第3話

 ヴォイドは濃紺色のマントを翻し、腹の前で腕を交差させた。流れるような動作で腰に下げたランタンへ左手を伸ばし、同じく腰に下げた鞘から右手で剣を引き抜く。

 透明なガラスの刃がゆらりと、永遠の夜の下で煌めいた。

 その向こうに『灰人』を見ながらファイバーケーブルでランタンと剣の柄を繋ぐ。カチン、と小気味いい金属音が響くと蓄えられたフォトンが刀身へと満ちる。それは街灯よりもずっと力強く輝き、闇を威圧しているかのようだった。

 横に立っていた隊長もヴォイドと同じ動作で輝く剣を抜いている。

 警戒を強めたのか、対峙する『灰人』は霧状の身体を左右に揺らしながらその場で足を止めた。互いに睨み合い、空気が張り詰めていく。


「いいか、ヴォイド。分かっているとは思うが『灰人』に触られたら終わりだ。奴らのドレイン攻撃は……」

「はぁっ!!」


 隊長のセリフを遮るようにヴォイドが駆け、『灰人』との間合いを詰める。敵は頭ひとつ分以上、大きい。形は人間に近いが目も口も鼻も無く、服も着ていない。ただ輪郭だけが人間と似ている。そんな奴が腕を振り上げ、こちらに触れようと手を伸ばしてきた。


「喰らうんじゃないぞ……って、人の話を聞けぇ!?」


 背中越しに隊長の怒鳴り声が聞こえる。しかし、ヴォイドの意識には届かない。高まった集中力は相手の四肢の動きを的確に捉えていた。

 姿勢を低くして腕の一撃を掻い潜り、生じた隙を見逃さず、発光するガラスの刃で敵の胴体を両断する。『灰人』の上半身と下半身は一滴の血も溢さず、断末魔すら無いまま、ただ元あった霧のように散り散りになって消えた。


「ふぅ」

「なにが『ふぅ』だ! 命令を無視して勝手に飛び出すんじゃねぇよ!」

「いえ、命令される前に飛び出しましたよ。だから無視してません。それにちゃんと倒したじゃ無いですか」

「余計にタチが悪い! くそっ、腕が立つからっていい気になるなよ。俺が、なんのためにお前みたいな新人のペーペーと組んでいるのか分かっていねぇな……」

「た、隊長ぉッ!!」


 バタバタした足音と悲壮な声が隊長の言葉を遮る。ヴォイドと二人でそちらを振り向くと、濃紺色のマント姿の隊員が走ってきた。その後ろに別の『灰人』が追い縋ってくるのが見える。

彼とすれ違うようにヴォイドが走り、『灰人』目掛けてガラスの剣を叩き付けて縦に両断した。逃げてきた男は腰を抜かしてへたり込む。


「た、助かったぁ……」

「背を向けて逃げ出すとは何事だ!!」

「申し訳ありません…… しかし、それどころではないのです! 向こう側で、掘削坑を囲むように無数の『灰人』が出現しました! 必死に隊員たちが応戦していますが被害も出ていて……」

「なんだと?」


 その証拠と言わんばかりに、穴の対岸で無数のフォトンが明滅を繰り返していた。街灯であれば明るいままの筈だし、頻繁に位置が変わることもない。間違いなく戦闘が行われている。


「バカな。『灰人』が群れを作ることなんてあるのか……?」

「分かりません。いきなり空間が裂けて、その中から大量に現れたんです」

「そんな話は聞いたことないぞ。うーむ……」


 顎に手を当てて逡巡する隊長だったが、経験や知識からも異常事態としか言えなかった。

 かといってグズグズはしていられない。


「どう現れたかは置いておく。基本に従って戦力を集中し、各個撃破しろと伝えろ! 絶対に掘削坑の中に入れるなよ。お前も持ち場に戻れ! 聖女フォグがいるんだぞ!」

「は、はい!」


 指示を受けた隊員は平静を取り戻し、走り去っていく。

 隊長の顔は歪んでいて、焦りが見て取れた。

 ヴォイドは剣を抜いたまま、腹に力を込める。


「俺も行きます」

「お前は、ここで待機だ」

「え? なんでですか?」

「人の話を聞かないヤツを集団戦闘に入れるわけにはいかん。かえって足を引っ張ることになる。いいな、分かったか?」

「さっきだって倒したんですよ」

「もう一度だけ言う。ここで待機だ! 敵が現れたら絶対に逃げろ。交戦は禁止! これは命令だぞ、いいな!」

「……」


 捲し立てた隊長は、フォトンの輝きが幾重にも重なっている場所を探しながら走り出して行く。そこで仲間が戦っているのだ。その背を見送ったヴォイドは不満そうに口を尖らせ、地面に転がった石ころを蹴った。


