噛ませ犬愛好家は衝撃の知らせを耳にする

『本館』のエントランスを出て、『別館』の通じる道中に大きな馬車がある。前方には黒毛の馬が2匹いて、後方には大量の荷物があった。


「零、準備はできたかい?」

「零夜お父様、お待たせいたしました」

「それじゃ乗ろうか」


 操縦席にはガタイのいいダンディな卸者が既に座っており、その隣の助手席のような場所は零夜お父様が座るらしい。


 そのため、私と真里は荷物が置いてある後方の空いてる箇所へ腰掛けることとなった。


 ガラガラガラガラ……


「んじゃ月夜伯爵様御一行、行きますぜ」

「1ヶ月前にも頼んだばかりなのに悪いね」

「いやぁ、零士御坊ちゃまと零お嬢様のためならあっしはいつでも駆けつけまさぁ」

「そう言ってくれると嬉しいさ」


 操縦席の方から卸者と零夜お父様が話す声が聞こえてくる。どうやら零夜お父様と卸者の方はそれなりに関係は良好らしい。


「零お嬢様、あの方は青野護あおのまもる様という方です。実は、月夜伯爵領を本拠点にしている馬運行のお頭なんですよ」

「馬運行?」

「ええ。要は月夜領で出来た野菜などを王都などに送り届ける仕事です」

 ———なるほど。通りでこんな大荷物……


 ちなみに初めての馬車の乗り心地はあまり良いとは言えない物だった。絶え間なく続く振動で臀部の方が痛くなる…。


 ———車は神の発明品だったのか……


 そんな風に思ってしまうほど、涙目になりながら、振動の痛みに耐え続ける事態となった。


 …

 ……

 ………


 ガタンッ

「「ヒヒィィィッッッ」」

 ———何っ?


 それまで順調に進んでいたはずの馬車が急停止し馬の鳴き声が大きく聞こえてくる。


「しっ…零お嬢様、盗賊です…旦那様がいるとはいえ、人質になるわけにはいきません」


 ———せっかくお尻の痛さに慣れてきて眠っていたのにッッ


 真里に口を塞がれて声を殺していると零夜お父様の方から大きな声が聞こえてくる。


「金目の物をだしゃぁ命まではって……」

「お頭ぁ…これは外れでさぁ……」

「ちぃっ……『元Sランク冒険者』の『紅蓮の零夜』がいるとは……お、お前達退けッッッ!!」

「さすが、月夜伯爵様でぇ」

「『元Sランク冒険者』とはいえ、上には上がいるさ。でも『零』や『零士』を守るためならばどんな忙しい時でも手が届く範囲を守るさ」

 ———元Sランク!?!?そんなに強かったの!?!?


『恋クリ』にも『冒険者』と呼ばれる人達が存在する。主な役割としては『騎士』の守るべき対象が王家や高位の貴族だとすれば…『冒険者』の護衛対象は商人等の私人が多い。


『冒険者』と聞けば、誰でもなれるお手軽職業と認識している人たちが多いかもしれないが、『恋クリ』は少々特殊である。


『恋クリ』の『冒険者』は『王立魔法学院』等を在学している者か卒業している者にしかなる事ができない『エリート職』なのだ。


 ———この冒険者の好感度がある程度まで上がっていると戦闘イベントの際などに『お助けキャラ』としてきてくれたんだよなぁ…


 ちなみに、冒険者の階級は『SSSランク』から『Eランク』まであり、『Sランク』ともなれば『エリート職』の中でも上位に君臨する。


 話を戻そう。

 

 結局、零夜お父様を見た盗賊達は即時退散となり、戦闘に発展することさえなく終わった。


 ————『親心』…零夜お父様、ありがとうございます。


 零夜お父様がいれば、平和に王城へ到着できる。それがどれだけ有難い事だったのか、今にして痛感する事となった。


 …

 ……

 ………

 


「零お嬢様の旦那様や奥方様は月夜領の英雄なんです!!」

「もしかして、零華お母様も……!?」

「はい…!!『元Sランク冒険者』です…!!」

 ———魔法も使えない短剣のみの私が生まれてきてごめんなさい………!!


