第6話 小悪魔な後輩はいっぱい愛して欲しい

 小悪魔な後輩と恋人になってから数日が過ぎた。


「おぉ。この漫画めっちゃ面白いですね」

「おいこら。また人の鞄から勝手に本パクリやがって」

「ふふふ。夫の貯金は必然と妻の財産よろしく、先輩の所有物は実質、私のものでもあるんです」

「どちらかといえばジャイ○ン理論だろそれ」


 恋人になろうが僕らの他愛もないやり取りは変わらず、放課後の部室に僕らの気の抜けた声音が木霊する。


「ところで先輩」

「ん? どうした?」


 萌花から僕の買った漫画本を回収している間際、萌花に声を掛けられて顔を上げる。すると眼前に捉える小悪魔な後輩が何やら怪し気に微笑を浮べているのに気付いて、僕は瞬時に「あ、これろくでもないお願いないし命令がくるやつだ」と察した。


 萌花の表情から思惑を容易に察するくらいには彼女のことを理解しているのだと内心嬉しく思う反面。着実にこの小悪魔な後輩に懐柔かいじゅうされていっている現状になげく自分がいて。


 そんな僕の心情なんて露知らず……いや、知っていて尚マイペースを崩さない後輩は、僕にこう尋ねてきた。


「先輩はどんな体位が好きですか?」

「…………」


 ニコッと笑いながら問いかけてくる萌花。僕はその質問に、いつぞやのやり取りを思い出してため息を落とした。


「あ、先に言っておきますが、もう萌花が後輩という理由で答えを避けるのはナシですよ。萌花と先輩はもう名実ともに恋人同士。――これからはちゃぁんと、お互いの性癖について赤裸々せきららに語っていきましょう」

「恋人という関係を盾にして僕をおどすとかそれでもカノジョか貴様は⁉」


 ひどく狼狽する僕を見て、萌花は心底愉快そうにくつくつとわらう。


「教えてください。先輩」

「い、嫌だよ」

「ほほぉ? つまり実戦形式で教えたいと? 先輩もなかなか大胆ですね」

「勝手に僕の言葉を極大解釈するな⁉ い、いくらカノジョとはいえ、そういうのを教えるのはまだ早いというか……その、なんというか、もう少し関係を進めてからでも遅くはないんじゃないかなと……」


 指をもじもじさながら呟く僕を見て、萌花はニタァ、と口許を歪めてこう言った。


「先輩。かーわいい」

「かんっぜんに僕のことバカにしてるだろ!」


 なんだこの小悪魔は。僕の痴態を見て喜ぶとか完全に悪魔の所業しょぎょうだろ。

 涙目になる僕に、萌花はお腹を抱えながら嗤っていて。


「はぁ。これだから先輩をからかうのは止められません」

「……くっそぉ。なんでこんな悪魔なんか好きになっちゃったんだ僕は」

「ふふふ。今更後悔しても遅いですよ先輩。先輩はもう、萌花から離れられないです」


 かた、と椅子を鳴らして、おもむろに腰を上げた萌花。そして、萌花はステップを刻むように僕の下へと寄って来て。


「せーんぱい」

「……やだ」

「むぅ。まだ何も言ってませんよ?」


 猫の撫でような声に反射的に否定が出てしまった。顔をしかめる僕を見下ろしてくる萌花は、にまにまと思わし気な表情を浮かべたまま机に手を置いてきて、


「先輩。すこし隙間を開けてください」

「…………」

「萌花。先輩の上に座りたいです」


 なんで、という質問は無粋だ。何故なら萌花の行動はいつも突拍子もなく、その行動原理はいつだって僕をからかう為にあるのだから。


 そして今はそこに、恋人としての甘い時間を過ごしたいという欲求も相俟あいまって。


「一応部活中だぞ」

「知ってます。でも、それがいいじゃないですか。ほら、背徳的ってやつです」

「…………」

「あ、いまちょっとときめいたでしょ?」

「ときめいてなんかない」

「うそだぁ。先輩、顔赤くなってますよ?」


 うるさいなぁ。言われなくても分かってるよ。


「ほら、先輩。萌花と甘い甘い。青春の一時を過ごしましょうよ」

「うぐぐ」


 この後輩はなんでこう、僕の欲望を的確に刺激してくるんだ。


「先輩。いつまでカノジョのこと待たせるつもりですか?」

「……はぁ」


 催促してくる萌花にいよいよ白旗を挙げて、僕は大きなため息と同時に彼女の要求通り椅子をずらした。


 ガタッ、と椅子が床を擦る音が部室に響いて、萌花の「ふへっ」と嬉しそうな微笑が僕の耳朶を震わせる。


 正面。向かい合うように椅子の位置を調整すると、萌花は遠慮なく僕の上に乗っかってきた。


「あはぁ。これこれ。こうやって先輩の上に乗るの、萌花、クセになっちゃいました」

「いきなりエンジン全開すぎんだろお前」


 どっ、と熱い吐息が僕の頬を掠める。僕の上に跨るように乗っかって来るや否や、萌花は両手を僕の頭部に回して抱きしめてきた。


 まだ萌花の望む恋人同士の時間――イチャイチャに乗り切れていない僕は既に興奮状態に入りかけている萌花に困惑していた。


「せんぱぁい。早く萌花のこと抱きしめ返してください」

「はいはい」


 子どものおねだりみたく懇願こんがんしてくる萌花。興奮しているのかはよく分からないけど、身体をもじもじさせている萌花に僕は微苦笑を浮かべながら彼女の細い身体を抱きしめ返した。


