第2話 悪戯っ子な後輩の宣戦布告

 紫雨萌花しぐれもか


 僕の一つ下の後輩に当たり、まぁ、二次元で目が肥えているオタクから見ても可愛い女の子だと思う。


 ライトブラウンのワンサイドアップの、いかにもあざとそうな髪型。相貌そうぼうは愛らしく、色白くきめ細やかで見るからにすべすべツヤツヤ。まさに小悪魔と呼ぶに相応しい、世の男どもの心臓ハート射止いとめるのに可愛い顔をしている。


 身長は小柄で全体的に華奢。萌花の制服姿しかみたことがないからよく分からないけど、おそらく引っ込んでるところは引っ込んでいて、出ているところはしっかりと出ている……と思う。


『先輩聞いてくださぁい。萌花、おっぱいのワンカップ上がったんです! だから記念に何かおごってください』と以前求めていない情報を開示してきた上にたからそうになった(結局カフェラテ奢った)ので、胸もそれなりになるとあるじゃないかと思う。


 容姿は大体そんな感じ。性格の方は、まぁ僕と萌花のやり取りを見ていたら分かるだろう。ちょっと人のことをからかう癖がある悪魔みたいな……んんっ、とてもユーモアのある性格をしている。


 そんな、クラスの中心人物、ないしカースト上位に位置している後輩がどうしてこんな僕一人しか在籍していない部活に所属し、そして僕みたいな陰キャオタクに絡んでくるのかは、僕自身も未だに謎だ。


「せんぱぁい。今日はもう部活終わりにしてカフェ行きましょうよ~。マックでもいいですからぁ」

「嫌だよ。お前と行くと絶対に奢らせられることになるんだから」


 性格はなんとなく把握できるが、しかしまるで生態が分からない萌花は今日も部室にやって来ていた。


 部室の本棚から今日はラブコメを手に取ってちょうど一巻を読み終えたところで梳けたアイスのように机に倒れ込み、買い物に飽きた子どもみたく机の下で足をパタパタさせる萌花。


「つかさ、お前ってなんでアニ研に入ったの?」

「なんですか急に?」


 そんな膨れっ面の少女に以前からずっと気になっていた疑問を投げかけると、萌花はむくりと顔を上げて肩眉を上げた。


「いやずっと気掛かりでさ。萌花みたいなザ・陽キャの化身がなーんでこんな僕一人しかいない、廃部寸前もいいところの部活に入ったのかなって」

「それ、入部した当初にちゃんと理由言いませんでしたっけ」

「あぁ。たしかに言ってた」


 その時に萌花が挙げた入部理由が『アニメが好きだから』だ。


「そして先輩は萌花の理由に納得して入部を許可したんですよね」

「うん。でも、イマイチ腑に落ちてないというか、アニメくらいならクラスの友達と語り合えばよくないかと思ってさ」

「その言葉。そっくりそのまま先輩にお返しします」


 ひゅ、と萌花から投げられた架空のブーメランを軽く手で弾き返して僕は続けた。


「僕は先輩から託されたこの部を存続させるためにいるけど、萌花は違うだろ?」

「と言いますと?」

「萌花はほら、いるじゃん」

「なにがですか?」

 僕は一つ息を整えてから言った。

「だから、萌花はたくさん友達がいるだろ」

「…………」

「それなのに、どうしてこんな陰気臭い部活に、毎日のように来るのかずっと不思議でさ」


 萌花と僕は違う。


 明るく可憐で、少し小悪魔みたいなからかい癖があるけれど、しかしそれを抜きしてもとても愛らしい萌花にはこんな場所なんかなくても楽しく学校生活を送れる。


 けれど僕は、クラスに馴染めず常に一人でいることが多くて、この静謐せいひつで、けれど僕の好きが詰まったような場所でしか生きることができない。


 端的にいって生息地が違うんだ。


 たとえば、萌花は綺麗で広大な海に棲んでいて。

 たとえば、僕は狭くて小さい、濁った池に棲んでいる。


 常人であれば綺麗で広大な海を臨むはずなのに、にごった池なんか興味も示さないはずなのに、それなのに萌花は僕の世界に入り込んでくる。


 明るく可憐なまま、身に纏わり付く泥なんか気にも留めずに。


「ふむ。こんだけ一緒にいるのにまだ気づきませんか」

「――え」


 交差する紫紺の瞳が複雑な感情を宿して細まって、ぽつりと小さく、何かを呟いた。


 懐疑的な目のまま萌花を見つめていると、


「先輩はラブコメ主人公らしく鈍感野郎ですね」

「んなっ⁉ なんで急に罵倒きた⁉」


 突然暴言を吐かれ、瞠目する僕。そんな愕然とする僕を余所に、無言のまま席を立った萌花が上履きを鳴らしながら僕へと歩み寄って来た。


 そして立ち止まった萌花の顔を見ると、いつもの愛らしい顔にはわずかに剣幕けんまくが立ち込めていて。


「萌花がどうしてこんなに起こっているのか、先輩分かりますか?」

「そんなこと、急に言われても分かる訳ないだろ」


「でしょうね」と萌花は失笑した。

 そのまま僕のことを見下ろしてくる萌花は、おもむろに僕の手を握ってきた。


「な。なにを……っ」

「知りたいんでしょう? 萌花がこんな古典的なオタク野郎と飽きもせずに一緒にいる理由」


 萌花がぐいっと顔を近づけてきて、僕は反射的に椅子ごと後退する。そのわずかに開いた距離を許さないとでも糾弾するように萌花はさっきよりも距離を詰めてきた。


 絡み合う五指が鎖のように繋がって僕を離すことはなく、鼻と鼻がくっつほどに詰まった互いの距離で萌花の熱い息が頬を掠める。


「くすっ。先輩のそういうところ。本当に可愛くて好きです」

「――ぁ」


 ジッと見つめてくる紫紺の瞳が、生唾を飲み込む僕を愛しそうに捉えていて。

 それから、小さな微笑を象った唇が、僕の耳元に近づいて、そしてこうささやいた。


「これから萌花が鈍感野郎の先輩の身体にたっぷりと刻み込んで教えてあげますからね。私がこの部活に入った理由を」


 全身の産毛が残らず総毛粟立つような艶やかな声音はわらって。


「そして否応なく分からせてあげます。私が先輩と一緒にいる理由を」


 その宣戦布告から、萌花の僕への分からせ――否、調教が始まった。


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