15話 風の悪戯

 それは大通りを歩いている時だった。もうすぐ、だいたい南地区に入るというその瞬間、強い風が吹いた。すさまじく強い風だった。あまりに突然の風だったから、押さえる手が間に合わず、フードがめくれる。


「っ」


 日光が皮膚にあたり、少しずつ、体を焼いている気がする。日光を通さない簡易結界があるとは知っているけど、そう割り切れるものではない。

 ふと、周りを見渡すと、人々がこちらを見ていた。こちらを見ている大人たちはおびえた顔で近くの人に話しかける。

 私じゃなくて後ろに何かあるのかもしれない。一縷の望みに賭けて後ろを見ても、

そこにいるのはこちらを見ている人ばかり。

 異様な雰囲気だった。静かなのに、どこか騒がしい。剣呑とした雰囲気の中に、恐怖と、動揺と、悍ましいものを見るような視線が混じる。

 そんな目で私を見ないで、と願う。なぜそんな目で見られているのか皆目見当もつかなかった。

 そんな一種の静寂を切り裂くように、子供が叫ぶ。


「いみこだ!」

「え?」


 おそらく、親と思われる大人が子供の口を塞ぐ。

 なぜ。なぜわかったの?確かに、それを知っているのならそんな目で見てくるかもしれない。

 でも、変色薬を使っていた。今の私の髪は白じゃなくて黒で、眼は赤じゃなくて黒だ。一抹の不安を感じ、視線を上にやる。そこにあったのは、今そこにあるべき黒ではなく、白だった。

 いつ、切れた?確か、十日はもつはずだったのに。いつ?もしかしてあの時?いや、それともさっき?少なくともあの男に襲われるまでは・・・・・・いや、アレか。鮮烈な痛みが蘇る。あのときに、色が変わり始めていたんだ。

 だから、月蝶亭の人もあんな反応をしたんだ。だからすごいと思える。静かに何も追求しないでもらえてありがたかった。普通の人なら騒いでいたと思う。

 近くを貴族の一行が通る。私に気づいた数人の騎士たちは、凄まじい形相で駆け寄ってくる。彼らの手の内にフォルゴーレが顕現する。


「忌み子が・・・・・・死ね!」


 踵を返し、龍を前にしたかのように東に駆け出す。どうして私は東に戻って来ることができたのだろう。一体、どの面下げて?人殺しの化け物が、どうやって?そもそも、忌み子が人並みに生きることができるなんて考えたのがマチガイだったんだ。

 おそらくだけど南地区に入った。風景が今までの形と少し変わっているからだいたいわかる。

 両足の訴えを無視して走り続けていると、突然左から剣が投げつけられる。剣が飛んできた方向を一瞬だけ見る。

 投げたのは、高級そうな服を着ている子供だった。見た感じだと、貴族のお坊ちゃまだ。それも、自分が誰かに攻撃されるなんてひとかけらも頭の隅にないような。

 でも、それは間違いじゃない。何人もの護衛がいるから、攻撃できない。それに、あんな子供にかまっている時間はない。


「何で、私が」


 あのような貴族になると、フォルゴーレをむやみに見られることを恥とするから護身用にフォルゴーレ以外の剣をもつ。そもそも、フォルゴーレは必ず武器になるわけじゃない。

 実際にその剣を使う場面に遭遇する貴族はごくごく少数派だ。つまり、あのガキは少数派ということだ。うまく避けられなかったら左手を失うところだった。

 彼らを刺激しないように右手の方向に走る向きを変える。左手に逃げた方が東には近いが、しょうがない。

 幸い、あのガキの護衛が少なかったから騎士たちがこっちに向かってくることはなかった。護衛対象に危険をもたらす可能性のある忌み子を殺すために、何人かが私を追って人数を減らして、その結果護衛対象を危険にさらしては本末転倒ということだろう。

 ようやく追われている状況から逃げられたので走りながらフードをかぶり直す。

 そのとき、弓弦の音が響く。魔力の矢が迫る。一瞬気が抜けていたのでうまくよけきれず、右手の肉が抉られる。左手の自分でつけた傷は今も痛いままだ。


「私が、あなたたちに何したっていうの・・・・・・」


 答えは返ってこない。

 どうせ、返ってくるとしても生まれたのが悪いとかそういうものだろう。生まれ持った特性は後から変えることはできない。

 もし私が忌み子じゃなかったら、母は愛情を注いでくれたかもしれない。

 もし私が忌み子じゃなかったら、母は今も父と仲が良かったかもしれない。

 もし私が忌み子じゃなかったら、家庭は円満で父は生きていたかもしれない。

 あふれ出る非現実的な仮定が私を焦がす。


「私だってこんな自分嫌いだよ・・・・・・」


 もし私が忌み子じゃなかったら、私はきっと大切な人を見殺しにしなかった。

 もし私が忌み子じゃなかったら、私はきっと生涯人を殺すことはなかった。

 もし私が忌み子じゃなかったら、私はきっとこんな後悔をしていない。


「わかんないよ・・・・・・」


 左足に刺さった矢が与えた激痛は私を転ばせる。

 あと、5バルム。さすがに、こんな貧民窟に率先して入りたいと思うような表世界の人間はいない。地面に倒れ伏しながら前に進む。

 あと、3バルム。矢が右足に刺さる。痛みに呻く。痛みをこらえながら立ち上がり、前へと進む。

 あと、1バルム。背中に大量の人の気配を感じる。浅い場所にいたら連れ戻されて殺されるだろう。

 赤子よりも遅い足取りで前に進み、角を曲がって体を隠す。少し歩いてから物陰に隠れ右手を治癒する。左足に刺さった矢に手をかけ、いったん外す。どこかで激痛が走る行為をするときは舌を噛まないよう何かを噛んだ方が良いと聞いたことがあった。正しいかはわからない。でもなんとなくやっておこうと思えた。

 深呼吸をして、矢を抜く。返しのついた鏃が肉を抉り、声にならない叫びが私の中を突き抜ける。すぐに治癒魔術を発動しても、痛みは残り続ける。

 もう一度。今度は右足を。荒い息をかみ殺し、左足の矢に手をかける。

 ただひたすら、痛みに耐える。

 痛みがある程度引いて、周りを見渡す。私の周りには十人ほどの大人がたっていて、皆が私をに睨んでいた。

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