第14話

 そこに広がっていたのは、異様なまでに煌びやかな寝室だった。深紅のカーペットが床を覆い尽くし、壁には豪奢な金の装飾が施されている。


 シャンデリアの光が、無数の宝石で装飾された天蓋付きベッドを煌々と照らしていた。


 王はそのベッドの中央に横たわり、片腕を少女の肩に回していた。その腕の中で、小柄な少女はまるで壊れ物のように身体を震わせ、俯いたまま表情すら動かさない。


 虚ろな瞳はどこか焦点を失い、全てを諦めたかのような色をしている。


「なるほどね……これが『権力の象徴』ってやつか」


 俺は低く呟きながら、ゆっくりと部屋の中へ足を踏み入れた。王は気怠そうに半身を起こし、こちらを一瞥すると、まるで厄介な虫でも見つけたかのように顔を歪めた。


「……何の真似だ? 誰の許可を得てここに入ってきた?」


 その声は重く、威圧感に満ちているが、怯えもまた隠せていなかった。俺は無言で歩を進め、ベッドから少し離れた位置で足を止める。


「美春! 大丈夫か!?」


 遅れて部屋に入ってきた佐藤が、王の腕の中にいる少女を見つけ、声を張り上げた。


 少女――美春もまた、佐藤の声に反応し、かすかに顔を上げる。見知った顔に気づいたのか、虚ろだった瞳が一瞬だけ揺れ、そこに微かな感情の光が戻る。


「陽くん……?」


 その小さな声はか細く震え、彼女の身体が王の腕の中で再びこわばる。


 王はふんと鼻を鳴らし、彼女をまるで玩具のように放り出すと、面白くもなさそうに片手を振った。


「興が削がれた。貴様のせいでせっかくの楽しみが台無しだ。そんな小娘返してやるわ」


 その言葉と同時に王の腕を解かれた美春は、よろけながらベッドの縁に倒れ込む。その体勢のまま動けずにいた彼女を、すかさず佐藤が駆け寄り、優しく抱きしめた。


「美春! 無事か……? 怖かったよな、もう大丈夫だ……!」


 佐藤は美春の肩をしっかりと抱き、震える彼女の背中を何度も撫でながら、ひたすら安心させるように語りかける。


 彼女もまた、佐藤の声に反応し、必死にしがみつくように彼の胸に顔を埋めた。


「陽くん……私、怖かった……っ!」


 美春の目からは次々と涙が溢れ、その声には安堵と悲しみ、そして喜びが混ざり合っていた。佐藤は彼女の髪を優しく撫で、囁くように何度も「大丈夫だ」と言い続ける。


 ……ったく、リア充め。見せつけてくれるじゃないか。


 俺は心の中で思わず舌打ちをする。が、そんな内心を悟られることなく、彼らはまるでこの世に二人しかいないかのように、目の前で感動的なラブロマンスを繰り広げている。


 そろそろ現実に帰ってきてくれ。


 俺はなんとも言えない複雑な感情を押し殺し、表情を崩すことなく二人を見守る。


 そして再び、王へと視線を向けた。


「単刀直入に聞く。この国の王は必要な存在か?」


 その言葉に王は一瞬、理解が追いつかないというように眉をひそめた。だが、すぐに鼻先で嘲るように軽く笑う。


「愚問だな。王がいなければ国は成り立たん……貴様にはそれがわからんのか?」


 自信たっぷりに答えるその姿は、滑稽とすら言えるものだった。確かに見た目だけは堂々とした威厳を湛えているが、その実、王としての資質は欠片もない。


 ――ふと、仕立て屋の店主である老婦人の言葉が脳裏をよぎる。制服を手に取ったあと、少しの間ためらいながら、絞り出すように静かに呟いていた。


「……あの王様には力しかないのさ。私の息子も宰相として、どうにか民のために働きたいと願っているんだけどね。王は権力を振りかざして、自分が気に入った人間にだけ目を向けてる。何もかも好き勝手やって、まともに国を治める気なんてないんだよ……」


