リリル・リ・ルルリ

外清内ダク

1.旅立ち



「うっせぇクソババ! アホババ! 死ねババア!」

「黙れクソガキ! 煮るぞガキ! 死ねガキ!」

 いつにもまして派手な怒鳴りあいの末、少女リリルはババアの家を飛び出した。

 リリルは今年で12歳。幼い頃に両親と死別して以来、村はずれの崩れかけた家でババアと二人で暮らしている。しかしまあこの二人、ビックリするくらいソリが合わない。ババアは万事に細かい性質たちで、「部屋の角までキチンとけ」だの「毎日裁縫の練習しろ」だの「放牧の見張り中も居眠りしてないで木の実くらい集めてこい」だの、リリルのやることなすことにうるさく口を挟んでくる。一方リリルは細々こまごました仕事をホイッと投げ出して平然と昼寝ができる図太さの持ち主だったから、どだい相性は最悪である。

 村の人々も「あの二人、本当に血が繋がってるのか?」なんて怪しむほど。村中に響く大声での口ゲンカも日常茶飯事であった。

「あークソババア! すっげえ腹たつ」

 リリルは、道端で摘み取った花を口にくわえて蜜を吸いつつ、枯れ草を乱暴に振り回した。

「晩メシをつまみ食いしたくらいでさあ。どうせ私の腹に入るんだから早いか遅いかじゃん。そうだろ、ルキウス?」

 くるん、と振り返ると、後ろに一頭の山羊がついてきている。山羊の名はルキウス・近衛兵プラエトリアヌス。この大仰な名前はリリルがつけた。生まれてすぐに母山羊が死んでしまい、以来ずっとリリルが面倒を見ている。

「聞いてるのか、ルキウス」

「ばああああ」

「私はな、本当はあんなババアの孫じゃないんだ。実はカワイイお姫様なんだけど、ゆえあって王国を追われてこんな田舎に隠れてる。そういう設定。お姫様と呼べ!」

「ばああああ」

「わらわはカワイイであろ?」

「ば」

「おい! なんで言いよどむんだよ! カワイイって言えっ!」

「ばあああああああ」

「よし!」

 こんなふうにケラケラ笑ってルキウスとじゃれあいながら、共有林に入るか沢に降りるかして、ブラブラと夜まで時間をつぶす。ババアが床についた頃を見計らって帰宅し、ちゃっかり自分の寝床に潜り込む……それがリリルのいつものやりくち、サボりの常套手段なのであった。



   *



 だが、その日はいつもと様子が違っていた。夜道をこっそり戻ってきたリリルは、家の窓から灯りが漏れているのを見つけたのだ。

(あれ? ババア、まだ起きてる……?)

 リリルは窓の外に忍び寄り、家の中を慎重にのぞき見た。

 窓から漏れていた光は、炉の中の薪から発したものだった。炉の上では、夕飯の鍋が完全に煮詰まって焦げた臭いを漂わせている。そしてそのかたわらの床には……ババア。ババアがうつ伏せに倒れ、体を細かく痙攣させている。

「ババア!」

 リリルは家に飛び込んだ。ババアを抱き起こし、頬を叩く。「ババア! ババア!」何度も何度も呼びかけるうちに、ババアが薄く目を開いた。

「やかましいねえ……」

「うるせえババア! ベッドに運ぶぞ。よいっ……しょお!」

 ババアを抱き上げ、寝床に寝かせ、リリルはかたわらに立ち、呆然とババアを見下ろした。いつもあれほど元気に憎まれ口を叩いているババアが、まるで季節外れの弱り果てた蝉のようではないか。

「なあ……ババア……死ぬんじゃないよな?」

「人は誰もがいつか死ぬ」

「そういうこと言ってんじゃない!」

「ふん! 声がでかいよ。元気者に育ってくれてよかった……そこらへんに鏡が落ちているだろう」

 言われて振り返ると、部屋の隅に丸い板が転がっている。拾い上げてみれば、確かにそれは、清らかな水のように透明度の高い上質の鏡である。

「こんな高級品、ウチにあったっけ?」

「隠しておいたのさ、この時のためにな。

 よくお聞き。お前はワシの孫じゃないんだ」

「は?」

「魔法と驚異に満ちた異世界リヴァーシア。お前はそこの王女として生まれた。しかし悪しき魔女によって王と王妃は殺され、ワシは赤ん坊のお前を抱いてこの世界に逃げてきたのだ。以来12年、ワシは……」

「うっせえババア!」

 リリルの拳が固く握りしめられ、筋肉と骨の軋む音を立てた。

「そんなことはどうでもいい。薬が要るなら取ってきてやる」

「薬では治らぬ。魔女の手先に《心》を奪われたのだ」

「それを取り返せばいいんだな? 魔女の居場所は?」

「またそうやって、二歩も三歩も勇み足で先を読む。だがワシは、お前のそういうさかしさが嫌いではなかった」

「ま・じょ・の・い・ば・しょ・は!」

「その鏡は《真実の鏡》。この世とリヴァーシアを繋ぐ唯一の道だ。鏡の中に入って西へ進めば、やがて鏡の城が見えてくる。魔女はそこにいるだろう。行くのなら、ほれ、テーブルのサンドイッチも持っていけ。晩飯を腐らせちゃもったいなかろう? だがなあ、リリル。無理に行くことはないのだ。お前はお前の人生を好きに生きろ。ワシは、それだけが……」

 ババアは目を閉じた。

 リリルは慌ててババアにすがりつき、その鼻先に耳を寄せた。呼吸音はまだ聞こえる。死んではいない。しかし時間の問題だ。

 リリルは立ち上がった。

 一番お気に入りの頑丈なカバンを引っ張り出し、手当たり次第に荷物を詰め込んだ。白銅製の頑丈なお皿。たっぷりと綿をつめたウサギのぬいぐるみ。そしてもちろん、ババアの手作りサンドイッチ。

「覚悟しとけよババア」

 床に置いた鏡の前で、リリルは大木のように仁王立ちした。

「帰ってきたらブン殴ってやる!」

 そして、えいや! と気合を入れて、鏡の中へ飛び込んでいった。



(つづく)

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