編集済
ぽんぽん丸さん
この分析は野暮かもしれませんが……以下、一読者による妄想です。
Q.なぜ、おじさんは現れたのか?
A1.生存本能説。
「私」の脳が生存本能により、自殺中止プログラムを発動。幻覚を見せた。結果、ソリッドビジョン全裸おじさんが召喚され、私の自殺計画は無効化された。「私」はまだ本当には生きたいと思っているのに、何らかの理由で生から逃げたいがあまりに、まるで死なないといけないかのように錯覚、あるいはある種演じているのかもしれない。そしてこの辛くも後ろ向きで弱気な判断をカモフラージュする手段として、「おじさんが私を救った」という物語を無意識のうちに脳内で作って、結果的に脳は生存本能の行使に成功したのである。
A2.おじさん=未来の「私」説。
最終段落にもあるように、「私」はおじさんになろうとしている。このおじさんは、一般的おじさんなのか、それとも、「私」を救った『おじさん』張本人なのか。後者ならば、「私」には将来、『おじさん』として孤独な者に笑顔を向け救う指名がある上、未来の「私」がバック・トゥ・ザ・フューチャーのマーティ的に消えてしまわないためにも、死んでもらっては困るから、未来から来た「私」=『おじさん』が、自殺中止、もとい自殺阻止のためにやってきたのかもしれない。
A3.おじさん、救世主システム説。
この説はA2の亜種である。マトリックスの救世主システム的に、この世には、本来必要のない(であろう、と言うべきか。この判断は何を重視するかの視点によるだろう)自殺を止めるための、『おじさん』という唯一無二の役割を与えられた存在がいるのかもしれない。「私」の目の前に現れた『おじさん』は、まさしくその救世主であり、「私」はこの時、『おじさん』の役割を継承したのかもしれない。だからこそ、孤独な者に笑顔を向ける人間になろうと決心したのではないだろうか。となれば、コートのようにたなびく陰茎は、『おじさん』の潮流を繋ぐ、生命のバトンだったのだ。
また、らこれは関係ない話ですが、私にも、『自殺阻止隊』という数ヶ月温め続けている自殺関連小説の案がありますので、近いうちに公開したいと考えております。今作は、大いにその執筆の刺激になりましたので、感謝いたします。
加賀倉 創作
作者からの返信
加賀倉さん
熱い考察ありがとうございます!!
主人公の気持ちのまま進めたくておじさんについては書き切るまでぼんやりさせていました。ただ書いてる時に2,3っぽいなと思った瞬間がありました笑 なんかグルグル回っているような?ただ書き終えてからこうあってほしいなというおじさん像は実在の人間でした。
普段は社会から隔絶した施設に入られている方なのかな?嵐の影響で施設のスタッフが出勤できずに混乱が起きてこのおじさん脱走しっちゃったのではないかなと。久しぶりの外で気持ちがよくて全裸になって歩いていると、若者が死のうとしていて助けたかったんです。でも物理的には距離がある。それでやって見せるしかないなと思ったんです。出来る限りを込めて叫び説得して、川に飛び込みました。おじさんはそのまま死にました。施設はおじさんを探すけどまさかそんなこととは思わず行方不明者として扱われます。1人のおかしな中年が失踪したことは忘れられます。だけどおじさんの言葉の通りに魂は死なずに主人公に引き継がれたのだと思います。
というお話であってほしいなと思ってます。社会からはみ出した小さな存在でも、正しくない選択でも、きちんと良い魂を持てば誰かのヒーロー足りうるのだという話なのかな。そしてそういう生き方をできるのなら、寿命に怯えて何かを残そうと必死にならずとも、きちんと誰かの中で生きていけるというのが私の"感想"です笑
こんにちは。
わー、おもしろい!と思いながら拝読しました。
特に、背景や状況はすごく重いのに、「春雷と事前に打合せしたのだと思う」などのほんのりコミカルが容赦なく入り込んでいるところが好きです。
ありがとうございました。
作者からの返信
こんにちは!
嬉しいです。生き死にについて重たい教訓を与える話って、止められた人に逃げ道なくてその後しんどそうで嫌だなと感じてました。なので私はコメディにしちゃいました。書いてみてやっぱり人を救うってこれくらいアホであるべきなんだと思います。