「ったく、なんだよ! 逃げてきたヤツより、俺の方が強いだろ!」


 遠くで外殻兵士隊が戦っている。

 全員がフォトンを蓄積したランタンとガラスの剣を持っていた。

 注意深く観察すると、灯りが消えて戻らない箇所もある。隊員が倒されてしまったのだろう。もしもヴォイドがそこにいたなら『灰人』を斬り伏せていたに違いない。そう思うだけで苛立ちが募っていった。

 そんなヴォイドの周囲には敵が現れる気配もなく、ただ時間だけが過ぎていく。ふと、手持ち無沙汰になって掘削坑の中を覗いた。歌声はまだ途切れていない。


「まさか、避難していないのか?」


 柵越しに底を見下ろすと聖女フォグは未だ壇上にいる。聴衆たちも逃げ出す様子は無い。

 地上での喧騒がまるで伝わっていないのだ。

 いや、誰かが伝令に行った筈だ。教団の人間に『灰人』の襲撃を知らせている。そうでなければ警護の意味が無い。


「待機命令だけど……」


 背中がムズムズするのを感じ、どうにか堪えようと深く呼吸する。まだあちこちで戦闘は続き、聖女も避難していない。

 ヴォイドの中で迷いが生じ、右往左往していると、突如として全身に危険信号が走った。

 振り向くと地平の彼方から何かが走ってくる。姿こそ目視できないが、薄闇に砂煙が上がっていた。そいつがどんどん近づいてくると地面が振動で揺れる。


「なんだ!?」


 剣を構え直し、腰を落とす。目を凝らすと暗がりの中に漆黒の輪郭が浮かび上がった。

 相手は速かった。『灰人』などとは比べ物にならない。


「犬!?」


 砂煙をあげているのは、灰色よりもずっと濃い色の犬だった。

 距離はあるがヴォイドの直感は最大レベルの危険を告げてくる。

 あまりに速い。四本脚で駆ける姿が際限なく大きくなっていく。


(めちゃくちゃでかい!?)


 そのサイズが判明したとき、冷たい汗が一気に噴き出てきた。尖った耳のてっぺんは二階建ての建物ほどの高さにあった。漆黒の巨躯は体毛に覆われておらず、まるで影が立体的に固まったかのような質感をしている。シルエットだけは犬で、目も口も鼻も無い。


(まさか、アレも灰人なのか!? でも、色も形も違うし、四本脚のヤツがいるなんて聞いたこともない……)


 黒い犬はヴォイドの存在に気付いたのか、ピクリと耳を動かす。しかし突進の勢いは緩めない。避ける必要なんてないのだ。

 一方でヴォイドは、このまま同じ位置で突っ立っていたら体当たりを喰らってしまうだろう。あの大きさの犬(?)に突っ込まれたら骨ごと粉々にされる。


(避ける? 訓練であんなのと戦うのは想定していないし……)


 ふと隊長の言葉が脳裏を過ぎる。

 敵が現れたら絶対に逃げろ、と。


(そんなのダメだ、下にいる人たちに襲いかかるだろ!!)


 ここで止めなければならない。

 けれど止められるかは分からない。

 ヴォイドの決断は早かった。


(一か八か、脚を斬って動きを止める!!)


 タイミングを見計らい、集中を高める。心臓の音が耳の裏まで聞こえてきた。

 犬が地面に前脚を付ける瞬間を見計らい、飛び出す。

 そして…… 刹那の交錯は見事に実を結んだ。ガラスの刃が犬へと食い込み、抜けなくなったことを除いては。

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