第15話
夜。
夕食を食べた後、湯あみをして、ミウェンは神官たちの屋敷へと戻り、巡はバリヤの部屋で二人きりになった。
「読めて、書けても発音ができません」
「俺が見てやる」
昼から夜の鐘がなるまでは、表を見てこの国のスペルを覚えた。
時間が経つとすぐに忘れてしまうが、何度も何度も覚えなおした。
間違えるたびにミウェンかバリヤが正しい発音を教えてくれた。
「話すには、読めたり書けたりすることよりも発音と単語を覚えた方が早い」
「ですよね……!わかってる、わかってるけどできません……」
スペルを覚えるだけでいっぱいいっぱいなのだ。
特に、大学を経て社会人になってからは新卒カードを無駄にし工場で軽作業の勤務をすることを選び、毎日脳死で働いて勉強なんてむこう一年はやっていなかった。
脳みそが勉強そのものを拒否している感じすらある。
「バリヤさんは、どうやって言葉を覚えたんですか?」
「俺の場合は、覚えるというよりも読み込むという方が近いからな」
バリヤが本を読み、暫くするとどこからかレベルアップの効果音が流れた。
バリヤ は 人間の作法 を おぼえた!!
バリヤの元へ決まり文句が表示された。
「これを繰り返すと知識が増えていく」
「それってアリなんですか!?!」
「メグルのような努力はスライムには無効だ」
「無効て。それはそれでなんだか悲しい気もしますが」
「とりあえず簡単な挨拶から覚えろ。明日ミウェンやザックに使ってみればいい」
「そうですね。そうします」
教科書に載っている挨拶を、読めないながらもゆっくりと読み上げる。
「お…はよう……ごz……ざいま…す」
「それでいい」
「いいんでしょうか」
「ああ」
「こん……にち…ちぁ……」
「発音が甘い」
「うーん……難しいです」
「今日はもう寝ろ」
「あっ……そうですね。もう夜ですもんね」
ランプの火を見て、巡はバリヤのことが気にかかった。
「バリヤさんは、このまま起きているんですよね。ランプの灯は付けたままにしておきましょうか」
「ああ。スライムの時は夜目が利くが、人間の身体だとランプがないと本が読めない。そのまま寝ろ」
「ハイ。そうします」
すごすごとベッドへ引き上げていく。
使った形跡のないベッドの布団を掴んで、首元まで引き上げる。
騎士団のベッドは屈強な男たちが使う作りだからか、巡には少し余る大きさだった。
巡も170も半ばは身長があるのでけして小柄なわけではないが、足元がスースーする。
と、バリヤがランプの灯を消した。
トストスとこちらへ歩いてくる音が聞こえ、ベッドにバリヤが潜り込んできた。
「あっ……あの、バリヤさん?寝るんですか?」
「スライムは寝られない」
「じゃっじゃあなんで」
「貴様が寝られないと困るだろう」
「いや、寝れます!寝れますよ!!明るくても!!」
二人では狭いからか、バリヤが巡を包み込むようにして抱きしめる。
「いいから寝ろ」
目を閉じるバリヤに、本当にスライムは寝ないのだろうか……。と心配になりながらも巡も目を閉じる。
固い腕にもたれかかって寝ると低反発枕のようで気持ちがよかった。
腕だけでなく、胸板も、頭に当たるごつごつとした顎の骨格も固くて、何から何まで筋肉でできているバリヤの身体に少し緊張しながら身を委ねた。
委ねたのだが。
プニプニと透明なスライムが巡の身体を包み込んだ。
硬かった筋肉が一瞬にして沈み込む軟体へと変わっていく。
「バリヤさん!?スライムになってます!!」
「この方が寝心地が良いかと思って」
「お茶目!!って馬鹿!!これじゃザックさんみたいにスライムに溺れちゃいます!!」
「そうか。悪かった」
魔法がかかる感覚があり、シュルルとバリヤが元の体躯に戻った。
「実を言うと寝るふりをすることはできるがその間、俺は暇だ」
「だから遊んだんですね!?俺で!?」
「……」
フフフとどちらともなく笑い出した。
「明るくても俺、寝られますから。バリヤさんは本でも読んでいてください」
言う巡に、バリヤは横に首を振った。
「いや、このままで良い」
「でも……」
「メグルが寝ているのを見ているだけでいい」
「……それも人間の生態の知識から出た気持ちですか?」
「ああ」
巡はなんと言ったら良いのかわからなかった。
2度も助けてもらっている。命の恩人だ。
命の恩人に快感を分かち合いたいと言われ、受け入れるために告白して、ベッドの中では一緒に眠って。
これが好きということなのだろうか。
バリヤがスライムでなければ、これが愛されているということだと勘違いしてしまっていただろう。
いや、バリヤがスライムだからこそ、これが愛でないのではないかということに胸が痛む。
少なくとも目の前のスライムがとる行動の一つ一つは、もし人間であったなら、巡のことを好きなのだと十分に感じさせるようなものであった。
これが愛でなければなんなのだ。
愛されている錯覚に陥るからこそ、これが作り物の愛でなければ良いのにと願う。
そんなことを考えているうちに、巡は眠気に襲われて、バリヤの胸の中で眠りについた。
「ただいま~!!」
「旅行明けみたいなテンションですね」
ザックが戻ってきた。
「バリヤと寝たんだって?」
「語弊がある!!」
開口一番これである。
寝たのは寝たが、本当に眠っただけである。
「というかバリヤさん、なんで言っちゃうんですか!」
「問題になるようなことはしていない」
「まぎれもない事実!!」
「ザック様、遠征お疲れさまでした」
ミウェンの一声を皮切りに、バリヤと巡もザックに向き直った。
「勇者凄かったよ!一瞬で瘴気が浄化されてさ!僕も当てられてなんだか心が綺麗になっちゃったよ」
「心が綺麗な人が言うセリフがさっきのですか!?」
驚きである。
それに、勇者の力が他者に影響を及ぼすほどのものだったということも驚きの一つだった。
「勇者って本当に凄いんですね」
「そうだね。瘴気の浄化は何度か行わないといけないかと思ってたけど一瞬で片が付いたし、魔獣やモンスターたちと出会っても物おじせず退治して……魔法は使えないみたいだったけど魔力はとっても大きくて、物凄く強かったよ。
魔物と戦いながら生活してたんだって。
メグルとは別の世界から来たみたい」
「見た目も名前も俺の居たとことは大分違いますし、まあそうですよね」
「でもこれで、メグルのこともよくわかってきたね」
「え?」
「僕たちと違って魔力の拒絶反応が無い、異世界の魔力を持った人間。
魔法が無い世界から来た。
勇者とも違う世界から来た。
それだけでも十分にメグルの事が知れたと思うよ。本当は人体実験なんかをやりたいところだけど……、死んじゃうかもしれないから、外からの情報だけでこうやってメグルのことがいっぱい知れたらそれが一番だよね?」
「あ……はい」
なんとなく、ザックから優しさのようなものを受け取った気がした。
昨日巡とミウェンを捕らえ研究に協力させようとした魔導士たちとザックとでは、バリヤがいるかいないかという大きな問題も含めて、少し違うのかもしれない。
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