第5話

「召喚者といえど所詮は人間……まるで話にならんな。余に歯向かった者たちは即刻、魔王領奪還作戦の最前線に送ってやろう。精々、兵士たちの肉壁として活躍するがよい」


 王の声が重々しく玉座の間に響くと、周囲の空気がさらに冷たく張り詰めた。生徒たちは息を飲み、先ほど為す術もなく切り捨てられた仲間の無残な姿を思い出しながら、恐怖に震えている。異議を唱えれば次は自分が殺されるかもしれない……そう思わせるには十分過ぎる出来事だった。


 マルオを容易く切り捨てた騎士の様子を見て、王は不敵な笑みを浮かべる。レベル1の召喚者が予想通り――いや、それ以下の実力で完全に主導権を握ったと思っているのだろう。肉に埋もれた小さな瞳がギラギラと血走り、眼光はまさに獲物を見定める肉食獣のそれだ。こんな王がいるんじゃ、悪徳宰相なんていてもすることないだろうな。


 俺はこの状況に一切関与せず、突っ立ったまま結末の行方を見守っている。同じ学校の生徒が戦場の最前線で死ぬかもしれないというのに、他人事のようにそれを聞いていた。


『推し事☆ファンクラブ』も『ドMレボリューションズ』も『高嶺麗華様親衛隊』とやらも、俺には何の関係もない。残念ながら、俺は他人のために動いてやれるほど高尚な心を持ち合わせていないんだ。この絶望的な盤面をひっくり返す算段はいくつかある。でも俺は主人公を気取るつもりはない。


……そろそろ、違うチート能力者か何かが出てきて、俺はどうでもいいエキストラかモブキャラにでも成り下がるんだろう。


 俺の考えは半分予想通りといったところで、やはりこの世界の主人公は彼女らしい。生徒会長の高嶺麗華――彼女は一歩前に出ると、玉座の間に漂う重々しい空気を物ともせず、静かに王の前へと歩み出た。


その所作は上品かつ堂々としており、微塵も恐れを感じさせない。長い黒髪が彼女の背中に沿って滑らかに揺れ、まるで玉座の間全体に彼女の存在感を広げていくかのようだった。王冠を頂くその男を一切見下すことなく、しかし媚びへつらうこともなく、毅然とした表情で王を見据えている。暗い瞳には静かな決意の光が宿り、まるで鋭い刃のように王を貫く。その瞳に見返された王が一瞬戸惑いを見せるほど、彼女の目は自信に満ち、凛々しさが溢れていた。



「……王様。生徒を守るのが私の義務です。たとえそのために私自身が犠牲になろうとも、貴方の命令に従う覚悟はできています。ですがどうか、私たちにもう少しだけ時間を頂けませんか? 私たちがこの国に真の力を示せるようになるまで」


 彼女の言葉は落ち着いていて、それでいて一切の妥協を許さない強さを持っていた。彼女の真摯な眼差しが、王の残忍な笑みをわずかに揺るがせたのは確かだ。光を放つような気高さは、本物の貴族か、それ以上に高貴な者を感じさせる。


正直、彼女を見ていると自己嫌悪に陥りそうだ。チート持ちの俺と、戦闘能力を持たない彼女とでは、覚悟の違いに差がありすぎる。どうして他人のためにそこまで命を懸けられるのか、俺にはまったく理解できなかった。


「な、ならぬ! 余の命令は絶対だ!」


 王はまるで自分の動揺を隠すかのように声を荒げ、否定する。だがその響きは、先ほどの威圧的なものとは異なり、どこか空虚なものを感じさせた。彼女の気高さが、王の尊厳をほんの少し、だが確実に曇らせたのだ。


 彼女はそんな王の怒りを前にしても微動だにせず、静かに頭を垂れる。けれどもその仕草は、決して王に屈したわけではなかった。むしろ、その行動は彼女の余裕を感じさせ、場を支配しているのが自分だということを暗に伝えるかのようだ。


「フン……余を前にしてこれほどまでに毅然としていられるとは、ますます気に入ったぞ。お主には今宵、余の相手を務めてもらうとしよう。ぐっふっふ……その布の下に隠れた豊満な肉体……余が満足するまで存分に楽しませてもらうぞ」


 彼女の背筋が一瞬、ぴんと張ったのがわかった。だが、そのわずかな反応を除けば、彼女は表情一つ変えずに王の下劣極まりない言葉を受け止めていた。


「……恐れながら、王様のご厚意にお応えすることはできません」


 彼女の声は先ほどよりも一層低く、そして毅然としていた。まるでその場の空気を引き締めるかのように、重々しい言葉を選びながら、はっきりと口にした。玉座の間にいた全員が息を呑み、その緊張感に耐えきれずに身体を強ばらせる。王の顔が徐々に歪み、眉間に深いしわが刻まれる。


「何だと……?」


 王の小さな瞳がさらに細まり、怒りの炎が燃え上がる。わなわなと肩を震わせ、周囲に重い圧力を放ち始める。王のその様子は、まるで今にも爆発しそうな火薬の樽を目の前にしているようだった。だが、それでも彼女は一歩も退かない。


「余の命令に従えぬと申すか? お主……死ぬ覚悟はできているだろうな?」


 王の声が静かに響き、玉座の間の温度が一段と下がったように感じられた。その冷酷な響きに、生徒たちが怯え、無意識に後ずさるのが分かる。だが、彼女は動じない。じっと王の眼光を受け止め、静かに口を開いた。


「恐れながら、王様。私の誇りを奪うことは、命を奪うよりも許しがたいことです。たとえそれが死を意味しても、私は決して屈しません」


 玉座の間に張り詰めた空気が、彼女の言葉によってさらに鋭くなっていくのがわかる。生徒たちの中にはその場に立っていることさえ辛くなったのか、額に汗を浮かべ、視線を逸らす者もいた。だが、彼女は誰よりも堂々と、それこそ王よりも高位にいるかのように、冷ややかに王を見据え続けている。