 零夜お父様も零華お母様もよくよく考えれば『勇者』を産んだ親である。元より、そんな2人が弱いはずが無かったのだ………。


 ーーーーーー


 結局、その後の馬車は順調に王都方面へ進んだが、一旦、馬の休憩を挟むためにも日が落ちる手前に付近の宿へと向かうこととなった。


「零、涼宮君降りてきなさい」

「零夜お父様、お待たせいたしました」

「旦那様、ここは……」

「ここは月夜伯爵領の右隣にある千鶴子爵の領地さ。このまま行けば、王城には明日の夕方頃になると思うさ」

「千鶴子爵領といえば、港町であっしのおすすめは海産物でさぁ…。それでは月夜伯爵様、あっしは馬の処理と別の宿に泊まりますんでぇ」

「ああ、明日もまた頼むさ」


 どうやら、青野さんは私たちとは別の宿で泊まることになっているらしい。彼はそのまま馬車を引き連れて奥の方へと去っていく。


「私達も行くとするさ」

「零夜お父様、お言葉ですが泊まるところは決まっているんですか?」

「零士の送迎時に使うところがあるのさ。そこへ涼宮君と零を案内するつもりさ」

 ———なるほど、通りで零夜お父様と青野さんの連携がスムーズなのか…。


 月夜伯爵領が長閑のどかな緑色の街だとすれば、千鶴子爵領は潮風が吹いてる青色の街と評価すべきだろう。


 零夜お父様の後を歩いてると千鶴子爵領の右側が海に面しているため、船が見えてきた。


 ———漁帰りかなぁ…


 もちろん、現代のような先端技術搭載の船ではない。それでも、海を自由に行き来出来ている以上『船』と呼ぶべきだろう。


 船を傍目に歩き続けていると、港町の中央付近に到着したらしい。先程までとは異なって、周囲は活気に溢れていて、色んな方向から客の呼び込みの声等が聞こえてくる。


 きっと、青野さんが別れる直前にお勧めしていた千鶴子爵領の名産の海産物は、私達が歩いてる港町で売っているのだろう。


 ———観光は瑠璃を助けた後の月夜伯爵領へ戻る道中に寄っていけばいいんだ…!!


 …

 ……

 …………


「ここさ……」


 零夜お父様に着いていった先には『恋クリ』で初めて目にする木造建築の建物があった。


 ———建築されてから年季はあるけど…手入れが行き届いている…。


 おまけに玄関の扉には青色の暖簾のような物まで垂らしていた。


「旦那様、これは随分と趣がある宿ですね」

「ふふっ…。この宿は、私の領地や王都では見れない木で建築された珍しい建物でね…。実は零士とここによく泊まっているのさ」

「あら、月夜伯爵はんやないかぁ。先月もお越しになったばかりやのに…早いですなぁ」

 ———聞き馴染みのある関西訛りだなぁ…


 零夜お父様がなぜか誇らしげに真里に解説している。その時、長い黒髪を大きめの銀色の髪飾りで止め赤色の着物に肌を包んでいる女性が暖簾を分けて出てきた。


「やぁ、菊…元気だったかい?早速1泊止めていただけるかい?」

「それは構いまへんけど…そちらの可愛らしいお嬢様方は?まさかとは思いますけど…」

「菊の想像力豊かな所が昔から変わっていなくて私は嬉しいさ」

「月夜伯爵はんも隅におけまへんなぁ………。どうも、おおきに」

「そんな事より、今日もご馳走を頼むさ」

 ———零夜お父様の知り合いなのかな?


 私の目には2人はすごく顔馴染みのように見えた。そんな零夜お父様は当たり前のように金貨3枚を支払い、菊さんと呼ばれる女性は聞き馴染みのある関西訛りで感謝を述べる。


 ———え!?金貨3枚って30万円よね!?


『恋クリ』の貨幣制度はよくあるライトノベルやゲームで採用されている設定と同じである。私の知識が正しければ、白金貨1枚は金貨100枚、金貨1枚は銀貨100枚、銀貨1枚は銅貨100枚の単位制度だったはずだ。日本円に正せば金貨1枚は10万円に相当する。ちなみに白金貨は1000万円で銀貨は1000円で銅貨は10円である。


「零と涼宮君の部屋は私の隣の部屋さ。何度も泊まっている私が案内するさ」

「旦那様、ここのお代は……」

「そんなの気にしなくていいさ。どうしてもというなら、零に使ってあげてくれればいいさ」


 自分の宿泊代を気にする真里に対して、零夜お父様は真里に気を遣っている様子だった。


 むしろ、宿泊代よりも零夜お父様自身が率先して私達に客室案内しようとしてる所に疑問を感じてしまう。


 ———菊さんが案内する所では?


 口には出さずに心の中でそう思っていると、この宿の女将と思しき菊さんもどうすべきか迷っている様子だった。


 ただ、肝心の零夜お父様に迷いはないらしく宿の奥の方へ入っていく。


 ———ここは大人しく、零夜お父様について行っとこう…


 私も零夜お父様に倣って、玄関で外履きを脱ぎ用意された館内用のスリッパに履き替えた後、宿の奥へと入っていった。


 ーーーー


「ここさ。菊から聞いたが、夕食は私の部屋へ運んでくれるらしいから来て欲しいさ」

 ———部屋食…外観といい宿というよりも前世で言う旅館みたいな場所だなぁ…。


 零夜お父様はそう言い残した後、隣の部屋へと入って行く。零夜お父様が躊躇いなく入る姿を見て、私達も目の前の部屋の扉を開ける。


 入り口付近には洗面台が右側に、御手洗が左側に併設されている。肝心の目の前は隅が黒色、それ以外が白色の襖が閉じている状態だ。


「開けるね?」

「は、はい!!」


 なぜ、和室を開けるだけの作業に妙な緊張感が生まれのか。


 スーッ


 そう思いながら、襖を開けた先には床は畳で構成されており、部屋の奥に大きな窓、そして横に長い机が飛び込んできた。その付近には複数の大きめの座布団が用意されている。


「わぁ…こんなお部屋は初めてです」

「え、ええ」


 明らかに前世の『和』を体現したような外観と内装に戸惑いを隠せない。


 ———もしかして、私や奏音の前に日本人がこの『恋クリ』に転生していたのだろうか。


『恋クリ』をプレイしていた時は見なかった西洋ではなく和風の様式だけに勘繰ってしまう。


 ———今、考えても答えは出ないしなぁ…


 そう考えた私は座布団に腰を下ろす。とりあえず、今は馬車の振動により痛めてしまった臀部を休める事に専念した。

 