 その目には深い嘆きと無力感があった。宰相という重責を担う息子でさえ、王の抑圧の前には何もできない。ただ無力感に苛まれるしかないと諦めていた。


 この国が危機に瀕しているというのに、王が執着するのは贅を尽くした生活と若く美しい侍女たちばかり。政策のひとつもまともに考えず、日々の快楽を追い求めるばかりだ。


「はぁ……威厳たっぷりに見せかけて、中身は空っぽ……というわけか」


 俺は冷たい声で呟き、王を見据える。


「貴様、余を侮辱する気か!?」


 王の怒声が響き渡るが、俺はどこ吹く風とばかりに無視する。遠くから聞こえる雷鳴のように、ただ響くだけの空虚なものだ。


「別に侮辱してるわけじゃない。ただの事実だ」


 俺は王の言葉を無視して、さらに声を潜める。


「お前は“視察”と称して城を出ると、街を徘徊し、美しい若い娘を無理やり城へと連れてきては、侍女という名目で囲い込んでいる。彼女たちがどれだけ泣き叫び、家族がどれだけ抗議の声を上げようと、お前はそれを王の権力に物言わせ、民を自分の所有物のように扱っている」


 王は反論しようとするも、言葉が出てこないのか、口を開いては閉じることを繰り返すだけだった。俺は続けて、畳みかけるように言葉を紡ぐ。


「街のあちこちで重い税を課しているのも知っているぞ。あらゆるものに税金をかけ、民の生活を苦しめているな? 商人には“通行税”や"取引税"と称して毎日のように税を取り立て、農民には“土地使用料”として法外な金額を払わせている。お前にとって、民はただの搾取対象に過ぎないのか?」


 わずか半日、朝から足を使って情報収集しただけで、この程度のことはすぐに掴めた。まだまだ、叩けばいくらでも埃が出てくるだろうな。


 表面上は活気のあるように見えた街も、その裏では王の圧政に苦しめられていたのだ。サフィリアをくれたあの店主も、苦しい生活の中で物々交換に応じてくれたのだろう。


「……つまり、余が暴君と申すか? 民の生活など知ったことではない。彼らは王に従い、王に服従し、ただひれ伏して生きていればよいのだ。余に意見するなど、愚かしいにも程がある」


 王の開き直った態度に、俺は思わずため息を吐いた。ここまで堂々と無能さを曝け出せるとは、ある意味では見上げた根性だ。


 だが、そんな態度がどれだけ愚かで傲慢なことか、こいつは理解していないのだろう。


「……言っておくが、魔王の脅威よりもお前の圧政の方がずっと問題だ。街では王の話を耳にした途端、民は口をつぐみ、誰もお前の名を語ろうとしない。たとえ王が――俺たちが無事に魔王を討伐したとしても、民はお前を歓迎しない。民は魔王以上に、お前の存在そのものを忌み嫌っているんだよ」


