12話 血塗れた手
前回のあらすじ
エテルナスは家族に責められる夢を見る。自己嫌悪にさいなまれ、ただ夢で泣いていたエテルナスが目覚めると男に襲われかけていた。エテルナスは恐怖により無我夢中で剣を振り、男を殺す。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
フォルゴーレが赤い。
美しい銀色の剣身は血に染まっている。
目の前の男はピクリとも動かない。
気づけば奪われることはなかった肌着は破けていて、もうほとんど裸だった。その肌には痣や切り傷、とにかく揉み合ったときに傷ができていた。
頬を拭った手は赤い。
もともと血で濡れていたのだろうか?それは十分にあり得る。自分が刺して致命傷を与えたのだから。傷口に一番近かったのだから。
それとも今ついたのか?頬には間違いなく男の血がついていた。今も生暖かい。その血を拭う布は存在しない。
私が、殺した。この手で。
「私が、殺、した?」
肉を斬る生々しい感触が再びよみがえる。いや、さっきは殺すことに集中していたから先ほどよりも強い。
男の今際の握力。肉を切り裂く感触。口に入った血の味。全身が悲鳴を上げる恐怖。その全てが、私を支配する。
無我夢中で振り抜いた剣が命を奪った。奪ってしまったのだ。私は、人を殺してしまった。
膝から崩れ落ちる。力がほとんど入らない。吐き気がした。
「ぉうぇ」
吐いた。
ただ、吐いた。
何もかも吐いた。
胃を空っぽにして、それでも吐いた。
胃液しか出てこなくなって、それでも吐いた。
口の中が酸っぱい。
信じられなかった。自分は人を殺めてしまった。それを認めてしまった。自分が気持ち悪かった。どうして良いかわからず涙が出て生きた。
泣いて、吐いて、泣いて、吐いた。
恐ろしかった。無我夢中で逃げることよりも相手を殺すことを選んだ自分が心底怖かった。焦りすぎず身体強化をしていればあの程度逃げることはできたはずなのに。
震える手で左手に剣を当て、刃を押しつける。血が、にじみ出す。
切り取ってしまいたかった。もう、手は化け物の手にしか見えなかった。人を殺めたこの血濡れた手を自分から離したかった。
刃が1ロンジ(1ロンジ≒1.8cm)ほど肘のあたりを切り裂く。
肉を切る、感触がした。
それでも、できなかった。
また感触がよみがえった。切った腕が痛かった。
あまりの痛みに剣を引き抜くと自分の血が吹き出る。
妙に赤かった。どうやら私はまだ身体的には人らしい。その血が、あとどのぐらい出たら私は死ぬのだろうか。それでもいい。いや、それが良い。死なないと。
・・・・・・それでもまだ私の本能が狂っていなかったのか、気づけば治癒の魔術を発動させていた。魔力をうまく制御できない。
よろよろと立ち上がってその場をあとにする。服も回収せず、破れた肌着の代わりに何かを着るわけでもなく。
私は逃げ出した。
死体が自分の足をつかんだ気がした。
転ぶ。
立ち上がろうとしたら腕を引っ張られたのかまた地面に転がる。後ろには誰もいない。そこにあるのは破れた服と物言わぬ亡骸だけ。
だからこそ、きっとあの男が摑んでいるのだと悟る。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
まるで譫言のように繰り返しながら転び、立ち上がろうとし、また転ぶ。
ようやく立ち上がることに成功し、逃げる。走っては転び、立ち上がれず地面に転がる。何度も何度も転んだ。気づけば体中に擦り傷ができていた。首元には痣がある。
何かのお店の裏口なのか、ドアの近くにゴミの山があったので、その陰に逃げ込む。それでも安心できず、周囲2バルムを囲った結界を張る。
数分うずくまっていたあと、視線をあげると結界の外にあの男がいた。あの男は私が起きるのを待っていたかのようで、私が顔を上げた途端に動き出す。
目をそらしてもその動きは変わらない。少しずつ、それでも着実に私の方へ近づいてくる。もうすぐ結界に触れる。
きっと入って来ることはできないと自分に言い聞かせる。
この結界は魔術としては完璧だ。周囲と完全に自分を隔てている。空気さえも通すことはない。当然、人だって。
じゃあ、亡霊は?
そのことに気づいた瞬間、霊は結界に触れて、中に手を入れる。
本来ならば奥に入れようとした瞬間に弾き飛ばされるか消滅するはずだ。それなのに、男は、男の亡霊は私が作った結界を一切気にせず入ってくる。
完全に体が入り込んだ。
「ひィッ」
男は私に触れようとした。手は先ほどと同じように私の首元に伸びる。
ひどくその動きはゆっくりだった。それでも、逃げられる気がしなかった。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい・・・・・・」
結界の端に逃げる。
もう、まともに立ち上がれそうになかった。
男の手は私に触れることはなく、空を切った。
男の顔をよく見ると、目は焦点が合っておらず、どこを見ているのかわからない。それでも、私にはわかる。間違いなくその魂というのか、彼そのものは私を見ていた。
逃げられない。
絶望が。
「ぃや」
弱々しい声を上げる。何で私はこんな恐怖を感じているの?
地下牢から逃げたから?家族を見捨てたから?あの人のいうことを聞いて、逃げたから?
どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?
あまりの恐怖に、失禁する。
犯されるかもしれないという恐怖もすさまじいものだった。
でも、わからない。この恐怖は何なの?死ぬ恐怖?多分、違う。確かにそれがあるのは事実だけど、一番じゃない。それじゃないなら何なの?わからない。
ただ、恐ろしい。逃げ場なんてない。恐怖を鎮めてくれる人なんていない。ああ、私はひとりぼっちだ。
そして、霊は私が今までで一度も聞いたことのないほど恐ろしい声で私にこう言った。その言葉は、端的に私という存在を表していた。
ひとごろし、と。
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