 ーーーーー


「涼宮君、ご飯が届いたらしいさ」

「旦那様、ご報告ありがとうございます」


 ん……部屋の入口の方から真里と零夜お父様の声が聞こえてくる。


「あ、零お嬢様…おはようございます」

「ん……もしかして、寝てしまってた?」

「きっと、初めての馬車でお疲れだったんでしょう。ちょうど夕食が運ばれたそうです」

「そうだね。零夜お父様を待たせてはいけませんし、行きましょうか」


 まだ眠たい眼を擦りながら、真里の後を着いていき、隣の零夜お父様の部屋へと移動する。


「待っていたよ」

「お待たせいたしました」

「それではいただくとしよう」


 零夜お父様の机に並べられた食材は大量の山菜と大量の海老や貝や蟹が並べられている。


 ———これは…所謂、海鮮鍋…?


 そう思いながら、まじまじと食材を見てしまう。


「旦那様と零お嬢様の分は私がしま…」

「涼宮君、それはだめさ」

「え?」

「これは『海鮮鍋』と言うらしくて、身分を問わずみんなで突く料理らしいさ。この『海鮮鍋』は過去の『勇者様』の言い伝えらしいさ」

 ———過去の勇者ねぇ……


 薄々気づいていた事だからあまり気にしないことにした。それよりも、なぜこの世界に私を呼んだ奴は嫌がらせのように私を『魔法なしの短剣使い』にしたんだろうか。


 ————すごい理不尽だなぁ


 色々考えていると理性より怒りの感情の方が勝りそうになる。


 そのため、自分自身に『心頭滅却っっ!!』と心の中で何度も唱えて落ち着くことに専念した。


「それでは、どうすれば…」

「真里、まずは野菜を入れておくの。その後、火が通ればお肉をほんの少し茹でるといいよ」

「零、私が教えたわけではないはずなのに、『海鮮鍋』の作り方をどこで知ったんだい!?」


 ———やっちゃった…


『鍋』は基本的に素材を詰め込んで〆を入れるだけなので作り方というには大袈裟な表現な気がするが、零夜お父様の驚いてる表情を見ているとなんとか誤魔化す必要がありそうだ。


「えーと、零士お兄様からお聞きしました」

「零士め……ふっ、差し詰め零に自慢したかったのだろうさ」 

「零士御坊ちゃまは零お嬢様の事を常に気にかけておられてましたからね」

「も、もう…それよりご飯を食べましょう」


 誤魔化すため自分から振った話題ではあるもの、零夜お父様と真里の話を聞いていると自分の体温が急上昇していくのを感じる。


 このままでは恥ずかしさのあまり、せっかくの『海鮮鍋』の味が楽しめなくなるため、零士お兄様の話から逸らすことにした。


「ほら、すごいですよ。貝も海老も身がプリップリです」

「零お嬢様、お野菜も出汁が効いていて大変美味しいですよ!!」

「この蟹も最高に美味しいさ」


 私も零夜お父様も真里も口に運んだ瞬間、『海鮮鍋』のあまりの美味しさに感動する。


 そして、それ以降は無言でひたすら『海鮮鍋』を食べ続ける時間が続いた。


 …

 ……

 …………



「パスタを最後に入れると美味しいねんで」

 ———〆がパスタ!?


 私達の食事が進んで終盤になると菊さんが茹でたパスタを持ってきてお鍋へ投入する。



 半信半疑のまま、〆に用意されたパスタを口に入れる。

 

 ———美味しいっ!!


 濃厚な『海鮮鍋』のスープの出汁と意外とマッチしていてラーメンのような感じである。


 前世に戻れるのであれば、家に引き篭もってコーヒーを片手にカップラーメンばかりを食べていた私に火の玉ストレートを浴びせたい。


 …

 ……

 …………


「楽しみにしていた零には悪いんだけど、明日は予定変更で月夜伯爵領へ帰るつもりさ」


 その後、3人で座布団の上に楽な姿勢でいた時、零夜お父様から衝撃の情報が出される。


「零夜お父様、それはどういう…」

「つい先程、青野君が私に教えてくれた情報なんだけど、数日前に王城内で『猫族による雪凪殿下暗殺未遂事件』が起きたらしくてね…」

 ———は?なん…………


 零夜お父様が話した衝撃の情報は私にとって寝耳に水であり、私が想定した『猫宮瑠璃攻略ルート』の限りで1番最悪な展開だった。


 



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る