第7話

 詰所を出たヴォイドは下宿先に向かって歩いた。気が重く、足首が地面へ沈みそうだったので気持ちを立て直そうと空を見上げる。

 点々とした星の輝きはくすんでいて、その手前を白っぽい雲が流れていた。自分が生まれるよりも遥か昔、スフィアに『太陽』なんて偉大な存在が浮いていたとは信じ難い。


 そんな下を街の人たちが行き来する。大半は鉱山の労働者で、残りは水晶の加工職人と商人といったところだ。ヴォイドのような兵士は数が少ない。

 フォトンを宿した街灯が並ぶ通りはいつもと変わらぬ景色である。遠くでは水晶を運ぶための列車も見えた。いつもの景色に、ただただ虚しさだけが込み上げてくる。


(ったく。命懸けで教団の要人を助けて、この扱いかよ……)


 隊長の顔を思い出すだけで怒りが込み上げてくる。兵士として十分な働きをしたと自負していたのに、下された処分はあまりにも酷い。考えれば考えるほど納得がいかなかった。


(二ヶ月の謹慎処分? しかも給料が出ないって…… 金が必要なのに、どうすればいいんだよ!)


 さっさと帰って、食事を摂って寝てしまいたい。

 今の気持ちを一度、切断しないと押し潰されそうだった。このままでは感情の悪循環に耐えられそうにない。


「あ~、そこのキミ。ちょっといいかな?」


 だからこそ、見知らぬ人物にいきなり声をかけられたヴォイドは反射的に睨み返してしまう。その強気な視線も数秒と持たず、すぐに怪訝な表情へと変わる。

 声をかけてきた人物をヴォイド以外の通行人も凝視していたのだ。


「本当に生きているとは……」

「え? あんた誰?」

「おっと、怪しい者じゃない」


 そいつは両手を挙げて無害をアピールしたが全くの無駄に思える。

 どう見ても怪しい女だ。女だと分かった理由は二つあって、一つ目はよく通る高い声がそうだ。

 二つ目は身に付けている衣装。パンツスーツの上にコルセットやベルトを巻き重ねた奇妙な出立ちで、起伏の激しい身体のラインが露わになっている。

 最大に怪しいポイントは服よりも、目元を覆う仮面だ。骨のように艶のない白色をしていて「邪悪な儀式に使う」と説明されたら素直に信じそうである。しかし、素顔が分からないにも関わらず口元や顎の造形から美貌の持ち主だと推測できた。

 女性は細い顎にグローブを嵌めた指先を当てて逡巡している。


「ふむ。往来の真ん中で立ち話も野暮だね。どうだろう、あっちのカフェでお茶でも飲みながら話すというのは? 勿論、奢りだ。それから自己紹介をしよう」

「いや、その前に。俺に何か用なの?」

「ボクはキミをナンパしているんだよ」

「ナンパって……」


 女性に声を掛けられただけでなく、誘われてしまった。それも見た目が飛びきり怪しい相手である。半眼になったヴォイドは、スッと女性を避けてその横を通り過ぎる。


「あぁっ!? ま、待ちたまえ!!」

「いや、急いでいるんで。それに知らない人についていっちゃダメでしょ」


 とりつく島もなく突き放すと、女は食い下がるようにヴォイドの前方へ回り込んで両肩に手を伸ばしてくる。骨色の仮面が眼前に迫ると流石に圧迫感を覚えた。同時に香水の匂いが鼻を掠め、なんとも複雑な感情が湧きあってくる。


「ボクは強い奴を探している! この街で聞き込みしているうちに、キミのことを知ったんだ!」

「まさか俺と戦いたい、なんて言い出すつもりか? 悪いけど、謹慎処分くらって武器を全部取り上げられているんだよ。そうじゃなかったとしても喧嘩なんて面倒だし、ゴメンだ」

「そんな物騒な真似するわけないだろ。見ての通り、ボクはか弱い乙女だ」

「か弱くも、乙女にも見えないけど……」

「ひどい!?」


 目元を隠しているのでハッキリとした年齢は不明だが、どう見ても二十代半ばである。か弱そうにも見えない。

 そんな怪しい仮面の向こうで落ち込んでいるのは確からしく、声のトーンは弱々しくなる。


「うぅ…… これでは埒が開かない」

「ノリのいいお姉さんだなぁ」

「はっはっは、そこはボクの美点だ」

「急に元気にならないでくれ。分かったよ、話くらいは聞いてやるから」


 しつこさに呆れたヴォイドは要求に折れ、仮面女の指したカフェへと足を向ける。すると仮面女はガシッと腕を絡めてきた。ヴォイドの二の腕に、馴染みのない柔らかな感触が押し付けられる。