「よかろう……ならば貴様は余が直々にあの世へと送ってくれるわ!」


 王の全身から漆黒のオーラが勢いよく噴き出し、まるで生き物のように四方八方へと広がっていく。その黒い波動が空気を震わせ、玉座の間に禍々しい影を落とした。

 

オーラは次第に収束し、渦を巻きながら王の手へと集まっていく。無数の黒い霧が手のひらの中心に吸い込まれ、やがて深淵のような漆黒の球体が浮かび上がった。その圧倒的な魔力は、見る者の心を締め付け、命を吸い取るかのような凄まじい威圧感を放っている。もしも直撃すれば、人間一人など簡単に消し飛ばしてしまうだろう。


「余に歯向かったことを後悔しながら逝くがよい……!」


 王の顔に浮かぶ残忍な笑みと共に、手のひらに浮かぶ漆黒の球体が不気味な光を放ち始める。


 そして俺はというと、この後に及んでまだ悩んでいた。彼女を助けるということは、王に牙を剥くも同義。それはつまり、王国相手に宣戦布告するようなものだ。そんなことをすれば、俺の自由気ままな異世界スローライフは諦めるしかなくなる。果たして、たった一人のために異世界での人生を棒に振ることは、正しい判断だといえるのか。


 ――彼女の背中が見える。凛とした立ち姿は、王の圧倒的な魔力を前にしても微動だにしていない。このまま見て見ぬふりをして平凡な日々を送るのか? 違う……俺は平凡な日々を変えたかったはずだ。何も変わらない日常に退屈していたはずなのに、異世界でチート能力まで貰って、俺はまた同じ時間を過ごすのか……?


「――死ねッ!!」


 王の叫びと同時に、漆黒の魔法が閃光と共に放たれる。凄まじい轟音が玉座の間に響き渡り、爆風が空間全体を揺るがした。その黒い光は彼女に向かって一直線に放たれ、彼女を飲み込もうとする――。


「ふざけるなッ!!」


 俺は反射的に叫びながら、彼女の前に飛び出した。身体が勝手に動いた。脳が命令を出す前に、俺の体は彼女の盾になるべく駆け出していたのだ。心臓が激しく鼓動し、全身を駆け巡る血液が沸騰するような感覚に襲われる。


無窮不可侵の盾アブソリュート・インヴィオレイト!」


 俺の声と共に、全身から白い光が溢れ出し、俺と彼女の周囲を包み込んだ。その瞬間、黒い魔力の奔流が俺たちに迫り、白光とぶつかり合う。空間全体が激しく震え、凄まじい衝撃波が四方八方に広がっていく。白と黒の光がせめぎ合い、まるで昼と夜が衝突するかのような凄まじい光景が目の前に広がった。


白い光がさらに強く輝き、盾の輪郭を鮮明に描き出す。無数の光の紋様が空中に浮かび上がり、神秘的な模様が盾の表面に刻まれていく。


 ――そして数秒か数十秒が過ぎた後、王は魔力が尽きたように膝をついた。全身から立ち上るオーラが薄れつつあることが、それを物語っている。王は膝をついたまま、信じられないという表情で俺を見上げていた。顔は蒼白になり、額には冷や汗が滲んでいる。荒い息を繰り返しながら、かつての威圧的な風格は見る影もなく崩れ去っていた。


「ば、馬鹿な……!余の魔法は、下級魔族なら一撃で消し飛ぶほどの威力だぞ!? いや……今のはそれ以上の威力だったはずだ! それを、この召喚されたばかりのレベル1の分際で防ぐなど……ありえぬ!」


 力なく膝をつく王の姿は、もはや威厳を放つ支配者のそれではなかった。王冠がかすかに傾き、垂れ下がった肩越しに見える顔には、絶望と失望の色が濃く浮かんでいる。玉座の間に張り詰めていた重々しい雰囲気が霧散し、代わりに生徒たちがざわめきを始める。


 王は力尽きたかのように、そのまま両腕を床に投げ出し、地面に這いつくばった。高貴な身分を象徴する絹の衣服が無様に広がり、かつて玉座を支配していた王者の姿が、今や見るも無残なものへと変わり果てていた。


 一方の彼女の瞳には、困惑と安堵が入り混じった複雑な感情が揺らいでいる。まるで今見た光景が信じられず、自分の理解を越えているかのように、俺の顔をじっと見つめていた。


「どうして……あなたが……?」


 か細い声が彼女の唇から漏れる。普段、毅然とした態度を崩さない彼女の口調はどこか震えていた。自分を庇うように飛び出してきた俺の行動が、理解できないといった表情を浮かべている。


 その問いかけに、俺はどう答えたものかと迷った。あまりに突発的に体が動いてしまった結果だから、正直なところ俺自身も理由をうまく説明できない。ただ、目の前で彼女が王の凶悪な魔法に消し飛ばされる姿を想像した瞬間、何かが胸の奥で爆発したように熱くなり、気づけば体が勝手に動いていたのだ。


「別に……退屈な日常を変えたかっただけです」


 彼女の問いに、思わず視線を逸らしながら、俺はつぶやくように言った。嘘ではない……が、すべて本心でもない。だが、こう答えれば彼女もそれ以上は突っ込んでこないだろうと、勝手に自分で納得していた。


「……おかしな人ですね」


 彼女は小さく微笑みながら、まるで自分に言い聞かせるように呟いた。いつもの凛とした佇まいからは想像もできない、穏やかで安堵に満ちた笑みだった。

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