サロゲート _ クレマチス二尉編

そせいらんぞー

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 戦争と死。

 この二つの言葉を完全に乖離することに成功したのは、旧大戦を経た後のセクト社会である。


 人類社会は致命的なダメージを受け、その復興に全力を注いでいた。だが人間とは理性である前に獣だった。獣であるということは争うということである。復興作業中であろうともその兆しは見え隠れした。また争いが起きれば今度こそ人類は滅びかねなかった。


 戦争は止められない。なら無駄な戦争を先に起こしてしまえばいい。


 誰かが言った。戦争を管理する。というより、管理された戦争を意図的に起こそう。

 そこに労力を費やせば、本当の戦争は起こらず、人は死なずに済むのではないかと。


 人に拳が振るわれる前に砂袋を殴らせる。先に拳を痛めておけば、もう他人を殴ろうとは思わない。


 戦後社会の復興に支障を来さない戦争を成立させる。そういった必要性からセクト社会が形成された。ボルシア、イーゼン、カリウス。セクトの名は対立構造を成立させるための名前でしかない。卵を尖った方から割るか、丸い方から割るかでも人は争える。中身などどうでもいい、対立構造に必要なのは区分の明快さだけである。


 三大セクトは対立構造を敷いたが、その戦争は旧大戦以前のそれとは大きく異なっていた。

 島。それがセクト社会における唯一の戦争の舞台だった。この島はキネティクルという粒子によって隔絶されており、セクト社会の人類が住む大陸とは異なる場所である。


 島には旧大戦以前の文化や資源が眠っており、また近い将来、足りなくなった土地を補うことも出来る。だから各セクトは、これを手に入れる必要がある。


 そういったお題目でセクト社会は管理された戦争を始めた。本当は島など無くてよかった。ただ他の戦争が起きる兆しを防ぐため、人々のガス抜きの為に、島の戦争が必要だった。


 その結果が新聞で報道される。島になど行ったことのない人たちは、その結果を聞いて満足する。


 セクト社会の戦争管理が正しかったかは分からない。だがこれが成功してしまった。

 一度成功してしまった「戦争は管理できる」という神話がセクト社会にとって一つの信仰となった。


 セクト社会の成立から何十年と経過し、管理された戦争についての認識が風化し始めている中で、セクト軍は他セクト軍と争いつつも、内部では二分化が進んでいた。


 セクト社会にとって、軍と島の戦争が必要と考え、軍拡を望むタカ派。

 セクト社会にとって、軍は浪費でしかないと考え、軍縮を望むハト派。


 互いのセクトの軍隊と、互いの内部の対立の中で、慎ましい戦争がセクト社会を平和に保つ。

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