第9話

「な、なにそれ……冗談でしょ? あたしたちを……そんなことに……」


 看守の口から告げられた信じがたい言葉に、爛漫は目を見開き、唇を震わせる。


「冗談じゃない。これは王の命令だ。君たち三人には、優秀な生徒たちの『娼婦』として利用価値があると判断された。……従えば、少なくとも飢えて死ぬことはない」


 御影玲王の言葉は冷たく、鋭い刃のように爛漫たちの胸を抉った。だが、彼の表情には怒りも、苦しみも見えず、まるで操り人形のように命令を伝えているだけだった。


「何を言っているんですか! 御影君!」


 麗華が鉄格子に駆け寄り、怒りに満ちた瞳で御影を睨みつける。その気迫は牢獄の冷たい空気を一瞬で引き裂くほどのものだった。


「私たちは、そんなことに屈するつもりはありません!あなた……本気でそんなことをしようとしているんですか!?」


 御影は麗華の激しい視線を受けても、ただ淡々と視線を返した。その目はどこか虚ろで、かつての面影は見当たらない。


「食事はいりません。そんなものを対価として命令に従うくらいなら、餓死する方を選びます」


「……そうか、君たちの意思は分かった。だが、拒否するならその時点で命は保証できない。本当にこのまま放置されても構わないのか?」


 御影の低い声が、牢獄の冷たい空気に響いた。その言葉は、まるで悪魔の囁きのように麗華たちの耳に突き刺さる。


 爛漫は唇を噛み締め、何か言おうとしたが、言葉にならなかった。彼女の無邪気な笑顔は消え去り、そこには深い葛藤と戸惑いだけが残っている。


 雪乃は麗華の隣で小さく震えていた。彼女はいつもの冷静な表情を保っているように見えるが、その指先は微かに痙攣し、硬く握られた拳は青白くなっている。


「怖い……」


 その一言が零れた瞬間、牢獄の中の空気が一変した。雪乃は必死に恐怖を堪えようとしたが、体は正直だ。震えが止まらず、足元の石床を見つめる瞳には、かつての冷たさは消え去り、そこにはただの一人の少女がいるだけだった。


 不良の一人がその様子を見てニヤリと笑う。


「おいおい、随分と様子が違うじゃねぇか? さっきまでの威勢はどこにいったんだ?」


 彼の挑発的な言葉に、雪乃はびくりと肩を震わせる。彼女は顔を上げようとしたが、半ば潤んだ瞳が相手と視線を交わすことを拒むように、怯えたまま下を向いたままだ。冷たい鉄の鎖が彼女の体に擦れ、わずかに音を立てる。


「雪乃さん……あなた……」


 麗華が心配そうに手を伸ばそうとするが、雪乃はその手をそっと避けた。彼女はその場で崩れ落ち、両腕を抱きしめるようにして身を丸める。冷たくて暗い牢獄の中、彼女は自分の小さな世界に閉じこもるように、ただ震えていた。


「私……娼婦だなんて……」


 その声はかすかに震え、今にも消えてしまいそうだった。麗華はしっかりと雪乃を見つめ、その手を取ろうとする。


「雪乃さん、気を確かに。私たちは――」


「いや……いや……!」


 雪乃は麗華の手を振り払うと、必死に体を小さく丸める。彼女の頬には涙が伝い、その涙は床に落ちて小さな水滴を作った。


「もう……耐えられない……」


 雪乃の怯えは、普段の彼女からは想像もつかない姿だった。その冷たく美しい面立ちは崩れ、ただ恐怖におびえた一人の少女としての姿が、そこにはあった。


 大の男嫌いである彼女にとって、この状況は何よりも耐え難い。彼女の怯え方は尋常ではなく、もはや『ただの男嫌い』という言葉で片付けられるものではなかった。


 不良たちはその様子を見て、また嘲笑を浮かべる。


「くっくっく……どんなに気取ってても、結局はただのメスってわけだ。お前たちみたいにお高くとまった連中が、プライドを捨てる瞬間を見るのがたまんねぇんだよ」


「氷の女王様がこんな姿になっちまうんだから、本当……異世界さまさまだよなぁ」


 彼らの冷たい笑い声が、雪乃の心をさらに追い詰めていく。彼女は恐怖と屈辱の狭間で揺れ、もはや自分がどこにいるのかさえわからなくなりそうだった。


「……お願い、やめて……」


 雪乃のその一言に、麗華の瞳が見開かれる。隣で爛漫も言葉を失い、どうすればいいかわからずに立ち尽くしている。


 彼女の恐怖を前にして、麗華は拳を強く握りしめ、何もできない自分を恨むように唇を噛んだ。冷静であろうとする自分に苛立ちを感じながら、ただ彼女を見つめ続けることしかできなかった。


 爛漫は麗華の袖をぎゅっと握りしめ、今にも泣きそうな顔をしている。その瞳は恐怖と不安に揺れ、助けを求めてすがるようだ。去年まで中学生だったのだから、年長者を頼るのは当然の行為といえる。


