互いのために・2

「今日はここまでにしましょう。日が暮れてからの探索は危険です」


 傾く太陽を眺めながらテオドアが言う。それを聞き、ルーシーは歩みを止めた。


「でも、早くいかないとジャックが……」

「彼はきっと大丈夫ですよ、ルーシー。それよりも、自分のことを大事にしてください」


 テオドアの忠告は正しかった。疲れた体にむち打ち探索を続けたルーシーの体には、もう体力が残っていなかった。少し開けた場所で腰を落ち着かせると同時に、どっと疲労感が彼女を襲う。


「ごめん、私今日はもう寝るね。テオドアも早めに休んで」


 テオドアが頷くのを見て、ルーシーはすぐに眠りに落ちた。目を閉じて寝息を立て始めたのを確認すると、テオドアはすぐに地図を広げ、スケッチブックを開く。焚火の明かりの中、メガネを取り出して彼はジャックの居場所を推測し始めた。知識量ならばパーティーの中で一番だという自信がある。反対に、戦闘では最も役に立たない。寝言でジャックの名をつぶやくルーシーの姿を見ながら、テオドアは一人彼なりの戦いに身を投じていた。


◇ ◇ ◇


 薄暗いダンジョンの中、ジャックは一人謎の魔物と対峙していた。オオカミのような体にトカゲの頭を持つそれは、長い舌を出してこちらを威嚇してくる。


「シュウウゥゥ……」


 背中の棘がときおり、妖しげに赤く発光する。距離を少しずつ縮める魔物を前に、ジャックはナイフを取り出して構えた。


 先に動き出したのは魔物だった。狭い廊下を全速力でジャックの方に突進してくる。ジャックは無意識に、ルーシーが飛び出してきて盾で守ってくれることを期待してしまった。しかし今、彼は一人だ。すんでのところで、壁に身を張り付ける形でジャックは攻撃を回避した。勢いあまって怪物は前につんのめる。その隙をジャックは見逃さず、ナイフを振りかざした。


「いてっ!」


 痛めた足がジャックの自由を奪う。バランスを崩しよろめいたところに、素早い動きで体勢を立て直した魔物が飛びかかった。とっさに腕を前に出し体をかばうが、魔物の牙が容赦なくジャックの腕を切り裂いた。


「ぐああっ!」


 痛みにうめき声をあげる。力なく地面に崩れ落ちるジャックに、唾を垂らしながら魔物がにじり寄る。腕を抑えてうずくまるその姿を見て、魔物はあざ笑うように赤い目を細めた。ジャックは一人でダンジョンに潜ったことを深く後悔した。冒険の旅に慣れてきたところとはいえ、所詮は冒険者未満。仲間がいなければ何もできない。ジャックの頭の中に、ルーシーとテオドアとの思い出がフラッシュバックした。


「……駄目だ、諦めるな」


 ジャックは自分を鼓舞するようにつぶやく。仲間たちは今頃、必死でジャックのことを探しているだろう。仲間の生死が分からなくても、彼らは絶対に諦めない。その頑張りを無駄にするわけにはいかない。それに、ジャックはまだ、ルーシーに「ごめん」と言えていなかった。


「邪魔をするな」


 仮面の奥のジャックの目が青く光る。痛みで震える体を気力だけで立ち上がらせると、ジャックは襲い掛かる魔物に向けてナイフを振りかざした。


◇ ◇ ◇


 ルーシーが目を覚ますと、何やら香ばしい香りが鼻孔をくすぐった。見ると、焚火の傍らで鳥の丸焼きが湯気を発している。起きて周りを見渡すと、雪解け水を汲んでテオドアが戻ってきた。


