第15話

「お前には王位を退いてもらう」


 王に告げた冷たい言葉が、容赦なく寝室の静寂を切り裂いた。無慈悲な響きが、これ以上の余地を残さない絶対的な宣告となる。


「な、何を馬鹿なことを言うか!」


 王は顔を真っ赤にして怒鳴る。だが、その声はどこか力なく、王としての威厳を感じさせない。


 大臣たちはその様子を目の当たりにし、驚愕に目を見開く。これほどの無礼な態度を王に向けて取る者など、かつて誰一人として存在しなかったのだ。


 ましてや、王が一切の反論も抵抗もできずにいる様子は、彼らの常識を根底から覆した。


 しかし同時に、彼らは悟る。目の前の男が、王の力を完全に上回る存在であることを。言葉もなく、ただ無言でそれを認めるしかなかった。


「王太子とかいないのか?」


 俺は宰相に目を向け、冷静に問いかける。宰相は小さく首を横に振り、ため息をつきながら答えた。


「はい、おりません。先代の王妃様はすでに亡くなられ、王太子も成人する前に不慮の事故でお命を落とされました。第二王妃や第三王妃もそれぞれ病や事故で命を落とされ、王家の直系血族は……現在、陛下お一人です」


 静かな声での説明に、室内の空気がさらに重く沈む。息を潜めるように誰もが黙り込む中、王は鼻を鳴らし、ふんぞり返って嘲るように言い放った。


「くだらんことを聞くな。王太子が何になる? 余の権力が削がれるだけだ。それに、子が育てばいずれ『若き王子に未来を託そう』などと、愚民どもが騒ぎ出す。余が生きている限り、この国は余だけを見ていればよいのだ」


 あまりに自分勝手な言葉に、その場の全員の表情がこわばる。だが、王はそんな空気を意に介さず、さらに続けた。


「政務に関しては、宰相や大臣どもが勝手にやっているだろう? 国を治めるのは彼らの役目だ。余は王としての“象徴”であり、民にとっての威厳を示す存在に過ぎん。それに……」


 王は口元を歪ませ、邪悪な笑みを浮かべる。


「民や貴族どもは王家の直系を崇拝する。たとえ誰も余に逆らえず、表立って不満を言えずとも、王家という存在がこの国の統治に欠かせぬことは誰もが理解しているのだ」


 その言葉に、宰相は深いため息を吐いた。まるで長年抑えつけられてきた不満を表すかのように。


「……お言葉ですが、陛下。王家が象徴となり、絶対的な存在として民に恐れられているのは、まさしくその“威厳”をお持ちだからでしょう。しかし、その威厳が暴力と欲望で汚され、民から愛情や信頼を失えば、王家の存在すら脅かされることになります」


 宰相の言葉は冷静だが、どこか悲しみを帯びていた。彼は王家に忠誠を尽くし続け、己の全てを捧げてきたのだろう。しかし、そんな彼の思いすら届かず、王はただ自分の欲望を満たすことにしか興味を示さなかったのだ。


「……自分のことしか考えないクズだな」


 俺は苛立ちを抑えきれずに呟く。

 こんな王と一緒になるなど、王妃の心労は計り知れないものだっただろう。王太子は不慮の事故だと宰相は言っていたが、大方の予想はつく。


「でも兄弟や親戚くらい、いるんじゃないか?」


 俺の追及に宰相は深いため息を吐き、頭を垂れた。


「王家の血を引く者は、かつて戦乱の時代にほとんどが命を落とし、いまや傍系の血族も存在しません。親戚筋も他国に嫁いだり、あるいは断絶した家系がほとんどです。さらに、過去に残った遠縁の者たちも、この国の伝統に従い、貴族としての立場を捨て平民として生きております。そのため、今の時点で王位を継ぐべき者は、血筋においては陛下ただお一人です」


「……ふん、余の覇道は誰にも邪魔させぬ。その為にあらゆる策を講じてきたのだ。国の行く末など知ったことではない」


 王は満足そうに言った。その無神経な態度に、周囲の者たちの表情は一層こわばる。


 そして、宰相はさらに話を続けた。


「陛下の仰るように――」


 その声は、今までにないほどの冷たさを帯びていた。


「仮に直系ではなく傍系から王位を継承させることができるとしても、それは不可能です。陛下が即位される際、『王位継承権放棄法』を強制的に成立させ、すべての王族に放棄を宣言させたのです。これにより、彼らは法的にも王位を継ぐ資格を失い、記録から抹消されました」


 宰相の冷静な言葉に、室内の空気が重く沈む。


「つまり、王家の直系も傍系も、この国にはもう存在しない。血筋に頼ることなく、次の王を選ばなければならないということか」


 俺は納得したように頷き、さらに問いを重ねた。


「それなら、外部の貴族や他国の王族を迎え入れることはできるのか?」


 宰相は首を横に振る。


「それも不可能です。かつてエリュシア王国は、他国と血筋による同盟を結ぶことで国力を保とうとした時期がありましたが、その結果、内戦が頻発し、国家の存続すら危ぶまれる事態に陥りました。その教訓から、他国との通婚は厳しく規制されています」


