第4話
僕は三時間ほど睡眠を取ってから眠たいのを我慢して体を起こした。二十代の頃は徹夜も当たり前だったのに今は寝ないと動けなくなっている。
朝食は昨日スーパーで買った見切り品のおにぎり二つ。それを食べてから眠気覚ましにインスタントコーヒーを一杯飲むと安アパートを後にした。
取材のためファミレスに向かおうと思ったが、どうにも車の調子が悪かった。
最近ずっとそうだ。信号待ちで止まっているとエンストすることが何度かあった。時折異音もするし、ぶつけた痕も痛々しい。
中古で買った軽自動車はガタが来ていて、何度も廃車を薦められた。それでも金もないためなんとか知り合いの業者に頼んで延命措置を施してもらっている。
新しいのを買いたいのは山々だが、そんな金が一体どこにあるのか。僕は都内を走るピカピカの高級車を眺めながら一人嘆息した。
今日の仕事は言わば尻ぬぐいだ。
本当は出版社の正社員がやるはずの仕事だったが、直前で都合が悪くなり、代わりに行ける者を探していたところ僕に回ってきた。
スケジュール的にもやりたくはなかったが、ここで断れば仕事を回してもらえなくなるかもしれない。
フリーランスは自由だと思われているが、結局仕事を得るにはある程度の我慢はしないといけない。
なにせ僕にはもうなんの後ろ盾もない。昔のように名刺を見せれば企業の名前で受け入れてくれるわけじゃなかった。大企業に勤めていても看板を外せばただの凡人なのだと思い知らされた。
約束のファミレスに着くと駐車場に車を駐めて中に入った。幸いにもまだ取材対象は来てないらしい。
僕は前もって渡されていたメモに目を通した。ここにある質問を核にして僕も興味があることをいくつか聞いてこいと言われた。
中々整理されたメモだ。この人はかなり仕事ができるに違いない。真面目だ。ただ真面目すぎる。僕は仕事で頑張りすぎて認められても体を壊して辞めた人をたくさん知っていた。
この人は大丈夫だといいけど。そんなことを思っていると電話が鳴り、取材対象が着いたとの連絡があった。
すぐにその男はやってきた。パーカーにジーンズ姿。思っていたより地味な格好だ。
そして若かった。二十九歳だと言うが、実際はもっと若く見える。
彼の名前を香取といった。フランクな感じだが、所々に自信が垣間見える。
香取はこの若さで資産家だった。大学在学中から始めた投資で元手を何倍にもして、今や総資産は七億にも及ぶ。
今日の取材はいわゆる財テクだ。ビジネスマンが好きそうなネタだった。そして読者の好きそうなネタでもある。
人々はどうしたらカネを稼げるかをいつも知ろうとしている。
そして大抵の人間は他人が貧しいことを知るより、自分が裕福になれる方法を知る方が喜ぶものだ。
「はじめまして」
香取はにこやかに挨拶した。手首に巻かれたロレックスが光る。
「取材を受けてくれてありがとうございます。自分は佐藤の代わりを任された大鳥と言います」
僕が握手をすると香取は苦笑しながら辺りを見回した。
「ファミレスなんて久しぶりに来ました。こういうのってホテルの一室とかでやったりすると思ってましたよ」
急な依頼でそこまで気が回らなかった。と言うより普段の取材と同じように考えてしまっていた。
最近は生活が苦しい人ばかりを取材している。そういう人達には高そうなホテルでオシャレな紅茶セットを頼むよりお腹いっぱい食べられるファミレスの方が喜ばれた。
「……すいません。気が利かなくて」
「いえいえ。全然。むしろこっちの方が落ち着きます」
香取は楽しそうに笑って座り、メニューを見てまた笑った。
「懐かしいなあ。学生の頃よく友達と来てました。メニューはずっと変わってないんですね」
ここはファミレスの中でも高い部類だ。僕が学生の頃は入れずにもっと安いところに行ってドリンクバーを飲めるだけ飲んでいた。さすがに有名大学の出身は親も金持ちが多い。
注文したコーヒーセットがくると僕はさっそく質問を始めた。
「香取さんはその若さで随分と資産を築いてますよね? そのきっかけとなったことを教えてくれますか?」
香取はやはり自慢げに自分の半生を語った。
大学生になると家庭教師のアルバイトを始め、そのほとんどを貯金し、ある程度貯まったところで興味があった投資を始めた。
最初は損得を繰り返していたが勉強するうちにコツを掴み、アメリカ株や仮想通貨に投資。その結果資産を今にまで増やせた。
香取は自分の考え方や投資にまつわる小話などを聞かせてくれたが、あまり目新しいものはない。
僕からすれば運がよかったようにしか聞こえなかった。もちろん努力はしたんだろうし、運だって手を伸ばさないと掴めないのは分かってる。だとしても香取から特別な何かは感じなかった。
録音していた僕はメモも取らずに香取の経歴を調べた。たしか前任者のメモに書いてあったはずだ。
あった。なるほど。小学生から大学までずっと有名私立に通っている。学費だけでもかなりの額だろう。
学生の頃バイトしていたと言うが、それだけじゃ家賃と食費でかなり使うはずだ。そういう話がないということは学費も親に出してもらったのだろう。
そして貯めたカネで投資を始め、時流に乗って稼いだというわけだ。
香取は全て自分の力でやり遂げたような顔をしている。カネを稼ぐ才能はあっても自分を知る力はないらしい。
出てくる言葉は苦難を克服した経験からでなく、ほとんどが本やネットで得た知識ばかりだ。
だから薄っぺらい。これは僕の偏見だろうか?
若くしてカネを稼いだエリートの若者に対する嫉妬?
それもあるだろう。あるだろうが、それ以上に思うのが、彼にはカネ以外の魅力がないということだ。
まあ、カネも持たない僕にそんなことを思われても負け犬の遠吠えだと笑われるだろうが。
「……なるほど。すごいですね。とても勉強になりました」
香取は褒められて満更でもない様子だ。
「人間、目標に向かって努力すればいつか夢は叶うはずです。逆を言えば夢が叶ってないのはその人が頑張ってないからですよ。僕から言わせればほとんどの人が努力不足です」
香取の言うほとんど人にはどうやら僕も含まれていそうだ。
「……かもしれませんね。でも日本のサラリーマンはよく働いていると思いますよ」
「ただ疲れてるだけですよ。自分の頭で考えることが足りなすぎます。本当にお金が欲しいならもっとお金を稼ぐことについて考えるべきですよ」
お前と違ってみんなそんな余裕もないんだよ。奨学金を返してローンを支払えば手元に対して残らない。投資なんて夢のまた夢だ。
「……なるほど。耳が痛いですね」
僕が納得してみせると香取は有用なアドバイスができてよかったと言わんばかりに嬉しそうだった。
それを見て僕はこの男もかと内心嘆息した。
この仕事をしてきて分かったことが一つある。
金持ちは人の痛みより自分の目標を優先できる人間だ。
そして貧乏人は自分の目的より他人の目線を気にする人が多い。
そして彼らは使う者と使われる者に別れる。ある意味噛み合っていた。だからこの社会は回っているんだろう。
もしかしたら僕が貧しいのは人のことを気にしすぎているからかもしれない。
だとしても僕はやはりあちら側には行きたくない。カネは全てじゃないと思っているし、持っているから偉いとも思ってないからだ。
取材しながら僕はそう思ったが、カネの魅力を感じている自分がいるのもまた事実だった。
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