「おや、おはようございます。今日の朝食はフラン鳥の丸焼きですよ」


 そう語る彼の目の下には、黒ずんだくまが現れていた。ルーシーは慌てて彼に駆け寄ると、ちゃんと寝ていたのかと彼に詰め寄った。テオドアの返事は、ルーシーを驚愕させた。


「うそ! すぐに寝てテオドア! 頑張ってくれたのはありがたいけど、心配だよ」

「いいんですよ、夜でも見張りは必要ですし。それに、あなたは戦っている分体力の消耗も激しい、休ませるのは当然です」

「でも……」

「いいですか、ルーシー。あなたならわかるでしょう」


 彼女の言葉を遮って、真剣な顔でテオドアが言う。


「私は、ここにいていい理由を示さなければなりません。戦闘に貢献できない分、私は他の部分で頑張らなければ」

「いていい理由なんて、テオドアは当然仲間だって」

「私は役に立ちたい、役に立たなければいけない。あなたも同じ気持ちで、無理をしてまで私たちを守っているのでは?」


 ルーシーは言い返せなかった。彼の言っていることが正しかったからだ。ルーシーは確かに、弱い自分に負い目を感じていた。同時に、唯一仲間を守れる自分に、責任も感じていた。コンプレックスと責任の間で、ルーシーはいつしか、わが身を大切にすることを忘れてしまっていた。


「あなたはいつも、捨て身で戦っていますね。命がけで戦うこと、それは結構。ですが、、これはいただけません」

「だったら、私もう無理しないって約束するから、テオドアも無理しないで!」

「分かっていただければ、いいのです。では私も、そろそろ休ませていただきましょう……」


 そう言うと、崩れ落ちるように焚火のそばに腰をつくテオドア。ルーシーは優しく彼を横にしてあげると、彼に言われたことを反芻した。彼の優しさに、自然と涙があふれてきた。


◇ ◇ ◇


「このあたりです。ジャックがいるとすれば、この川沿いでしょう」


 一休みして体調を整えたのち、ルーシーとテオドアはジャックの落ちた川沿いを探索していた。轟音を上げて流れる濁流を見て、ルーシーは最悪の場合を想像せずにはいられなかった。だが、ジャックが生きているというわずかな希望に賭け、必死に川岸を捜索する。


「あれ!」


 寒々しい河川敷に、茶色い革が落ちていた。見慣れた色合いを見て、ルーシーは駆け寄る。間違いなく、ジャックのバックパックの一部であった。びりびりに破けたバックパックの破片を見て、ルーシーはジャックの運命を悟り泣きそうになる。


「諦めるのはまだ早いですよ。見てください、ここ」


 テオドアが切れ端の一端、肩紐の部分を指さす。そこだけは、他の乱雑な破り方と違い、刃物で切ったかのような切れ口となっていた。


「おそらく、ジャックは自力でバックパックを切り落としたのでしょう」

「じゃあ!」

「ええ、少なくとも彼は、川に落ちた時点では無事だった」


 希望の糸が見え、ルーシーは顔を輝かせる。だが、氷点下の世界でジャックはまだ一人取り残されているということだ。自然と体が動いた。


「早く行こう、ジャックが待ってる!」


 しばらく行くと、川の終点が小さな滝につながっていた。落差はあまりなく、滝つぼ周辺にはやや開けたエリアが見える。ルーシーは、そこに求めていたものを見つけた。


「焚火の跡! テオドア急ごう、ジャックは生きてる!」


 慎重に、しかし急いで崖を下り、二人はジャックがこしらえた仮設キャンプへと向かう。そこには、何かの動物の骨も転がっていた。しかも焚火の灰はまだ新しい。


「やった! よかった……」


 再び目を潤ませるルーシー。テオドアも喜びで胸がいっぱいになった。あとはここ周辺を探せば、ジャックは必ず見つかるはず。二人の間に、再び希望の炎がともった。


「グルルルルル……」


 厳しい大自然はそう簡単には、二人を祝福してはくれなかった。低い声を聴き二人が振り返ると、なんとここでもアイスベアの群れがこちらの様子をうかがっている。その中に一匹、他の個体より一回り大きい個体がいた。全身傷だらけのアイスベアは、なんと峡谷でルーシーを襲ったあのアイスベアだった。


「グアアアァァアアァ!」


 彼の怒りの咆哮とともに、アイスベアの群れは二人に向かって突進してきた。

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