「これで満足ですか小悪魔様」

「むぅ。誰が小悪魔ですか」

「お前以外誰がいるんだ」

「失礼な……でも、先輩だけの小悪魔というなら、案外悪くないかもです」

「悪くないのかよ」

「はい。だって、それって萌花だけが先輩のことからかっていい、ってことですよね」

「……はぁ。調子がいいんだから全く」

「ふふ。拒否しない先輩も大概ですよ」


 そんなやり取りを交わしている間に、僕も次第に心臓の脈が速くなっていくのを感じ取って。


「すぅぅ」

「先輩?」

「萌花の匂い。好きだなぁ」

「……ふふ。先輩を悩殺のうさつするための匂いです」


 鼻孔を侵す萌花の甘い匂い。段々と眩暈を覚え始める。


「好きなだけ嗅いでいいですよ。萌花の匂い。先輩だけの特権です」

「じゃあ遠慮なく。……すぅぅ」

「その代わり、萌花は先輩を満足するまで抱きしめちゃいます」

「ふっ。好きなだけどーぞ」


 僕は僕のやりたいことを萌花が肯定して。

 萌花は萌花の欲望を僕が肯定する。

 ぎゅぅぅ、と強く抱きしめる僕らは、相手の好きなことを好きなだけ堪能させる。


「ふふ。先輩。カレシになってから遠慮がなくなりましたね」

「お前が悪い」

「えぇ。萌花のせいですか?」

「そうだ。萌花が好き勝手に僕をもてあそぶから、僕も萌花には遠慮しなくていいって気づいたんだ」

「……ふふ。ようやく気付きましたか」


 思えばずっと、萌花が僕のことをからかってきたのは彼女なりのアプローチだったのだろう。


「悪いな。気付くのが遅くなって」

「本当に遅いです。まぁ、気付いたからには先輩の愛情をたっぷり萌花に示してもらいますけど」

「相変わらず小悪魔だな」

「先輩だけの小悪魔ですよ」

「はは。こんな可愛い小悪魔にかれたらなら本望……いや、やっぱり少しは浄化されて欲しいな」

「えぇ。そこは萌花はそのままでいいんだぜ、って言ってくださいよぉ」

「現状維持してくれるなら、そのままでいいよ」


 まぁ、からかい癖が増そうが収まろうが、萌花が可愛い後輩であることに変わりはないからどっちでもいいんだけど。


 ただ、あまりからかいすぎると、


「萌花」

「はぁい。なんですか。せーんぱい」

「もう遠慮。しなくてもいいんだよな?」

「ふふ。いつも手を出してこなかった童貞野郎のくせに、今日はやたら積極的ですねぇ?」


 挑発するような萌花の指摘に、内心心当たりがあり過ぎる僕は微苦笑をこぼさずにはいられなかった。


「付き合ってもないのに手なんか出したら僕は退学まっしぐらだろ」

「萌花は先輩にならいつ手を出してもらっても構わなかったんですよ? 先輩があまりにも鈍感だったから無理矢理キスしたくらいなんですから」

「悪かったよ。……あー。ならこれはそれまでの萌花の好意を無碍にしてたお詫びってことで手を打ってくれるか?」

「ふぅん。お詫び、ですか」


 見つめる紫紺の瞳がすっと鋭くなって僕を睨んでくる。

 しばし沈黙の時間があって。やがて萌花が「ふっ」と嗤った。


「お詫びなら、萌花が満足するまでがいいです」

「……ふっ。いいぞ。萌花が満足するまでしてやる」

「先輩が満足しても、萌花が満足しなかったら止めちゃだめですよ?」

「分かった分かった。小悪魔が満足するまでしてあげる」

「言質取っちゃいました。それじゃあ、先輩――」


 見つめ合って。互いの顔の距離がぐっと詰まる。互いの熱い吐息が頬をかすめて、交差する双眸に熱が灯ったのが分かった。


「先輩だけの小悪魔と、たっくさんキスしましょ?」

「あぁ。萌花が満足するまで、ずっとキスしてやる」


 瞳に映る。僕だけの可愛い小悪魔の、愛らしく可憐な微笑み。

 それを脳に、全身に鮮明に刻み込みながら、僕は――


「「――んっ」」


 僕らは、互いの唇を重ね合った――。




【あとがき】

次回甘々エピローグ。お楽しみにぃ~。

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