「つまり、外部からの王位継承も不可能……」


「はい。さらに申し上げますと、近年は各国の関係が極めて緊張しており、もし外部の者を王に迎え入れれば、それを口実に侵略を企てる国が現れることは間違いありません。無用な争いを招き、民が苦しむことになるでしょう」


 宰相の説明を受け、俺は眉をひそめた。これほどまでに徹底して他の継承者を排除してきたのか……。


 王がその権力を握り続けるため、血筋の者たちを一人残らず排除してきた結果、いまや誰も王位を継ぐ者がいない状況に陥っている。


「……どうやら、どんな方法をとっても王家の血筋を引く者が王位を継ぐことはできないらしいな」


 俺がそう結論づけると、宰相も神妙な面持ちで頷いた。


「はい。ゆえに、今ここで新たな王を選定する場合、その者はエリュシア国の中から選ぶ以外に道はありません」


「……なるほど」


 俺は頷きながら、今度は大臣たちを見渡す。


「貴族の中で王にふさわしい者はいるのか?」


 俺の問いかけに、大臣たちは一斉に首を横に振った。


「……大変残念ながら、現在の貴族たちには王家に匹敵する血筋を持つ者はおりません。さらに、貴族の中でも既得権益を守ろうとする者が多く、彼らに王位を与えれば、権力の乱用が行われ、内乱を引き起こす恐れがあります」


「なるほど……そうなれば現王の二の舞になるか。宰相や大臣たちが王位を継ぐことはできるのか?」


 俺が静かに問いかけると、宰相は苦笑しながら首を横に振った。周囲の大臣たちも首を横に振り、その表情には諦めと無力感が浮かんでいる。


「申し上げますが、それは不可能です。宰相や大臣は、あくまでも『政治』を司る立場にありますが、『王権』を持つことは禁じられております」


「禁じられている?」


「はい。これはエリュシア王国の歴史上の戒律であり、法によって厳格に定められたものです。かつて、ある宰相が王家の権力を簒奪し、自ら王位を手にした結果、貴族たちと激しい内戦を引き起こしました。その混乱は数十年続き、国力は大幅に低下し、多くの民が命を落とすこととなりました」


 宰相は遠い目をしながら、重々しく語り続ける。


「その時の教訓として、『王位継承者は王家の血を引く者、もしくは王家によって認められた者』と法律で定められ、政治を司る宰相や大臣が王位を手にすることは、いかなる理由があっても許されなくなったのです」


「……なるほど。なら、例えその意志を持っていても、法律によって阻まれるということか」


「はい。もし私や他の大臣が王位を目指せば、それは即ち反逆行為とみなされ、死罪に問われることになります。それほどまでに、宰相や大臣たちが王位を得ることは禁忌とされているのです」


 宰相の言葉に、大臣たちもそれぞれ深く頷いた。その様子は、法と伝統の枠に縛られ、決して越えられない一線を理解している者たちのものだった。


「さらに申し上げますと、私たち宰相や大臣は、国の行政や政治を支える者であり、王として国全体を導く力は持ち合わせておりません。軍務や経済に長けた者、貴族や民との折衝を得意とする者、国土の開発を進める者――それぞれの分野での専門家はいますが、全体を統括し、全体の利益を考える視点を持つ者はおりません」


 大臣の一人が口を開き、さらに説明を加える。


「私たちは王を支える立場であり、政治的駆け引きや戦略的判断に長けてはいますが、王として君臨する存在ではないのです。さらに、私たちが王位を望めば、それを機に貴族たちが反発し、国全体を巻き込む派閥争いが勃発するでしょう。私たちが王になれば、エリュシア王国は必ず滅びます」


 大臣の言葉を受け、俺は思わず唇を噛んだ。今ここで宰相や大臣が王になれば、たとえ能力的には十分だったとしても、法と伝統、そして貴族たちの対立によって国全体が崩壊することになる。


「法的に不可能であるだけでなく、現実的にも貴族たちの反発を招くということか」


「はい、その通りです」


 宰相と大臣たちは、深々と頭を下げた。


 その言葉を受け、俺は考えを巡らせる。つまり、王家の血を引く者も、他国の血筋を持つ者も、貴族の中からも王を選ぶことはできないということだ。事実上、王位を継ぐ者はいない――。


「つまり、現王が今の座を退いても、それを継ぐ人間がいないってことか……」


 俺は溜め息をつきながら、室内を見回した。何とも皮肉な状況だ。これだけの人材が揃いながら、王として国を治められる者がいないとは。


「なら、佐藤に任せるのはどうだ?」

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