③元空き巣のカバン

佐野雅也は、約5年前に生まれ変わった。

それまでの人生は本当に荒んだ人生だった。

中学に入った頃に、悪い仲間にそそのかされて、万引きしたことがきっかけだった。

すぐに店の人に捕まり、親が呼ばれた。

親はその日以来、雅也を避けるようになった。

雅也には年の離れた弟がいた。弟は体が弱く、大人しかったが、真面目で勉強ができた。

明らかに両親は弟に愛情をかけ、期待をするようになっていた。

雅也自身も自分の素行が悪いせいだとわかっていたが、上手く自分の感情をコントロールできず悪事を繰り返し、家での居場所はどんどん無くなっていった。

その後なんとか高校に入ったものの、すぐに行かなくなり中退した。

その頃にはもう親はまるで雅也が存在していないかのように、雅也のことは全く目に入らない様子だった。

だが、弟だけは、たまに雅也が家に帰ると、こっそり部屋にやってきた。

「兄ちゃん、おかえり」

雅也が返事をしなくても、いつもそう声をかけてくれた。

弟が中学に上がる頃、持病が悪化していった。入退院を繰り返したようだが、雅也は家に寄り付かなかったので、詳しくはわかっていなかった。

その日夜中に家に帰ると、ノックする音が聞こえ、

「兄ちゃん、おかえり」と弟が入ってきた。

「お前、大丈夫なのか?」

元々細かった身体がよりほっそりして見える。

「ふふ」弟が嬉しそうに笑っている。

「何笑ってんだ?」

「兄ちゃんが返事してくれたから嬉しくて。病気になっていいことないって思ったけど、いいこともあるんだね」

弟は弱弱しく笑った。

「何言ってんだ、早く病気なんて治せ」

「うん、頑張るよ」

弟は珍しく部屋に入ると、ベッドに腰かけた。

「兄ちゃん、外の世界は楽しい?」

「え?」

「僕はずっと親の見える範囲でしか行動したことがないから。今なんて病院と家だけ。外の自由な世界って楽しいのかなって」

「・・・連れてってやる」

「・・・え?」

「元気になったら色んなところへ連れて行ってやるから、早く治せ」

雅也がそういうと、ぱあっと顔が明るくなり、弟はしっかり睡眠とらなきゃと自分の部屋に戻っていった。

それが弟を見た最後になった。

弟はそれから1ヶ月も経たないうちに、旅立った。


雅也は通夜や葬式にも出なかった。

いや出れなかった。

死んだと知ったのは、久しぶりに家に帰った時に仏壇があったからだ。

呆然と立ち尽くした。

その後、初めて弟の部屋に入った。

何もなくて、参考書や問題集だけが置かれている。

何気なく机の引き出しを開けると、ノートがあった。

ぱらぱらとめくると、日記をつけていたようだった。

そこにはあの日のことも書かれていた。

『兄ちゃんと出かける約束をした。本当に嬉しかった。絶対病気を治して大好きな兄ちゃんと出かけるんだ。』

雅也の目から涙がこぼれた。

こんなくそみたいな兄貴を慕ってくれた弟、帰る度に「お兄ちゃん、おかえり」と言ってくれた弟-。

雅也は、このままではいけないと弟の部屋で誓った。

その日から雅也は家にいるようになった。

大学受験をすると、勉強を始めた。

その話をした時、父は「わかった」とだけいい、母は弟の部屋から日中は出てくることはなかった。

高卒認定に合格し、いよいよ大学受験がすぐそこまで迫ってきた。

そんな日に図書館から帰ってくると、母と父が喧嘩しているようで、大きな声が聞こえている。

リビングの扉を開けると、母親が猛然と雅也に向かってきた。

「何であんたが生きてんのよぉおおお!あんたが死ねばよかったのに!」

そう言って何度も胸を叩いてくる。

「いい加減にしろ、雅也も息子だろ」

「こんな子知らないわ!私の息子じゃない!」

そう言って、父の手を振りほどくと、母は弟の部屋に閉じこもった。

「雅也、すまんな」

父はそういうと、寝室へ引き上げていった。

雅也はずっと母親に息子として認められたいとそう思ってやってきたが、それはもう難しいのだとわかった。

「何であんたが生きてんのよぉおおお!あんたが死ねばよかったのに!」という言葉が何度も頭の中で再生される。

心の中の何かが崩れる音がした。

その日以来、雅也はまた家に寄り付かなくなった。

熱心に取り組んだ勉強もやめ、再び悪事に手を染めた。

仲間に誘われて、空き巣に入って、とうとう逮捕された。

そこからは就職しても前科がバレて辞めさせられ、仕方なく空き巣をして捕まってを繰り返すようになっていた。

そんな時、バイト先でのちに妻となる中島美奈と出会った。


美奈は明るくよく笑う女だった。

バイトで誰かがミスしてもなんとかなるといって励まし、実際何とかしてしまうような女だった。

雅也も最初はうるさいなくらいに思っていて、全く仲良くなかった。話しかけられてもあまり愛想よく答えることはなかったし、自分から話しかけることもなかった。