 麗華は二人の姿を見て、覚悟を決めた。


「わかりました……私が3人の相手をします。その代わり、2人には手を出さないでください。食事も3人分用意すること……いいですね?」


 彼女は冷静な声で言葉を紡いだ。感情を抑えたトーンで話しながらも、その一言一言には鋼のような意志が込められている。


麗華一人であれば潔く死を選んだだろう。しかし、守るべき存在がいてはそうもいかない。


 彼女は誇りを捨て、自分の信念を曲げるしかなかった。


「君ならそう言うと思っていたよ……高嶺麗華」


 御影は目を細め、軽く笑みを浮かべながら、まるで勝者が敗者を見下すかのような態度で彼女を見下ろした。その表情は、どこか薄気味悪い満足感に満ちている。


「僕はね、君の“初めて”さえ貰えればそれでいいんだ」


 御影の声が低く、囁くように響く。彼の言葉は意図的にゆっくりと発せられ、相手の心にじわじわと染み込むような圧迫感を与える。麗華の反応を見て、彼の唇の端がわずかに持ち上がった。


「中等部の頃から、君は僕の物にすると心に決めていたんだ。例え、どんな手段を使ったとしても……ね」


 彼は言葉を区切りながら、冷酷な目で麗華を貫く。その瞳には、まるで目の前の相手を自分のものとして支配することが、彼にとって至上の喜びであるかのような、異常な光が浮かんでいた。


 麗華はその視線を受け、背筋に冷たいものが走るのを感じた。彼の言葉は脅迫ではなく、ただ彼の本心を語っているに過ぎない。それが彼女にとって、何よりも恐ろしいことだった。


 御影は麗華の表情をじっくりと観察し、彼女の反応を楽しむように静かに息を吐く。その目は、かつて彼女が知っていた御影玲王のものではなかった。冷徹で、どこか空虚なその眼差しは、まるで全てを壊すことに何の躊躇もない、異形のものに見えた。


「だから、君がどうしようと……最終的には僕の手に堕ちる運命なんだよ」


 彼は冷ややかな笑みを浮かべ、再び距離を詰める。その近づき方には、一切の遠慮も迷いもなく、まるで獲物を仕留める寸前の捕食者のような威圧感が漂っていた。


「……あなたが何を考えていようと、私は私の意志を貫きます」


 麗華の声は震えておらず、まるでその場に立つ全員の心を引き締めるかのように、静かでありながらも力強かった。彼女は、挑発するようにゆっくりと一歩を踏み出し、御影に向けてはっきりと言い放つ。


「私は誰にも屈しません。たとえあなたであろうと、私の心までは支配できませんから」


 その言葉に御影の表情がわずかに揺らぐ。彼女はあくまで冷静に、自分を保つために、心の奥底に沸き上がる感情を押し殺していた。


「あなたには……私の誇りを傷つけることなどできません」


 麗華の言葉に牢獄内の空気が緊張で満たされる。彼女の毅然とした態度に、不良たちは一瞬だけ顔を見合わせ、嘲笑を浮かべた。


「その威勢がどこまで続くかな? このアイデアを王に助言したのは副会長……あんただ。一番手は譲ってやるよ」


 不良の吐き捨てた言葉に、3人の顔は青ざめ、硬直した。瞬間、思考は停止し、まるで時間が凍りついたかのような静寂が訪れる。


間違いなく王の命令ではあることは分かっていた……が、そうするように入れ知恵したのが生徒会の仲間だとは――誰も想像していなかった。


「御影先輩……嘘、だよね……?」

「もう……嫌……」

「御影君……あなた、なんてことを……」


 彼女たちは、信じられないといった顔で御影を見つめた。生徒会の仲間として信頼し合っていたはずの彼が、こんなことをするなんて――心の奥底に押し込めていた不安が、急激に膨れ上がり、胸を締め付ける。


「チッ……余計なことを……」


 御影は微かにバツが悪い顔をしたが、すぐに皮肉な笑みを浮かべながら、冷たく言い放った。


「これが現実だ。君たちはまだ夢を見ているのかもしれないが……僕はとっくに目を覚ましているよ」


 御影は看守から差し出された錆びついた鍵を受け取り、じっと見つめる。彼の目には冷たい光が宿り、やがて無言のまま鍵を鉄格子の扉へと差し込んだ。重い音を立てながら、扉がゆっくりと開いていく。


 麗華はその光景を見て、無意識のうちに一歩後ずさった。彼が一歩、また一歩とこちらへ近づいてくる。彼女は心の中で冷静さを保とうと必死に努めていたが、その足は反射的に後ろへと退いていた。


「来ないで……!」


 思わず口にした言葉が、かすかな声となって漏れた。しかし、御影はそんな彼女の制止を意に介さず、さらに近づいてくる。その視線は鋭く、ようやく欲しいものを手に入れた支配者のそれだ。彼女は再び後ろへと下がったが、すぐに冷たい壁が背中に触れ、進むべき退路を塞がれたことに気づく。


「どうして……こんなことに……」


 麗華の目には、ほんのわずかな涙の光が浮かんでいたが、それを見せまいと歯を食いしばる。ここで生き抜くには、我が身を犠牲にするしかないのだ。年長者である自分が2人の面倒を見なければならない。御影への抵抗と自分の使命感で頭がどうにかなりそうだった。


あの時……彼に救ってもらった時、一緒に旅をしていれば……今頃違う未来があったのだろうか。ふと、彼女はそんな事を考えてしまった。


 御影の手が彼女の豊かな胸の隆起に触れようとした時、突然、背後で三つの悲鳴が上がった。見れば、看守と不良が激しい痙攣を起こし、地面に倒れ込んでいる。


「まったく……本当にどうしようもない悪党だな。悪いがもう容赦はしない。俺はNTRと強姦が死ぬほど嫌いなんだ」


 そこにいたのは、どこにでもいる平凡な高校生だった。

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