17話 過去は語る

「おい、小娘。貴様の名前は何だ」


 思いの外静かに男は話し始める。意図が読めなかった。時間稼ぎではない。この男は強いから私をここにいさせたまま仲間が来るのを待つことだってできるだろう。


「自分を殺すと宣言した人間に告げる名前なんてないよ」


 足の震え、怯えを隠す。この男は間違いなく強い。魔力量なら負けないが、魔術を使わない身体能力や戦闘の技術,経験、それらに基づくカンは魔力以上に歴然とした差がある。


「そうか、ならば私の話を聞け」

「私に何の得が?」

「まともに生きていられる時間が増える。それとも何だ、お前はそれ以上が欲しいと言うのか?」

「・・・・・・お前じゃない。エテルナス」

「それがお前の名か。私は、カネムだ」


 男は一度口を噤む。

 というか、そもそも男は何が言いたいのだろうか?


「メルカートル様は」


 出た。あの変態。


「優しきお方だったのだ」


 は?こいつは頭がおかしいのか?純粋にそれを一瞬、疑う。

 あの男が優しい人間?あの変態が?寝ている少女を襲うような輩が?間違いなく情報が乖離している。

 本当にこいつらの言うメルカートルという男と私が殺した人間は同じなのか?

 信じられない。

 男は続ける。


「私の父親はそれは愚かな男だった。小さな商会の長だったのだが、私はあいつが素面なのをほとんど見たことがない。それ以外の時は大抵お袋か私と妹に暴力を振るっていたしな」

「長い。もっとわかりやすく、無駄なく言って」

「お前がそれを言える立場だとでも?そもそも、生きる時間が延びてうれしいのはお前だろう。こちらが温情を与えてやっているというのに」

「私の頭にそれを温情と判断する部分はないかな」

「かわいそうに。下民は言葉が達者ではないのか。まあ良いだろう」


 いちいち動きが大げさで頭にくる。それでいて、全く隙は感じられない。会話と場の雰囲気だけで私の神経を逆なでするとは。しかも、それが異常なまでにうまい。これも一種の才能だろう。

 思えば、ネーフェもそうだった。初めて会ったときは鬱陶しくてしょうがなかった。聞いて欲しくない質問もずけずけと言ってくるし、放っておいて欲しくても構ってくる。

 そう思うとどうしようもない寂寥の念が浮かぶ。

 あの場に放置した奴らは顔を既に上げ動き出したようだ。気を失っている男たちを数人で担ぎ上げて帝都の陰から出ようとしている。さっさといなくなって欲しい。動ける十一人のうち七人は消えて、残りは四人。

 彼らは周囲110バルムの中にきていないし、通路の先にいて私を囲んでいるわけでもない。


「アレは十一の頃だったか、親父が酒と女でこしらえた借金の形に私と母、妹は売られた。あの後母は牢の中で死んだよ。あの男と結婚したのを心底後悔して」


 過去を思い出しているのかどこか遠くを見つめている。


「私には、私たちには何もできなかった。そもそも与えられる飯の量が少なすぎるんだよ。奴隷はものだ。飯にかける金はもったいないってな。母は自分に出される少ないご飯を私たちに与えていた。本当に、すごい人だったよ、母は」


 どこかで聞いたような話だ。

 誰だったか、私にそんな話をしていた気がする。

 だから、私にそうするんだ、と。自分が経験したから、その辛さが、苦しさがわかるから私にそうするんだと。食べ物が与えられないって苦しいから。

 結局ネーフェがあいつらに言ったからなのか、食事を与えられる頻度は確保されるようになったけれど、それまでは本当に少なかった。与えられたのは消しておいしくはなかったけれど。

 でも、元々私は小食だったけれど、成長する時期の男の子にはきついだろう。


「妹が・・・・・・ベナが、今どこにいるのか私はわからない。七歳だったか、そんなに小さかったのに売られたよ。一緒にいるって約束したのに」


 後悔しているのだろう。後悔しないはずがない。

 大切な人が苦しむ。自分は何もできない。それで後悔しない人間なんていない。私だって後悔している。父が殺されたと知ったときはどうしようもなく、ただ胸が荒れ狂った。それをろくに悲しんでもいない母に、もっと腹が立っていた。


「もう、死んでいるかもしれない。生きていてもどこかのクズに慰み者にされているかもしれない。私には何もできなかった」


 結局何が言いたいんだ。自分は不幸でした、と。不幸のどん底から救ってくれた恩人を殺したお前を許さない、と。

 そう言いたいならさっさと言えば良い。

 声を上げられず救われないものだっている。ネーフェに会わなければ私は一生この世界を見ることなく死んでいただろう。

 別に私が一番不幸と言いたいわけじゃない。その思いを、他人に話して自分不幸でしょアピールをする人間に無性に腹が立った。


「そんなときに、あの人が私を救ってくれた。私だけじゃない。アイツらもだ。坊ちゃんは完璧ではなかった。それでも私たちの主だったんだ・・・・・・」

「だから、私を殺すって言いたいんだ?」


 わかってる。

 大切な人を奪われたら復讐を生きがいにするしかないってことは。あのまま東に逃げ込んでいなければ私も復讐鬼になっていたかもしれない。

 私が殺した。命を以って償うとか言っても楽に殺しはしないだろうし、生きて償うと言ったって死ぬ方がまだましな地獄を見せられる。あいつらはそれでもきっと満足しないだろう。

 死者は蘇らないから。

 死に囚われてしまった。

 放り投げた死という縄は私の首に絡まりつき、意地でも離れようとしない。


「ああ、そうだ。エテルナス、と言ったか。安心しろ。平均から考えて三ヶ月は死なない」

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