第5話 小悪魔な後輩と赤い糸
甘く、脳が
「先輩。手を繋いでください」
「――ぇ」
青空と夕景のコントラストを描く街並みを背に萌花と並んで帰路に就いていると、不意に萌花が僕に振り向いてそうおねだりしてきた。
部室であれだけもかとキスをしておきながら今更手を繋ぐなんて行為に恥じらう必要性はないのだが、そこで躊躇ってしまうのが生粋の陰キャというもの。
萌花の要求に応えるか否か。そんな葛藤に繋ごうとしている手をまごまごさせていると、
「もぉ。判断が遅いですね」
「ぁ」
しびれを切らした萌花が拗ねた風に頬を膨らませて、狼狽える僕の手をぎゅっと握って来た。
「先輩はあれこれ考えずに欲求に素直になっていればいいんです」
「いや。そうはいってもな」
「あぁ。これは萌花の配慮が欠けてましたね。そういえば先輩は女の子慣れしてない童貞野郎でした」
「くっ! 全部事実だから否定できない!」
「ふふ。安心してください。先輩のそれも全部。これから萌花が奪ってあげますから」
「っ……お前はドストレートすぎるんだよ」
僕にだけ向けてくる淡い微笑みに心臓がドクンと跳ね上がる。
たちまち真っ赤になった顔を片手で隠す僕を、萌花は心底愉快げに笑いながら見つめていた。
「というか、萌花はいつから僕に好意を持ってたんだよ」
「なんですかその硬い言葉遣いは。可愛げがないので言い直してください」
この後輩、色々と強い。
不服そうな顔を僕に近づけてそう抗議してくる萌花に、僕は「くっそ」と舌打ちしてから改めて、萌花に訊ねた。
「萌花は、いつから僕のことを好きになってくれたんだ……これでいい?」
それでいいです。と満足そうに相槌を打った。
「ふむふむ。なぁるほど。先輩はそんなに萌花がいつ先輩のことを好きになったのか気になりますか」
「めっちゃ気になる」
「……先輩には失望しました」
「いきなりなんで⁉」
突然。脈絡もなしにガッカリと肩を落とした萌花に
萌花は心底呆れた風に「これはマイナス100億点ですねぇ」と呟いたあと、僕を糾弾するようにジロリと睨んできて。
「あの運命の出会いを忘れるなんて。萌花は先輩に心底ガッカリしました」
「う、運命の出会い?」
「はい。萌花と先輩は運命の赤い糸で結ばれてるんですよ?」
「またロマンチックな言い方を」
こてん、とわざとらしく小首を傾げて萌花がそう言う。……その表情も可愛い、と感想を抱くのもつかの間、萌花の言葉に思い当たる節がない僕は萌花とは反対方向に首を捻る。
「それにしても運命の出会いねぇ。あ、もしかして僕と萌花は前世で出会っていたとかそういうのか?」
「ぶっぶぅ。萌花は前世の記憶なんて持ってませーん。ちゃんと現代です」
「ふむ。手詰まりだ」
「詰むの早すぎません? もう少し記憶を
「遡るねぇ」
萌花に促されるままに記憶を遡ってみる。
萌花と部室で過ごした日々から萌花と放課後、時々こんな風に一緒に帰った日々。
それまで退屈だった日常が、彼女と出会ってからそれなりに楽しいなと感じ始めた思い出を
「あれ? なんか僕、萌花とずっと一緒にいないか?」
「ふふ。萌花は先輩と片時も離れるつもりはありませんので」
そういうの素面で、しかもしれっと言うなよ。ハズいだろ。
にまにまと笑いながら僕を見てくる萌花の視線から背けて、胸に湧く感情を誤魔化すように咳払いしたあと。
「……あ。思い出した」
「お。ようやくですか」
萌花と過ごした日々を遡り続けていると不意に記憶の奥底にあった思い出の一つを見つけた。瞬間。その思い出が鮮明に蘇っていって、隣で待ちくたびれた顔をしている少女と
そうだ。
「入試試験の日だよな。僕と萌花が出会ったのって」
「――はい。正解です」
一つ指を立てて答えると、萌花は屈託のない笑顔で頷いた。
「そうだそうだ。思い出したよ。僕がその日は高校の入試試験があるって知らなくて間違って学校に来ちゃって、その時に廊下で慌ててる子がいてさ」
酷く
「それを聞いた優しい先輩は萌花に筆箱一式くれたんです。「よかったらこれ使って」と。シャーペンと消しゴムさえ貸してくれたらそれでよかったのに。何故か筆箱をまるごと」
「いやぁ。シャーペン数本と消しゴムだけじゃ心許ないと思ったからさ」
「でもあの時先輩が萌花に手を差し伸べてくれたおかげで、萌花は無事に先輩の通う高校に合格して、入学することができました」
あの時からです。と萌花は僕を真っ直ぐに見つめて言った。
「萌花が先輩のことを好きになったのは。それから高校に入ってすぐに先輩を見つけて、後を追って」
「おい待て。後を追ってとはどういうことだ?」
「先輩の後を追わなきゃあんな隅っこにある部活に気付くはずないじゃありませんか」
「うぐっ」
つまり僕の気付かぬ間に萌花にストーキングされてたってことか。なんだろうか。運命というより、萌花の執念を感じた。
軽く引いていると「細かいことはどうでもいいんです」と萌花が繋いだ手をブンブン振りながら話を強引に戻した。
「先輩に一目惚れして、後を追って、部活に入って……先輩と同じ時間を過ごすうちにもっと先輩の事を好きになっていって」
「で、いよいよ我慢できずに今日僕を押し倒したと」
「むぅ。押し倒してません。キスです」
どっちも変わらない気がするぞ、というツッコみは胸に
「でも、そっか。まさか僕と萌花がそんなに前から出会ってたとはなぁ」
「というか気付くの遅すぎませんか。入部した時に気付くと思ってわくわくしてたのに、それなのに先輩に気付かれなくてショックだったんですけど」
あの時のわくわくを返してください。と視線で訴えてくる萌花。それに僕は「ごめん」と微苦笑を浮べて謝ると、萌花は「まぁいいですけど」と吐息をこぼして。
「これからはそのわくわくを返してもらえるよう、たくさん先輩とイチャイチャするので」
「――っ!」
紫紺の双眸が真っ直ぐに僕を見つめてそう宣言する。期待と高揚に揺れる彼女の瞳は、これから先の僕らの関係に想いを馳せているように見えて。
「……萌花の期待に応えられるよう、精一杯尽力するよ」
「はい。萌花の期待に応えてください。萌花の先輩のことをもっとドキドキさせられるよう、さらに可愛さに磨きをかけますから」
「萌花はもう充分可愛いよ」
「ふふふ。よかったですね、先輩。そんな可愛い後輩がさらに可愛くなるんですから。尊死しないよう気を付けてくださいね」
「はぁ。それはできなそうな相談だな」
どこまでも高鳴る心臓は、繋いだ手の温もりと可愛い後輩の笑顔を忘れぬようにとドクンと強く脈を打って全身に記憶を刻んだ。
「大好きですよ。先輩」
「はいはい。僕もだよ。――萌花」
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