「な、なにしてるんだよ!?」

「逃げられたら困るからね。さぁ、席に座りたまえ」

「逃げないって! だから離してくれ! っていうか、話をするんだから反対側に座ってくれ!」


 バタバタした様子を店員にまで笑われ、いよいよ帰りたくなってきた。

 仮面女は全く照れた様子もなく離れ、テーブルの対面に腰を下ろしてメニューをパラパラとめくる。


「好きなものを頼んでいいよ」

「ハーブティー。シミル地方の茶葉のやつ」

「酒を頼んでも構わないんだよ」

「カフェには置いてないだろ。それに俺の故郷のお茶なんだ」

「そうか。では、ボクも同じものをいただこう」


 注文を終えて店内を見渡すと、やはり奇異の目が向けられている。馴染みのない場所でどうにも居心地が悪い。


「さて、自己紹介をしよう。ボクの名前はスカル。世界探究者だ」

「せかいたんきゅうしゃ?」


 まるで聞いたことのない言葉に首をひねる。

 その反応を待っていたとばかりに、スカルと名乗った仮面女は髪をかき上げた。


「そう。この世界の……スフィアの謎を解き明かすために各地を旅している」

「初めて聞くぞ、そんなことしてる奴なんて」

「はっはっは、仕方ない。ボクは時代の先駆者だからね」


 得意そうにポーズをとる店員がハーブティーを持ってきた。カップに注がれた黄金色の液体から懐かしい匂いが立ち込める。

 スカルは意外なほど上品な仕草でソーサーごとカップを持ち上げ、唇を付ける。


「いい香りだ。ところで、この湯を沸かしたのはフォトンの力だ。あの街灯の明かりも同じ。空に『太陽』とやらがあった時代は、そこら中でお湯が沸いて眩しかったのだろうね」

「変わってるな、あんた」

「そういうキミもね。シミル地方出身ということは、農家の生まれかな。あの辺りはフォトンを照射して野菜や果物を栽培している。まぁ、鉱山に出稼ぎというのはよく聞く話だが兵士の道を選ぶとは珍しい。別にルインまで来てやることじゃないからね」

「世間話なんてどうでもいいだろ。その世界探究者とやらが俺に何の用だ?」

「では単刀直入に言おう。とある場所を探検したい。そこでボクを護衛して欲しいんだ」

「わざわざ俺に頼むのか? 腕の立つ人間なんていくらでもいる」

「入隊初年度で外殻兵士隊の剣技大会で総合優勝。キミは、この地方では右に出るもののいない若き天才だ。違うかい?」

「たまたまだよ。煽てたって何も出ないぞ」


 面倒臭いと思って断る方向へ舵を切る。兵士が本業以外の仕事をするのは珍しくないが、ヴォイドはこの手の依頼など受けたことはない。


「最後まで聞いてくれ。その場所というのは古代魔術文明の遺跡なんだ。中には『灰人』が徘徊していて、かなりの危険が伴う。ボクの見立てでは、キミ以外に頼めそうにない」

「魔術? 魔術って、あの『魔術』のことか?」

「そう。その『魔術』だよ。忌まわしき禁呪。忘れ去られた叡智。スフィアに『灰色の魔王』を呼び寄せてしまった元凶だ」


 怪しげな仮面女の口から『魔術』なんて単語が飛び出してきて、もうこれ以上に怪しいことはない領域まで入ってきた。ヴォイドは軽い頭痛を覚えながら、ハーブティーを啜る。


「魔術なんて御伽話でしか聞いたことない」

「実在するよ」

「……悪いが断らせてもらう。魔術にビビったわけじゃないけど、『灰人』を倒せるのはフォトンの武器だけだ。あれは個人での所有が禁止されているし、詰所で管理しているから手元に無い」

「ボクの方で用意する。外殻兵士隊に配備されているものと同じものを。だから心配しなくていい」

「何で用意できるんだよ。あれは一般には売られていないぞ」

「色々と伝手があるんだ」


 スカルは仮面の下で笑ってみせたが、余計に不安を掻き立ててくる。

 目の前の女が非合法に手を染めているのは間違いなさそうだ。


「そこまで準備までしてくれて、報酬はいくら払ってくれるんだ? 兵士の給料三ヶ月分か?」

「ふむ。目的を達したら三年分を支払おう。依頼に従事してもらう期間は一週間だ」

「さ、三年分!? たった一週間で!?」

 予想の十倍以上の額を切り出されたヴォイドはハーブティーを一気に飲み干してしまい咳き込んだ。

「大丈夫かい?」

「げほっ、げほっ…… だ、大丈夫。少し驚いただけだ」

「高額報酬だろう? 『灰人』と戦うリスクはあるが、それは普段の兵士の仕事とそう変わらない。悪い話ではないよ」

(三年分の給料があれば……)


 グラグラと心が揺れている。もうあとひと押しで「はい」と首を縦に振ってしまいそうだ。それほど誘惑が強い。

 しかし、あまりにもうまい話だ。素直に信じられるほどヴォイドは無垢ではない。考えれば考えるほど得体の知れない不安が募る。

 逡巡している間もスカルはにこやかな笑顔で答えを待っていた。決してヴォイドを急かそうとしない。

 だからといって信用に値する人物かと聞かれれば、そんなことはなかった。

 ヴォイドは後ろ髪を引かれる想いで席を立つ。


「……やっぱり断る。俺には兵士の仕事があるし」

「そうかい? キミにとってもメリットはある話だと思うけどね」

「お茶、ごちそうさま。悪いけど他を当たってくれ」

「ボクも楽しかった。まぁ、キミ以外の人間を誘うつもりもないから気が変わるのを待つとするさ」


 席に座ったままのスカルは、にこやかに手を振ってヴォイドを見送った。ハーブティーの残りをゆっくりと味わうつもりらしい。もっと強引に勧誘を続けるのかと思ったが、あっさりと解放されて拍子抜けする。


「しばらくはこの街に滞在するよ。今度は仕事の話を抜きにして、お茶しよう」

「気が向いたらな」

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