第13話

 彼女たちと別れた後、“麻痺パラライズ”の効果で無力化された不良と看守、そして地下の兵士たちは口元から泡を吹き、相変わらず無惨な姿で地面に転がっていた。


 まるで強烈な電気ショックを受けたかのようなその姿は、もはや『麻痺』と呼ぶには生易しすぎる。


 そんな彼らを置き去りにし、地下牢を抜けると、ちょうど見張りの交代時間だったらしい。


 異変を察知した交代兵たちが素早く応援を呼び、あっという間に俺を包囲していた。


 ざっと見積もって30人ほどか。

 だが……どれだけ数が揃っていようと、魔法の前では意味を成さない。


超重力グラビティ


 俺は彼らを押し潰すように右手を振り下ろした。瞬間、空間が軋む音を立て、凄まじい圧力がその場を支配する。見えない重力の波動が奔流となり、兵士たちを一瞬で地面に縫い付けた。


 重力の発生点を中心に、大地が波打つように凹み、その様は空間そのものが捻じ曲げられているようだ。鎧が悲鳴を上げ、骨が軋み、兵士たちは虫けらのように身動きすら取ることができない。


 臨界点を超えた重力が彼らの全身を締め付け、立ち上がるどころか、顔を上げることさえ許されていなかった。


 どうやら、圧力に耐えきれず呼吸すらままならないようで、兵士の一人が白目を剥いて気絶したのを確認し、俺はゆっくりと魔法を解いた。


「まだ邪魔をするつもりなら……次は容赦しない」


 誰も動こうとはしない。全員が冷や汗を滲ませ、抵抗する意思が微塵もないことを示すように、視線を地面に落とし続けている。


「それじゃあ、俺を王の元までエスコートしてくれ。途中の兵士を相手にしていたらキリがないからな」


「馬鹿な! 何故我々がそんなことを――――」


 兵士が反論しかけた瞬間、俺はわずかに手を動かし、魔法を発動する素振りを見せる。それだけで彼の顔は青ざめ、怯えたまま口をつぐんで、従わざるを得なくなった。


 王の居場所はすでに"不可視の義眼ヴェルマ・オクルス"で特定済みだ。実態のない魔法のため、壁や物をすり抜けて至る所に侵入できる。


 現在は寝室にいるようで、豪奢な天蓋付きベッドに身を預け、その傍らには可憐な少女が従順な姿勢で控えている。あまりにも無防備で、不快感すら覚える光景だ。


 兵士がどの道を選ぼうと、王がどこへ動こうと、俺の目を欺くことはできない。


 そんな確信を持ちながら、俺は悠然と廊下を進んでいた。


 ――その時、前方を歩いていた兵士の一人が突然、激昂したように声を荒らげた。


「貴様! そこで何をしている!?」


 不意の怒声に、俺は足を止めてその兵士の視線の先を見やる。すると、廊下の脇からクラスメイトの佐藤が飛び出してきたところだった。


「召喚者は王宮内立ち入り禁止と命じたはずだ! 今すぐ自分の持ち場に戻れ!」


 兵士の鋭い言葉を受けた佐藤は、まるで雷に打たれたように体を震わせながらも、怯えた表情で俺に気づくと、驚きと安堵が入り混じった表情でこちらへと走り寄ってきた。


「蓮……!? どうしてここに!? 王宮を出たんじゃなかったのか?」


「まぁ、色々あったんだよ。……それより、こんなところで何してるんだ?」


 俺の問いに、佐藤は肩で息をしながら視線をさまよわせ、やがてその顔を歪めた。瞳の奥には絶望と苦しみが入り混じり、すがるような声で言葉を紡ぐ。


「頼む……蓮、助けてくれ! 俺の彼女が王の夜伽相手に選ばれちまったんだ! 王を打ち負かしたお前なら……何とか助けられないか!?」


 佐藤の懇願には痛切な思いが込められていた。震える声、握りしめた拳、渦巻く後悔と無力感が痛いほど伝わってくる。


 なるほど、"不可視の義眼ヴェルマ・オクルス"で見た少女は侍女ではなく、佐藤の彼女だったってわけか。


 俺は彼の肩に手を置き、しっかりとした声で告げた。


「安心しろ。ちょうど俺も王の元に行こうと思っていたところだ。……必ず助け出してやる」


「蓮……いいのか? ありがとう……っ、本当に……」


 彼の目にわずかに光が戻るのを確認しながら、俺は微かに頷いた。


 ――そして、同時に閃いた。

 彼は決して自分勝手なことを言わず、常に周りを気遣う心を持っている。誰かが困っているときには、真っ先に手を差し伸べ、みんなの問題が解決するまで決して見捨てることはしない。


 まるでヒーローのように爽やかで正義感が強い彼の行動には、裏表があるようには見えなかった。


 そして、彼は決して悪事を働かない――いや、悪いことを考えすらしない。誰かを騙したり、傷つけたりすることを嫌悪しており、「人を悲しませることは、自分も悲しくなる」と真剣に語るほどだ。


 そんな彼の真っ直ぐな性格と心優しさは、クラスの全員が認めるところであり、悪意や嫉妬などとは無縁の、純粋な善人としての一面を持ち続けている。


 それは本人が意識しているわけでもなく、彼の本質に根ざしたものだからだろう。


「佐藤、ちょっとだけ試してもいいか?」

「え? 試すって何を―――」


 返事を待たずに、俺は淡々と"罪と罰ジャッジメント"を発動させた。瞬間、虚空から無数の黒い鎖が現れ、佐藤の身体を絡め取っていく。


「うわ! な、なんだこれ!?」


「どうだ? どこか痛みを感じるか?」


「……え? 痛み? いや、全然痛くないぞ? ただ、動けなくて気味が悪いけど……おい、これ蓮の仕業かよ!? 早く解いてくれって!」


 俺は佐藤の様子をじっと観察しながら、心の中で驚きを隠せなかった。まったく痛みを感じていない……? そんなことがあるのか?


