第17話
誰かに見張られている。
そんな気持ちが雪江を緊張させた。私を思っている人ってどんな人?
雪江は自分の足をみた。先端の丸い棒のような惨めなそこをみて、胸が締め付けられるほど悲しくなった。何のために私はあのとき自殺を選んだの。私はもう見限りをつけたのよ。この世に。この世の中の人全てが嫌い。私を苦しめる人ばかり。
しかし、なんだか気になるのだ。人から思われていると思うと、身だしなみに気をつけたくなる。頭を触ると、べたべたした。もう一週間も風呂に入っていない。今から入ろうかな。そして綺麗な姿で来るべき人を待ちたい。嫌。また私はそんなことを考えて。人に気に入られてようとしている。誰かを必要としている自分の甘えた根性が嫌い。どうせ世の中まともな人はいないのよ。敵ばかりだわ。
それでも、雪江は何だか未知なる冒険を前にしたようにうきうきそわそわするのだった。とうとう彼女は風呂にはいることにした。惨めな足の先を洗っていると、本当にずんと心が重たくなり、嫌になってくる。それでもしっかり洗って風呂から出た。腕を使って歩く。手が足の代わりだ。なんだかひどく疲れて、開け放している窓の前に座った。網戸ごしに柔らかい風が吹き込む。すると雪江の濡れた髪から水がしたたる。
「あの五十嵐賢という子、また来るかしらね」茂が紅茶をいれながら楽しさを隠そうともせずに言った。
「きたってどうもしやしないわ」
「あれ、あんたも強情だね。本当にね、可愛い子だったんだからね」
「なぜ私につきまとうのかしら」
「あんたが美人だからさ。好きなのよ」
そういわれると雪江は嬉しい。しかし、信じられないと言う思いが勝って、警戒してしまう。まさか財産を狙う泥棒かしら。ここにはお金などないのに。貧乏だのに。
ぼうとしていると、茂が、
「あらら、あんた髪も拭かないで風邪ひくよ」
といいながら、タオルで雪江の頭を拭いてくれた。
「ぼうとしてばっかで、あんたも困った子だね」
茂は優しくそういいながら雪江の肩をもんでやろうと思い、軽くマッサージして、その肩の骨ばった華奢さにびっくりして、こんなに不健康になってと悲しくなった。茂は涙ぐみ、悟られないようにこっそり涙を指ではじいた。
「熱い紅茶でも飲みな」
タオルに頭を包み込まれながら、雪江は紅茶を受け取り、ちびちびと飲んだ。空の景色がセピア色に変わっていく。黒い影が伸び、遠くで赤く染まった空が水色の空を追いやる。雲が黄金色の縁取りをきらめかせている。
「自然のように。あの空の景色のように」
雪江は思う。
「人間だってあんなに美しかったらいいのにね」
雪江の独り言を聞き取って茂はふふと笑う。
「人の心はどんな色にもなるんだ。ああ考えたりこう考えたり、おかしくなったり悲しくなったり。明るい言葉がポイポイ出たり、暗い言葉で脅しつけたり。人間だって自然に勝るものを持っているよ。それは感情と言うものだよ」
「つらいわ」雪江は空の美しさが憎々しくなって唸るように言った。
「感情なんてなくなればいいのよ。惨めな気持ちで毎日生きて、私はなにが楽しいのかしら」
「楽しいことは迎え入れていればいずれやってくるよ」
寒いと思って茂は雪江の肩にショールをかけてやった。そっとその顔を伺うと雪江が泣いているので、茂はぎょっとし、胸が張り裂けんばかりになった。彼女の気持ちが沈んでいると、茂も苦しいのだ。
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