10話 あの人の最期
止めないと。あの人を助けないと。
フォルゴーレを顕現しようとする。だけど、動揺しすぎたのかヴィースに変化しない。オランディはフォルゴーレを人が出したときの最初の形態で、硬さと見た目以外ただの石だ。
だから戦いには使えない。
それでも何かしようと処刑台に近づく。
暴行は商会長一家だけだったのかわからないけど、あの人は三人ほどボロボロじゃない。それでも着ているのはいつもの白と紺の家事専用の服じゃなくてぼろきれだった。白いエプロンはどこに行ったのだろう。紺のドレスも、手袋だってなくなっている。
・・・・・・わかりきってる。帝国が持っているに違いない。
もう、あの人しか私に残されていない。取り戻さないと。ようやく冷静になって一度フォルゴーレを消し、再顕現しようとする。その瞬間、彼女と目が合った。また一気に魔力が霧散し、顕現が失敗する。
逃げて、と口が動いた。
「ネーフェ」
無理だよ。逃げられるはずがない。あなたを置いて逃げられるはずがない。だってあのときだってあなたが話しかけてくれたから私は生きていられたんだ。
初めて会ったときはどうせ直ぐ辞める使用人の一人なんだろうなって思っていたけど、今は姉のように思ってる。
「受刑者は順に、会計長ペクーニ、使用人長ベネフェクト、使用人ペッカートム、同じく使用人ポエナ。本件である通貨偽造に関わったものたちである」
「なあ、告発の文書は俺が出したんだよ。お願いだから、信じてくれよ」
「本官は審判貴族ヨスティーツァ様の指示にのみ従っております。何かありましたらかのお方にお願い致します」
ペクーニと呼ばれた男が処刑人に泣きついているが、すげなく断られている。でもそんなことはどうでも良い。耳に入ってくる邪魔な情報を打ち消し、ネーフェだけを見て前へと進む。人の海をかき分けて。
私はあなたのことをほとんど知らない。
例えばあなたが使用人長だったこと。あれだけ若くして、国を牛耳るような大商会の使用人長になるなんて生半可な努力でなしえる事じゃない。
知ってたんじゃないの?逃げられたんじゃないの?
自分の人生を棒に振って、命を捨ててまで何で私を助けてくれたの?告発なんかしなければ、止めておけば安定した収入がある素晴らしい人生を送れたというのに。私みたいな人間を助ける必要はなかったのに。
私は恩人の危機を目の前にして、動揺して直ぐに助けに行けないような屑なのに。
人の波は容赦なく私を押し戻し前に進ませてくれない。
・・・・・・いや、違う。私がもっと前に進もうとしていないんだ。多分、わたしは怖がってる。自分が、忌み子だと知られることを。
もし、誰かに気づかれたら?変色薬の効果が突然切れたら?今だったら逃げ切れるかもしれない。でも人混みの前みたいに目立つ場所に出たらきっと隠しきれない。
そうなったら殺されるかもしれない。死にたいとか口では言ってもいざとなれば生きたいと願う、本当に愚かな人間。それが私の本性だ。
私は屑なんだ。人と自分が違う。それは人から迫害される十分な理由になれる。だからそれを恐れて、必死で自分は普通の人間だと思って生活する。
力が、抜ける。結局私は自分が一番かわいいのだ。自分の安全のために、大切な人を見捨てた。
『エーテ様は優しいですよね』
ネーフェに言われた言葉がフラッシュバックする。何度も、何度も。
「無理だよ・・・・・・」
いやだ。いやだ。失いたくない。あなただけは死んでほしくない。一緒にいてほしい。波をかき分ける腕に、力がこもる。さっきまで自分を押し続けていた波が嘘のように自分をよけていく。
あと10バルム。
また誰か人にぶつかってフードが外れた。戻している暇はない。そんなことしていたら押し戻される。
あと5バルム。
顔がはっきり見えるぐらいまで近づいてきた。
「消えなさい!」
突然ネーフェが叫ぶ。ほかの受刑者と処刑人、あと観客は驚いたように彼女を見る。この場で誰よりも静かだった彼女が叫んだから、当然かもしれない。その目は私を射貫いていた。
「私の目の前から消えなさい!」
ネーフェは私を見て叫ぶ。
なぜ自分がこれほど拒絶されているのかさっぱりわからない。
「受刑者ベネフェクト、静かにしなさい」
彼女の目はひたすら帰れと叫んでいた。
帰る場所なんてない。私にはもうあなたしかいない。私にはあなたがいなきゃだめなんだよ。
なのに、何で?
「あなたの顔なんて見るつもりはありません。冷やかしなら帰りなさい」
あなたは告発に関わったんじゃないの?そのタイミングで私を助けたんじゃないの?何が何だかわからない。
「今すぐ!あなたのような人間が嫌いなんですよ!」
ネーフェは処刑人に殴られたようだった。それでもその瞳は私を見ていた。
はじかれたように逃げ出した。怖かった。大切な人にまた拒絶されるのが。だから、私は、逃げた。
わからなかった。瞳には負の感情がこもっていなかった。
振り向く瞬間に見えた彼女の涙なんて見ないふりをして。
見捨てたという事実が胸に深くのしかかる。
走り続けた。
断頭台の落ちる音なんて聞こえないふりをして。
気づいたら泣いていた。もう二度とネーフェの声は聞こえなかった。
それでも走った。
二度目の歓声が響き渡った。
振り向く。
残り二人だった。
走った。走って、転んで、立ち上がって、逃げた。何かから逃げた。責任なのか自責の念なのか、全部まとめて後悔なのかよくわからなかった。
いつの間にか薄暗い路地に入っていた。ゴミに足がぶつかり、転がる。もう立ち上がれなかった。動けなかった。
頬に流れた涙が塩辛かった。
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