互いのために・3

「気をつけて!」


 ルーシーは叫ぶと同時に、盾を構える。だがアイスベアの群れを前に、ボロボロの盾はあまりにも頼りなかった。テオドアは焚火の燃えさしをつかむと、手に持ったカンテラの火をともして前方に向ける。アイスベアたちの突進が止まった。


「見ろ、獣ども! これは火だ、どうだ怖いだろう!」


 必死に声を張り上げて虚勢を張り、自分たちを脅威と認識させようとする。アイスベアたちが戸惑っていると、群れのボスが大きな吠え声をあげた。その叫びに鼓舞され、仲間の個体も続けて吠え声をあげる。森の中に、獣の咆哮がこだました。


「残念、はったりは効かないようです」


 燃えさしを構えつつ、テオドアがぼやく。緊張がその顔にありありと浮かび、必死にアイスベアの習性を思い出して打開策を見出そうとする。そんな彼に、ルーシーは落ち着いて語りかけた。


「大丈夫、大丈夫。協力すれば、なんとかなるよ」


 その言葉は、半分自分に向けられたものであった。ルーシーは手に持った槍の先をじっと見つめる。鉄でできた槍先は、定期的に手入れてされてはいるがボロボロになっていた。数多の魔物の体に突き刺さってきたそれは、もはや脂のぬめりが取れない。突然何かを思いついた彼女は、テオドアの炎に槍先を重ね合わせた。槍先が赤く熱され、炎が灯る。ルーシーは燃える槍を振り回すと、ためらわず突進してきたアイスベアの鼻先に突き刺した。


「ギャアアァァアア!」


 苦悶の声を上げ暴れるアイスベア。仲間のその姿を見て、群れは一瞬硬直した。テオドアはその隙を見逃さず、持っていたカンテラを群れに向かって投げつけた。密集していた獣たちの体に火が放たれ、パニックが場を支配する。


「二番煎じでしたが、うまくいきましたね」

「まだまだここから、『盾の衝撃シールドバッシュ』!」


 苦しむアイスベアに向かってルーシーが突進する。相手が体勢を崩すとそのまま、ルーシーは槍で追撃を加えた。テオドアは河原に落ちている石を手当たり次第に投げつけ、近づいてきたアイスベアたちをけん制する。しかし、ジャックがいないパーティーは攻撃の決定打に欠けていた。大盾を持ちながらの攻撃は難しく、ジャックのように敵の間をすばしっこく駆け回ることもできない。じりじりと包囲網は縮まりつつあり、二人は川の方へ押されていた。背後では、滝つぼから流れる冷たい川が口を開けている。あと少しのところで訪れたピンチに、ルーシーは唇をかんだ。


 突如、群れの後方から大きな咆哮が聞こえた。目を凝らすと、群れのボスが苦しみながらのたうち回っている。その背後から、小柄な影が姿を現した。


「ジャック!」


 ルーシーが驚きと喜びの混じった声を上げる。そのマスクをかぶった姿は、確かにジャックであった。腕には見慣れない小手を装備し、以前持っていた物とは違うナイフを持っている。マスクの目の奥からは青い光が漏れ出ていた。そのまま群れの中を駆け巡りながら、ジャックはナイフを振るう。ルーシーはその戦い方に、違和感を覚えた。


「ジャック……?」


 明らかに、彼の戦闘能力が向上している。足の速さや身のこなし、ナイフを叩きつける力など、以前のジャックのものではない。だがその変化に集中している場合ではない。ボスをやられ興奮状態に陥った群れは、テオドアとルーシーめがけてめちゃくちゃに突進してきた。


「あっちに! 盾を!」


 テオドアが指さす先には、包囲網のほつれがあった。ルーシーは特殊スキルでアイスベアの守りを崩し、テオドアが間髪入れずたいまつを胴体に叩き込む。怯んだ一瞬を狙い、二人は森の方へと走った。だががら空きになったルーシーの背後に、アイスベアの冷たい掌が振り下ろされる。仲間のピンチが、狂ったように攻撃を繰り返すジャックの目に入った。


「させるか」


 刃がひらめき、アイスベアの重い拳が宙を舞う。ルーシーが走りながら振り返ると、他の獣の体を踏み台にして飛び上がったジャックが、ナイフで相手の手を切り落としていた。特殊スキルによって光る目からは、何の感情も読み取れない。そのままジャックは、返す刃で相手の首を切り裂いた。鮮血があたりにほとばしる。着地したジャックは片足のバランスを崩しよろけるが、すぐに体勢を立て直す。そして、アイスベアの群れに向けて、この世のものとは思えない咆哮を轟かせた。


