2-1.旅路(1)



 リリルの体は、砂に染みいる水のように鏡の中へ吸い込まれた。世界がまっくらになり、火花が数度爆ぜ、唐突に目の前が明るく開け……

 ふと気が付くと、リリルは広大な平野のまんなかに立っていた。

 異様な景色だった。地面が透き通った空色で、逆に空が淀んだ土気色をしている。吹き寄せてくる風は妙に暑く、風が止むとかえって涼しい。草木のかわりに野ウサギや蛇が土から生えている一方、スミレの花が根っこを忙しくバタつかせながら大急ぎでどこかへ駆けていく。

「なんじゃあコレは」

「そりゃ、リヴァーシアとかいう所でしょうよ」

 背後から返ってきた答えに驚き、リリルは振り返った。見慣れたオス山羊が一頭、不機嫌に鼻をヒクヒクさせている。

「ルキウス! お前も来たの?」

近衛兵プラエトリアヌスなんて厄介な官職をよこしたのはアンタでしょうが?」

「山羊がしゃべった!」

「山羊はしゃべりませんね」

「しゃべったじゃん!」

「幻聴では?」

「幻聴が幻聴のこと幻聴って言うかなあ」

「そんな益体やくたいもないことを議論するために来たんじゃないでしょう。僕としては、さっさと歩き始めることをオススメしますよ。鏡の城とやらへ行くんでしょう? 僕のカワイイお姫様」



   *



 リリルとルキウス・近衛兵プラエトリアヌスは西へ向けて歩き出した。旅しながら眺めるリヴァーシアは、驚異と不思議とに満ちていた。海から山へとさかのぼる川。空飛ぶ魚。夜になるとしに現れる亀。流れ星は尾を引いたまま天に張り付き、他の全ての星々が雨のように流れ続ける。

 頭がおかしくなりそうな風景にも慣れ始めた頃、リリルたちは小さな田園にたどり着いた。丘のふもとの川沿いに五、六枚ほど畑が並んでいる。畑があるなら、耕している人間もいるだろう。城の場所を聞けるかもしれない。

 が。畑の作物が見える距離まで近づいたところで、リリルは頬を引きつらせて立ちすくんだ。

 そこに植えられていたのは、麦でもなければ、キビでもなかった。

 人間だ。

 背筋の凍る光景だった。大勢の人間たちが、腰から下を土に埋められ、恨みがましい目で空を見上げながら苦悶の声をあげている。

「嫌だァァ……食べられるために育って実る、それだけの人生なんて嫌だァァ……」

 リリルは慌てて畑に駆け寄った。

「ちょっと、大丈夫? いま助けるからね!」

「おお、君は自由な人間なのか。俺たちも、かつてはそうであった気がする。一体どこで道をたがえたのか……」

「いいから自分でも抜けだす努力をしろよ」

 リリルは荷物カバンを掻き回し、白銅製の皿を取りだした。これなら充分スコップ代わりに使える。作物人間の前にしゃがみこみ、柔らかい畑の土をお皿で手早く掻きだしていく。

 と、不意に、おどろおどろしい敵意の声があちらこちらで湧き起こった。

「泥棒だ! 泥棒だ!」

「作物人間泥棒だ!」

 リリルは青ざめて立ちあがった。畑があれば農夫もいる。植えられているのが人間ならば、耕す者は……?

 麦であった。7、8人(?)の麦が、太い根っこで地面を踏み締め、茎にすきくわを握り、殺気立ってリリルに迫り寄ってくる。

「殺せ! 畑荒らしだ!」

「いや待て。よく見りゃすてきな人間だ」

「なんだ人間か」

「じゃあ植えよう」

 冗談ではない。リリルは麦農夫たちに背を向け逃げ出した。が、別の農夫が行く手に回り込んで道を塞ぐ。慌てて急停止したリリルに、麦農夫が襲いかかってくる。

 そのとき。

「ばあああああああ!」

 雄叫びをあげて、白い影が麦農夫に体当たりを食らわせた。山羊だ。ルキウスだ。近衛兵プラエトリアヌスだ! ルキウスは突き倒した麦農夫にハクッと咬みつき、その茎をまんなかから食いちぎった。

 麦農夫たちに恐怖が走る。

「あっ……山羊だ!」

「悪魔だ!」

「草食動物だあ!」

「逃げろ! 食われたくない!」

「魔女さま助けてえ!」

 ルキウスは食いかけの農夫を飲み込みもせぬまま、新たな餌を求めて駆け出した。怒涛の勢いで次なる農夫に飛び掛かり、穂やら葉やら食い荒らし、また別の麦を追いかけて、千切っては食べ、千切っては食べ……

 ものの数分で、麦農夫たちは1人残らずルキウスの腹に収まった。

 まだモグモグやっている彼の首を、リリルは優しく撫でる。

「ありがとう、助けてくれて」

「礼には及びません。小腹が空いてたので、おやつにちょうどよかったですよ」

 それからリリルとルキウスは手分けして畑を掘り返し、すべての作物人間を解放してやった。人間たちはリリルの前にひざまずき、涙を流して口々に感謝の言葉を唱えた。リリルははにかみ、ルキウスの首にしがみつく。

「照れ隠しに僕の毛に顔を埋める癖、直りませんね」

「うるせえよ! あのー、みなさん、私、鏡の城に行きたいんだけど、道を知らない?」

 人間たちはざわめき、顔を見合わせた。

「知らない奴なんかいませんよ」

「憎たらしい魔女の城だ」

「あっちに山があるでしょう。上の方が白くきらめいている、あの山ですよ。鏡の城はあのてっぺんでさ」

 リリルは人間たちに礼を言い、ふたたびルキウスと歩き出した。魔女の待つ異世界の果て。あるいは、ババアの言葉を信じるなら――リリル自身の故郷を目指して。



(つづく)

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