 普通、どんな人間にも多少の悪意くらいはありそうなものだが、これは嬉しい誤算だ。万が一に備えて佐藤は連れて行こう。


 あぁ、もちろん"罪と罰ジャッジメント"は俺の任意で解くことができる。そうでない場合は御影玲王のように、悪意がある限り永遠に続く地獄を味わうことになるが。


 俺が軽く指を動かすと、黒い鎖は瞬く間に光の粒となって消え去った。ようやく自由になった佐藤は、大きく息を吐き出しながら肩をすくめる。


「はぁ、助かった……けど、いきなり過ぎてびっくりしただろ!」


「悪かったよ。でも、お前なら大丈夫だと思ってた」


 佐藤は少し拗ねたように唇を尖らせながら俺を見つめるが、その眼差しには少しの疑いもない。彼は本当に、悪意というものを知らないのかもしれないな。


「佐藤、王の居場所まで一緒についてきてくれないか? 危険な目には遭わせないと約束する」


「最初からそのつもりだ! 俺だって、彼女に少しはかっこいいところ見せたいからな!」


 佐藤は迷いのない声でそう言い切った。そこには一切の恐怖も不安も見えず、むしろ俺に対する全幅の信頼が感じられる。


 俺も思わず口元を緩めた。……悪い気はしない。


 そんなやり取りを目の前で繰り広げている俺たちを、兵士たちは何も言わずにただ黙って見つめていた。


 もしかすると、彼らなりに思うところがあったのかもしれない。誰一人として口を挟んでくる者はいなかった。


 王宮の廊下を進む中で、侍女や他の兵士とも何度かすれ違ったが、誰も俺たちに声をかけてこない。俺と佐藤が連行されていると勘違いしているのだろう。


 彼らはみな無表情のまま、ただ静かにすれ違っていく。誰一人として疑問を抱く様子もなければ、足を止めることもなかった。


「こんなところ、俺にはまったく縁のない世界だな……」


 隣を歩く佐藤が小さく呟いた。彼の声には、少しばかりの緊張が混じっているようだったが、その瞳には抑えきれない興味の光も宿っていた。きょろきょろと辺りを見回し、豪華絢爛な装飾品や絵画の数々に圧倒されているようだ。


「まるでおとぎ話の世界みたいだよな。金ピカの装飾や絵画ばっかりで、見てるだけで目がチカチカしてくる……」


 その言葉に俺は軽く頷いた。確かに、これほどまでに贅を尽くした空間は、普通の人間には縁のない場所だろう。


 だが、この美しさの裏にある冷たさと残酷さを、俺は知っている。この絢爛たる装飾の一つひとつが、王の絶対的な権力と欲望の象徴であることを――そして、それが何を意味するのかを。


 長い回廊をさらに進むと、最奥に巨大な両開きの扉が見えてきた。その扉の表面には、煌びやかな金の彫刻が施されている。絡み合う蔓草のような紋様は、まるで生きているかのように扉全体を縁取り、その中央には王家の紋章が厳かに浮かび上がっていた。


 金箔で彩られたその装飾は、豪華であると同時にどこか不気味な雰囲気さえ漂わせている。


「ここが……王の寝室なのか?」


 佐藤が息を呑むのがわかった。先刻までの好奇心を帯びた表情はどこかに消え去り、今はただ冷たく張り詰めた空気に圧倒されているようだ。彼の視線は、扉の先にある見えざる世界へと向けられている。


「お前たち、ここに何の用だ? 召喚者なんぞ連れてきおって……報告なら後にしろ。王は今、お楽しみの最中だからな」


 だが、その扉の前には屈強な近衛兵が左右に並び、鋭い視線でこちらを睨みつけていた。


 彼らは王の寝室を守る役目を担う精鋭の近衛兵たちだろう。その眼光は王が眠るこの場所を侵そうとする者すべてを、排除することを誓った決意を宿している。


「話が通じる相手じゃなさそうだな――"麻痺パラライズ"」


 あっという間に地に伏した近衛兵を見て、付き従う兵士と佐藤が短い悲鳴を漏らす。


「す、凄いな……蓮、お前こんなこともできるのか?」


「ああ。佐藤もそのうちできるようになるだろ」


「いやいや、無茶言うなよ!? 俺には絶対無理だって!」


 佐藤はちぎれんばかりに首を振って否定する。冗談だと分かっていても、その反応はあまりにも素直で思わず口元が緩む。


「さて……朝に会ったばかりだけど、もう一度ご対面といこうじゃないか」


 声に出してみると、その響きは思いのほか冷たかった。


 俺は両手をゆっくりと扉の左右にかける。そして、力強くその両扉を押し開いた。

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