2-2.旅路(2)
道なき道をひた歩き、リリルたちは山までやってきた。
凄まじい山だ。その傾斜の急なことと言ったら、まるでそそりたつ壁のよう。登山道らしきものすらなく、いかめしい岩石ばかりが果てしなく上へと続いている。その遥か先にかすんで見える小さな小さな銀色の点が、目指すべき鏡の城に違いない。
ルキウスは鼻をヒクヒクさせた。
「あんな所まで行けますか?」
「登れば着くでしょ」
「ほう」
「越えようにも越えられない壁が人生には山ほどある。それに比べりゃ楽勝よ」
「その考え方、嫌いじゃないですよ」
二人は熱い汗を流して懸命に登った。一人が弱音を吐けばもう一人が叱咤する。一人が冗談を言えば一人が顔をほころばせて笑う。日が沈んで世界が暗闇に飲み込まれれば、転がり落ちぬよう互いを抱き合い眠りについた。
何日も、何日も、永遠に続くかに思われる山道を上り続け、ようやく鏡の城がはっきりと目に見え始めところで、ルキウスが声をあげた。
「姫様、あれを」
彼の視線は上の山肌へ向いている。そちらは一面の銀世界。雪がきらびやかに陽光を反射し、斜面を純白に染めている……
……いや。
違う。あれは雪ではない。
鏡だ! 大小さまざまな鏡の破片が、山の七合目あたりから山頂までを隙間なく覆い尽くしているのだ。
足の踏み場もないとはこのことだ。破片は刃物のように尖り、近づくものを刺し傷つけようと手ぐすね引いて待ち構えている。一歩でも踏み込んだなら、たちまち足が血まみれになるだろう。といっていちいち破片を除けていたのでは城まで何十年かかるか分からない。
「どうするの、これ?」
「山羊に知恵を求めるなんて、
「ばあああああ!」
「わあ! いけません、姫様、そんな、はしたない言葉を」
「
「いつか山羊語のレッスンしてあげますよ。おや? あの鏡、なにか変なものが映ってませんか?」
ルキウスは慎重に鏡の破片へ寄っていった。つられてリリルも破片をのぞきこむ。
リリルは目を丸くした。
一体これはどういう魔法なのか。鏡の中に親指ほどの少女がいて、目尻からぽろぽろ涙をこぼし、泣きじゃくっているではないか。
「壊れてしまった。もう直らない。私は独りだ。もう直らない……」
「君は……鏡の中に住んでるの? ねえ、大丈夫?」
リリルが声をかけると、鏡の少女はクチャクチャに濡れた顔を持ち上げた。
「私は鏡。城の一部であったもの。鏡の城は壁も床も天井もみんな鏡でできているから、そこらじゅうに姿が映る。魔女はそれが気に入らなくて、重く冷たい黒鉄の杖で鏡を叩き割ってしまうの。己の心にヒビを入れる行為でしかないのに」
「そうして零れ落ちたのが私」
「私たち」
あちこちで次々に声があがった。よくよく目をこらしてみれば、斜面を埋め尽くす何億何兆という鏡の破片、そのひとつひとつに少女が囚われているではないか。
「寂しい。寂しい。私は独り。独り未満だ。こんなにいるのに一人もいない」
少女たちの慟哭が言いようもなくリリルの胸を打った。どうしても放っておけなくなり、リリルはカバンの中を探った。取りだしたのは小さなウサギ。端切れのパッチワークに使い古しの綿を詰め込んだ、リリル手製のぬいぐるみだ。寂しくて泣きたくなった晩、よくこのウサギを抱いて朝まで耐えたものだった。
ウサギを鏡の少女の前に座らせて、リリルはニッパリと笑顔を作った。
「これ、あげる!」
「えっ?」
「私が作ったんだ」
「才能があるのね」
「ありがと」
「いいの?」
「いいよ」
「私たち、この子と友達になれるかな?」
「こいつ、すごく無口だけどさ。少なくとも話は聞いてくれるよ」
鏡の少女はウサギを見つめ、リリルを見つめ、涙をぬぐい、ようやく頬をほころばせた。
「あなた、城に行くのね?」
「そのつもり」
「ちょっと待ってて」
鏡の少女は天を見あげ、輝くような美声を高らかに響かせた。それに応えて山が唸り蠢きだす。いや、山ではない。斜面に積もった鏡の破片が自らうねり、道を開けてくれたのだ。
「お気をつけて、親切なひと。あなたに良き帰り道がありますように」
*
かくして二人はたどりついた。長い旅の終着点、魔女の住まう鏡の城へと。
城の門前に立ち尽くし、リリルは思わず息を飲む。
なんという美しさだ。城壁、宮殿、塔はもとより、庭木、噴水、果ては砂利の一粒にいたるまで、あらゆるものが磨き抜かれた鏡によってできている。それらが一斉に陽射しを受けて、目を刺すほどの強烈な反射光をリリルたちへ浴びせかけてくる。
だがこの行きすぎた美しさが、かえって不安を掻き立てる。
指紋はおろか、わずかな曇りさえない鏡。人が暮らせば当然出るはずの垢、埃、脂の匂い、命あるものの痕跡が、ここには何ひとつ存在しない。空気すら硬く冴えわたり、一呼吸ごとに肺を突き刺してくるかのようだ。
「ルキウス」
「ここにいますよ」
「頼むよ、
「言われるまでもありませんね」
二人は慎重に歩調を合わせ、城の奥へと進んでいった。門をくぐり、廊下を抜け、鏡の広間に行き当たり、そこでリリルは足を止めた。
広間の奥のさらに奥、氷よりも冷たく凍てつく玉座の上に、一人の少女が腰かけている。悠然と足を組み、ひじ掛けに頬杖をつき、空色の瞳でリリルを無感動に睨んでいる少女。その顔に見覚えがある。
鏡の少女。鏡の破片に囚われていたあの子たちにそっくりだ。魔女が自分の映った鏡を叩き割って散らばったのが彼女らであるなら、それを同じ顔をしたこの女こそ……
「……魔女だな?」
「そうとも、リリル姫」
魔女は吐き捨てるように一笑した。
「招きもせぬのに
「ババアの《心》を返せ!」
「あれはもう余の物だ」
「違う!」
「さりとて貴様の物でもあるまい」
魔女は心底めんどくさそうに重い腰を上げた。黒鉄の杖を床につき、そっくり返りそうなほどに胸を張ってリリルへ侮蔑の目を向ける。見れば、その細い指が血赤色の宝玉を絡めとるようにして弄んでいるではないか。
リリルは直感した。あれが《心》だ。ババアを蘇らせる鍵なのだ。
魔女は《心》に唇を寄せ、邪悪そのものの笑みを浮かべた。
「土産は渡さぬ。すごすご帰るか、この場で死ぬか。好きな方を選べ」
(つづく)
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