第9話
帰りの電車のなかで、雪江はプレゼントを開けてみた。それは青いリボンの髪留めだった。こんな可愛らしいものを。彼からは女性としてみられていたのだ。自分が可愛くなることを思ってくれているのが嬉しくて、ひょっとして彼は自分のことを愛しているのではないかと期待して、そんな優しい彼を今まで傷つけてきたのが申し訳なくて、雪江は胸が詰まった。
ぼうと窓に写る自分の顔をみた。他の乗客と違う顔の色をしていないのかと気にした。しかし、黒っぽく映って、色はよくわからなかった。けれども、頬はじんじんと熱くなっていたから、きっと赤いんだわ、と思った。雪江は冷たい手のひらで首の後ろを冷やした。隣の座席に座っていた若い女が、雪江の曲がった肘を邪魔そうに、睨みつけた。すみませんと謝り、雪江は手を太股の上に乗せた。そして、俯いて、横髪で顔を隠した。
家に帰ると、雪江は仏壇の前に座った。拝むために座ったのではなく、仏壇に飾ってある母の写真を見るためだった。
やっぱり私と違う。
美しい母の姿をみると、雪江は悔しいようなやるせない気持ちになる。どうして、自分は母と違うのだろう。泣きたくなる。もし、自分が美しかったら、自信を持って、もっとちゃんと浅田と向き合っていた。しかし、神様は私にハンデを与えたのだ。
痩せようか。雪江は一瞬ちらりと考えた。でも、食べることは唯一の自分の幸せなのだ。痩せたところで可愛くはなれないわ。そう自分に言い聞かす。雪江は悲しげに首を振りながらも、食べる幸せを取り上げられなかったことに安堵した。雪江は自分の部屋にこもり、鏡の前に座って、髪留めをつけてみた。よく似合っていた。それだから、激しく胸がときめいた。こんなに似合うのは、彼がきちんと見繕ってくれたおかげだわ。きっと私の姿を、私の髪を想像しながら、選んだのね……。一番似合うのを探してくれたのね。私のことだけを考えてくれた時間があったのだわ。私一人のことを。強く思った時間が。雪江は真っ赤になって目を潤ませた。
「ごはんだよ」
祖母が襖を開けて入ってきた。雪江は赤くなった顔だというのに、恥ずかしいのを忘れ、驚いて振り返った。祖母が立っているのを見ると、勝手に入ってきて自分の時間を邪魔され、今のみっともない赤い顔を見られたことに、微かに腹が立った。
「あらどうしたんだよ。その髪飾り。可愛いじゃないの。買ったの?」
「貰ったのよ」
「誰に」
「職場の人。日頃お世話になっているからって。それに誕生日だから」
「そう、良かったじゃない。祝ってくれる人が居るって感謝感謝だよ。おばあちゃんはね、物じゃないけれど、あんたが一番喜ぶものを用意したよ。ごちそうとケーキ。嬉しい?」
他人のプレゼントに自分の愛情が劣っていると思いたくなくて、茂は雪江の好きなものと強調し、得意げに胸を反らせた。
「ありがとう楽しみだわ」
誇らしげにしている祖母の健気な愛情に、雪江はくすぐったさを感じた。そして、そんなふうに自分を思ってくれている人に対し、先ほど怒りの感情が心を襲ったことを、恥じた。
電気を消した部屋で、ケーキの蝋燭の火を吹き消し、雪江は祖母の拍手に迎えられながら、明日のことについて考えていた。職場での自分の身の振り方。今までのようにはできない。注意された以上、変わらねばならない。そうよ、つんけんしちゃいけないわ。普通に接するの。優しく、思いやりを持って。でも、顔が赤くなったら、知られてしまう。私の気持ち。それが怖い。なによ、化粧があるわ。明日はうんと濃い化粧をしていこう。雪江は祖母がケーキを皿に取り分けるのを見ながら、ホークを片手に握りしめ、一人、明日の用意ができたことを嬉しく思った。
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