 俺の冷静な声が寝室に響いた瞬間、王の表情が歪む。顔を真っ赤にし、狂気じみた目で俺を睨みつけた。


「黙れ……! 貴様に何がわかる!? 余がどれほどこの国を守るために努力してきたか、知りもしないくせに! 余を愚弄するな……愚弄するなァ!!」


 怒りに我を忘れた王は、ベッドの脇の柱を拳で打ちつけた。豪奢な木製の柱が鈍い音を立て、寝室全体に重々しい振動が広がる。


 王の呼吸は荒く、まるで追い詰められた獣のように身を震わせていた。


「努力、ね……それなら、その『努力』の成果を見せてもらおうじゃないか」


 俺は扉の前に立ち尽くしていた兵士たちを振り返り、冷静に命じる。


「王宮内にいる各務の大臣と宰相を今すぐここに連れてこい」


 突然の指示に、兵士たちは一瞬戸惑いの表情を浮かべ、互いに視線を交わし合った。何をすべきか決めかねている様子だ。


 そして、ついにはその視線が揃って王へと向けられた。


「……いかがなさいますか?」


 兵士の声はかすかに震えていた。王の機嫌を損ねることを恐れているのだろう。彼らは忠誠心からではなく、恐怖によって王に縛られているのだ。


「……フン、好きにしろ。だが、貴様らが戻ってくる頃には、この男は余の前で跪き、詫びているだろうがな」


 王は俺に負けじと睨み返し、傲慢な笑みを浮かべる。だが、その眼の奥にはどこか揺らぎが見え隠れしていた。


 王の言葉に兵士たちは深々と頭を下げ、すぐさま部屋を後にした。廊下へ出ると慌ただしく王宮内へ散り、あっという間にその場は静寂に包まれた。


「さて、これでしばらくは待つしかないな」


 俺は呟き、王を一瞥する。王はその場に腰を落とし、荒い呼吸を整えながら、じっと俺を見据えていた。その瞳には未だに怒りの色が浮かんでいる。


「この状況がどう転ぼうと、余の立場が揺らぐことはない……余の偉業がこの国を支えていることは、誰の目にも明らかだ。お前のような反逆者風情には理解できぬだろうがな」


 王は大仰な手振りと共に、まるで自らの存在そのものがこの国の礎であるかのように胸を張った。一人で芝居を打っているような滑稽な姿だ。


「王が支えている、ね。民が困窮し、街が荒れ果てていくのも、お前の“偉業”の一環か?」


 俺は皮肉を込めて問いかけたが、王はその問いを無視し、さらに声を張り上げた。


「黙れ! 貴様に何がわかる……余がどれほど苦労し、今の立場を築き上げてきたか……!」


 ――その時、扉の向こうから足音とざわめきが聞こえてきた。どうやら、宰相と大臣たちが到着したようだ。王は彼らを迎えるように身を起こし、俺を一瞥する。


「……見ていろ。余の権威の前に、貴様など塵のような存在に過ぎんということを証明してやる」


 王の声は威圧感を帯びていたが、その瞳にはほんのわずかな怯えが混ざっていた。必死にそれを隠しているようにすら見える。


 俺は静かに扉を見つめた。やがて、扉が開かれ、数人の重厚な装束を身に纏った人物たちが次々と寝室へ足を踏み入れる。その顔は皆一様に険しく、どこか緊張感を漂わせている。


「陛下、何のご用でしょうか? 宮中の会議中だったところを急に呼び出され、事の次第がわからず困惑しておりますが……」


 先頭に立つのは初老の男。彼こそが宰相、この国の王を補佐する役職を担う男だ。彼は厳しい目つきで俺を見やり、何事かと眉をひそめる。


 王はニヤリと薄笑いを浮かべ、偉そうに彼らを見渡した。


「貴様らの目の前で、余の権威を汚そうとした無礼者だ。こやつの言い分を聞いてみろ、余を愚弄するその口を存分に黙らせてくれ!」


 そう言って王は、俺の方へと顎をしゃくる。大臣と宰相は一瞬だけ互いの顔を見合わせ、次いで苦しげに視線を逸らした。


 まるで、真実を告げれば王の怒りに触れることを恐れているかのように。


「重税に権力の私物化――民を苦しめているのは知っている。今ここで、何もかも吐き出してもらおうか」


 その言葉に宰相の表情が曇り、大臣たちは怯えたように身を竦ませる。だが、次の瞬間、宰相は何かを決意したように息を吸い込み、冷静な声で語り始めた。


「……陛下、誠に申し上げにくいのですが、この国は今、限界に達しつつあります。貴族同士の派閥争いが始まり、民は重税に喘いでおります。王宮内ですら不満の声が上がっており……このままでは、魔王を討ったとしても、国が持ちこたえられるかどうか……」


「な……なにを言っている!? 貴様、余に背くつもりか!?」


 王は怒りに駆られ、宰相の言葉を否定しようと叫ぶ。だが、宰相はその視線を真正面から受け止め、毅然とした態度を崩さない。


「どうか、現実を直視してください。民はすでに、魔王ではなく陛下ご自身を恐れ、憎むようになっております。……すでにその兆しは、街の至るところで現れているのです。商人の往来は途絶え始め、国庫も底を尽きかけています。これ以上税を上げるのも苦しいかと……」


 その言葉に、王は全身の力が抜けたようにベッドに崩れ落ちた。


 ――道理で買取商の姿も見えなくなったわけだ。俺はそんな王を見下ろしながら、冷淡な声で告げる。


「お前がこの国に残したのは、恐怖と絶望だけだ。民にとって今や魔王よりも、お前の存在こそが最大の脅威なんだよ」


 俺の言葉に、王はただ呆然とした表情を浮かべるばかりだった。まるで、自分が引き起こした事態に、今になってようやく気づいたかのように。

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