「グルアアアァァアアァァアァァア!」


 アイスベアたちが尻尾をまいて逃げる中、ルーシーとテオドアは恐る恐るジャックに近づく。なおも殺気を放つ彼は、その視界に仲間たちの顔を捉えた。


「ルー……シー……」


 そうつぶやくと、ジャックは地面に倒れ伏してしまった。


◇ ◇ ◇


「……ク! ジャック!」


 自分の名を呼ぶ声が、ジャックの意識を呼び覚ます。顔に滴る水滴に目を開けると、涙で顔をぐしゃぐしゃにしたルーシーの姿がそこにはあった。


「ジャック! 心配したんだからね、もう起きないかもって……」


 ルーシーはそういって、寝ている彼に抱き着く。その横で、テオドアはジャックから脱がせた小手を眺めた。表面に描かれている模様を見るに、これはエンチャントされた装備のようだ。


「ルーシー……大丈夫だったか……?」

「私は大丈夫、それよりジャックの方が!」


 そう言われ、ふいに体の痛みが戻ってくる。ダンジョンの魔物に切り裂かれた腕を見ると、布で簡単に止血がしてあった。布の生地を見るに、テオドアのローブの一部を使ったのだろう。痛めた足の方に温かみを感じて見てみると、湯気を発するタオルが置かれていた。


「そうか、じゃあ、みんな助かったのか……はは、よかった……」

「ほんと、無事でよかった」

「おいおい、痛えって」


 なおも抱き着くルーシーに、ジャックは苦笑する。テオドアも近づいてきて、二人のハグはグループハグに変わった。一通り抱擁が終わると、ジャックは真剣な面持ちでルーシーに向き直る。


「ルーシー、ずっと言おうと思ってたんだ。ごめん。ルーシーの気持ちも考えずに、ひでえことばかり言っちまった。俺のことは、一生許さなくてもいい……」

「ううん、もういいの。私こそ、ごめんね、ジャックのこと信頼してなくて……」


 またもしゃくりあげながらルーシーが答える。二人の若者は、ついに泣き出してしまった。大泣きしながら再び抱擁を交わす彼らを見ながら、テオドアが優しく声をかける。


「ほらほら、せっかくハッピーエンドなのですから、涙はもう終わりにしましょう。そしてジャック、私の方からも話があります」


 そう言われ、涙を拭いてジャックはテオドアの方に向き直る。彼の手には、先ほどの小手が乗せられていた。


「私の知識が正しければ、これには狂乱系のエンチャントが付与されていますね? これで身体能力の増強を?」

「ああ、近くのダンジョンで見つけたんだ。戻るときに襲われてる二人を見つけて、とっさに」

「これの使用は、私が禁じます。あなたも狂乱の状態異常の恐ろしさは知っているでしょう? 力と引き換えに、自分の身が傷つくのも顧みず、敵味方構わず攻撃し続ける。危険すぎます。ジャック、どうやって敵だけを攻撃できたのですか?」

「ああ、それか」


 ジャックは装備の山の方を指さした。そこには、先ほどまで使っていたナイフが置いてある。


「あれは、出来損ないの雷属性のナイフだ。エンチャントが雑だから、持つと軽く感電しちまう。だから、その刺激を気つけ代わりに」


 言い終わる前に、平手打ちがジャックを襲った。パンという乾いた音が、ゴバンガ山に響き渡る。ジャックが頬をさすりながら顔を上げると、怒った表情のルーシーがこちらを見つめていた。


「ダメ! そんなやり方絶対禁止! 私決めたの、これからは自分の身も大事にするって。だからジャックも、捨て身作戦は今後一切禁止ね!」


 怒った口調でそう言うが、頬をさすりながら怪我人をいじめるのかとぼやくジャックを見て、ルーシーは思わず笑ってしまう。そんな彼女を見て、ジャックも自然に笑みがこぼれた。テオドアはそんな彼らを見ながら、物思いにふけり天を仰いだ。


「『霊峰ゴバンガは、人の本質をひきずりだす』か……確かにそうでしたね。でもそのおかげで、私たちの仲も一段と深まったようです」

「ん? 何か言ったか?」

「いえ、何でもございません」


 そういって、ジャックとルーシーの間に混ざるテオドア。いつの間にか吹雪は止み、明るい太陽が三人を照らしていた。

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