それでも美奈は他の人と同じように雅也に接した。

ある日雅也がバイトに行くと店長と美奈が揉めている声が聞こえた。

どうやらまた雅也の前科がバレたらしかった。

店長は辞めさせたがっていたが、美奈が反対しているようだ。

「今真面目に働いてますし、みんなが嫌がる仕事を率先してやってくれてます」

美奈がそう言っても店長は納得しないようだった。

これ以上自分のことで揉められるのもなと思い、「俺、今日でやめます」と止める美奈の制止も聞かず、制服を置いて店を出た。

いつものことだ。

雅也は小雨の降る中歩き出した。

ふっと頭上に影ができたと思ったら、美奈が傘をさし出していた。

「風邪引いたらいけないから持っていって」

そういって強引に傘を渡すと、美奈は走って店に戻っていった。

そこからたまたま美奈に道端で再会し、1ヶ月後には付き合うようになっていた。

前科もあったし、苦労をかけると言ったが、美奈は簡単に引き下がらなかった。

最後は強引に美奈に押されて付き合うことになった、

そこからは生まれ変わったように働き、美奈を幸せにすることだけを考え、行動した。

弟の時のように後悔はしたくない。

やがて1年が経った頃、美奈が妊娠した。

雅也は自分が親になれるのか、結婚だって反対されるに決まっている、と悩んだが、美奈は「産むから一緒に頑張ろうね」とあっさり決めてしまった。

美奈が決めてしまったら、もう反対はできない。

一緒に頑張るだけだ。

当然皆の親には結婚は反対されたが、なぜこの歳で親の許可がいるのか、結婚すると報告しにきただけだと言い切り、翌日には婚姻届を出した。

雅也の親には手紙で報告だけしたが、何も返事はなかった。

そして娘が誕生した。

5月に生まれたからとさつきとつけた。

雅也はさつきを見た時、本当に心から感動した。

本当に生まれ変わらねばならない、かわいくて優しい妻と子供のために。

その日からより一層仕事も家事や子育てにも全力で取り組んだ。

しんどいとは思わなかった。

本当に幸せだった。

でもその幸せは突然崩れ始めた。

最初は「なんかお腹痛い」という美奈の一言だった。

病院に行くよういったが、忙しさを理由に美奈は病院へ行かなかった。

今でもあの時無理やり連れて行ってればと思う。

そして美奈は倒れた。

美奈の病状は決して良いとは言えなかった。

治療にはお金がかかる。

しかし、学もない、前科もある雅也には大金を稼ぐことができない。

その上、さつきがいるので保育園にいる時間以外は、面倒を見なければならない。

どうすればよいのか―

雅也は頭を抱えた。

美奈を何としてでも助けたいが、先立つものがない。

自分の無力さに腹が立つ。

「雅也」

振り返ると美奈が立っている。

「明日から入院だろ?しっかり寝ておかないと」

「・・・無理しないでね。私は、大丈夫だから」

「何ってんだ、病人が」

「なんとかなるって」

美奈が少しほっそりした顔でいつもように微笑んだ。

「・・・そうだな」

両親の声が聞こえたのか、さつきが起きてきた。

「ままぁ、ぱぱぁ」

「起きちゃったのね。さぁさぁ一緒に寝ましょ」

美奈が手をつないで部屋に戻ろうとすると、「ぱぱも」とさつきが小さな手を伸ばしてきた。

ぎゅっと優しくにぎると、温かい。

3人で横になると、さつきはすぐに眠り始めた。

この幸せを壊すわけにはいかない。

さつきの為にも美奈を絶対守らなくてはいけない。

雅也は翌日一生かけないと誓った番号に電話をした。


からん、ころんと扉が開き、一生会わないはずだったかつての仲間がやってきた。

がたいがよく、服の上からでもなんとなく筋肉がついているのがわかる。

「よぅ」

どかっと前の席に座ると、サングラスを取り、肘をついてこっちをじっと見てくる。

「なんだよ」

「変わったなと思ってさ。目が穏やかになってる」

「・・・うるせぇ」

「で、もう一生会わねぇと言ってた仲間に何の用だ?」

「金が欲しい」

「金・・ねぇ」

「事情があるんだ」

「またやるのか、盗みを。お前は変わると俺に言って去っていった」

「それでも、やるしかねぇんだ」

雅也は真剣な目でかつての仲間をみた。

「・・・1週間後に、狙った家に盗みに行く予定だ」

雅也は詳しい話を聞いて、店を後にした。

保育園にさつきを迎えにいって帰宅した。

夜になると、最近さつきはよくぐずる。

母親が入院して不安なのだろう。

寝かしつけると、押し入れの奥から黒のボストンバックを出してきた。

地元のショッピングモールで買った安物の黒のボストンバックだ。

カバンを開けると、懐かしの商売道具が出てきた。

(絶対、守ってみせる―)

雅也はバックを強く握りしめた。

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