第2話
ひとりの青年が掘削坑の上部から身を乗り出すように穴底を見つめていた。白い法衣の少女を網膜に焼き付けようと懸命の努力を続ける最中、彼の脳天に拳が振り下ろされる。直撃を受けた青年は前のめりになって危うく穴に落ちそうになるが、張り巡らされた柵を掴んでどうにか踏みとどまった。
「いててっ……」
「ヴォイド! 警備をサボるんじゃねぇよ!」
振り返ると濃紺色の外套を纏った大男が腕組みをしている。
ヴォイドと呼ばれた少年と同じ格好だったが細かな装飾品で差別化されており、格上だということがすぐに見てとれた。
「サボってなんかいませんよ、隊長。いつ『灰人』どもが現れてもいいように聖女フォグを見守っていただけですって」
「嘘つけ。普段と目の色が違ったぞ」
いとも簡単に心中を見抜かれて、ヴォイドは小さく呻き声を上げる。
隊長の指摘通り、白い法衣の少女に見惚れていたのだ。
「あんな美人は滅多に拝めませんって。見るくらい、いいでしょ?」
「この距離から顔が見えるもんか」
「俺には見えます。声も綺麗だし、故郷に置いてきた母さんに雰囲気が似てるんです」
「お前のかーちゃん、美人なのか?」
「あくまで雰囲気だけですよ。聖女フォグって教団の中でも偉い人なんでしょう?」
「まぁ、次期教王と目されているからな。お説教が上手いのは当たり前だろうよ。おまけに怪我や病気を治す奇跡の使い手と来たもんだ。お前が100回生まれ変わってもモノにできない女なんだから、諦めて仕事に戻れ」
「べ、別にそういうつもりじゃ……」
隊長がやれやれと言わんばかりに穴底に目を向けると、聖女フォグを中心に聖歌斉唱が始まった。光源装置を囲むように並ぶ楽器隊から音楽が流れると、厳かな雰囲気の中で聴衆たちが歌を紡ぐ。
混じり合う声が掘削坑の上部まで届くと隊長は露骨に顔を顰めた。
「イヤだねぇ、あぁいうの。俺には理解できん」
「教団を批判したら、下手すりゃ火刑ですよ」
「じゃあ、聞かなかったことにしてくれ。俺もお前のサボリに目を瞑る」
「殴られたんだけどなぁ…… そもそもの話なんですけど、なんで俺たちが警備しているんですかね。教団の要人警護なんて聖騎士の仕事でしょ?」
「奴らは精鋭だが人数が少ないし、要人警護といっても対象は教王だ。いくら聖女様のためとはいえ、田舎の鉱山の街まで出向きたくなかったんだろ。もしくは外殻兵士隊にも見せ場をくれたのかもしれねぇな」
「俺たちの仕事は魔王配下の『灰人』どもを狩ることですよ。それを警護だなんて」
「拗ねるんじゃねぇよ。教団の連中だって、神様に祈る以外のことも考えている。ほら、その証拠に……」
隊長が指差した先をヴォイドは目で追う。
永遠の夜に閉ざされた空の下、ぼんやりとした霧が立ち込めている。
その霧が凝縮して灰色の人型となり、こちらに向かって歩みを進めてきた。
焦げたような臭いを乗せ、風の渦巻く音がヴォイドの耳を撫でる。
「魔王にとって『祝い火』を守る教団はさぞかし鬱陶しいだろうな。ましてやその中心的な人物が来ているんだ。ちょっとしたゲストくらい寄越すだろうよ」
「隊長……」
「ヴォイド、ランタンにフォトンを灯せ。絶対に奴を掘削坑の中へ入れるんじゃないぞ」
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