの炊き出しだった。

 それまで自分がホームレスだと強く思ったことはなかった。一応ネットカフェで寝泊まりしているし、臨時収入があれば安宿に泊まることもあった。

 だが外で暮らす彼らと一緒の炊き出しに並ぶとそんなちっぽけな誇りは消え去り、現実が身に染みた。

 少しずつ、落ちていく。そんな感覚が全身を包んだ。

 尊厳は既にない。この先にあるのは死だけなのだろう。

 もう私にはなにもない。どこまで行ってもあるのは孤独だけだ。

 公園の隅っこで炊き出しの具がないおにぎりを食べていると自然に涙がこぼれた。

 ただそれは一滴だけで、それ以上は出てこない。私は既に乾ききっていた。

 明日死のう。そんな決心がついた。

 その時だった。声が聞こえた。

「良い天気ですね」

 と彼は言った。

 辺りには誰もおらず、それが私への言葉だと気付いた。いや、もしかしたら彼の独り言だったのかもしれない。

 そこでようやく私は空を見上げた。

 たしかに悪くない天気だ。雲はあるけど晴れている。

 彼は微かに上を見て静かに、それでいて穏やかに続けた。

「もし死ぬならこんな天気の日がいい。晴れすぎてもよくないし、雨はあまりにもそれらしい。これぐらいがちょうど良い気がしませんか?」

「…………さあ」

 そう想う気持ちもなくはなかったが、それ以上に私は警戒していた。だがそれも差し出された缶コーヒーで緩んでしまう。それほど私は弱っていた。

 会釈してコーヒーを受け取ると温かかった。それがなによりも嬉しくて、たったこれだけで安堵してしまう。

 蓋を開けて飲むと体の中も温まり、自然と深い息を吐けた。こんな風に息を吐いたのはいつぶりだろうか。そんなことを考えるほど最近は追い詰められていた。

 彼は私の隣に座ると沈黙して公園の奥に広がる都会を見つめていた。少し離れた場所では男が近くのホームレスに話しかけている。

 一体なんなんだろうか?

 それは分からなかったが、悪い人ではない気がした。

 彼は少ししてから尋ねた。

「一つ聞いていいですか?」

「……はい」

「あなたは自分から死ぬことができる人ですか?」

「…………おそらく」

 口に出してからそれが事実だと気付いた。

 よくある死にたいではない。死ねる。死んでいい。

 自分の気持ちを再確認するとなぜだか心が軽くなった。

 彼はどこか嬉しそうだった。

「そうですか。ならあなたはもう無敵だ。命という枷がないのならなんでもできる。怖れることはなにもない」

 彼は私の方を見た。そして優しく微笑んだ。

「あなたに出会えてよかった」

 たったその一言が私を救ってしまった。

 今の今まで誰からも相手にされてこなかった自分に向けて、彼は初めて言って欲しかったことを言ってくれたのだ。

 おそらくあの瞬間、私は死んだのだと思う。

 なにかを終わらせてしまう。それほどまでに彼の言葉は温かかった。

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