冒険者未満・3

「名付けて、『蒼のせせらぎブルー・ブルック』!」


 ジャックの振った刃から、澄んだ水がほとばしる。水属性のエンチャントが付与された武具は、水中でその効果を発揮したり、水を生み出し攻撃に用いることができる。刃に付与された場合、強力な水圧が刃を包み込み、岩をも切り裂く水の刃になる。だがジャックの装備している物は、あくまでハズレ装備。水量が弱く、せいぜい手を洗う時に水道の蛇口から出る水程度の威力だ。魔法で生み出した水は一定時間後に消えてしまうため、飲み水としても役に立たない。だが今の状況では、ジャックにとってこれは伝説級の武器にも匹敵する頼もしさだった。


「こいつはどうだ! 喰らえ!」


 ナイフを振るうと、水がびちゃびちゃと宝石グモたちに降りかかる。もちろん、全くダメージはない。だが、相手はジャックに飛びかかるのをためらっていた。


「ルーシー! テオが危ねえ、助けに行くからちょっと頑張っててくれ!」

「分かった! 後ろは任せて!」


 きらめく宝石の塊たちを盾で押し退けながら、ルーシーが答える。相手の動きはそこまで素早くはなく、転ばせるとしばらくは起き上がれないので戦いやすい。未経験者のルーシーでも、かろうじて戦線を維持することができていた。


 一方テオドアはというと、かなり苦しい状況に置かれていた。杖のリーチを生かし、相手の攻撃がギリギリ届かない距離から情けない掛け声を上げて打撃を加える。ぐっしょりと濡れた服が体にへばりついて気持ち悪いし、持っていた本は壊滅的なことになっているだろう。テオドアは泣きたいのを堪え攻撃を続けていた。しかし、先端に金属球がついている点以外殺傷能力のない杖では、いつまでも耐えることはできなかった。数匹の宝石グモが糸を放ち、杖をからめとる。


「ああっ、やめなさい!」


 言葉の通じる相手ではない。力比べに負け、テオドアは武器を失い丸腰になってしまった。彼は祈るような表情で、こちらに駆けつけてくるジャックを見る。そのジャックは、宝石グモを踏み台にして、水をまき散らしながら走ってきていた。片手でナイフを振りながら、もう片手で腰に付けたポーチを探る。手ごろなナイフを一つ取り出すと、テオドアの足元に投げた。


「ルーシーの方に急ぐぞ、走れ!」


 びしょびしょに濡れた服をひきずりながら、テオドアとジャックはルーシーに合流しにクモの群れをかき分けていった。


◇ ◇ ◇


「本当にこっちで合ってるんだろうな⁉」

「もうすぐ開けたエリアに出るはずです! そこを抜ければ出口はもうすぐ!」


 ルーシーを先頭に敵を弾き飛ばしながら、三人は狭い洞窟を駆け抜ける。奇跡的に三人とも五体満足で宝石グモの大群から逃れることができたが、先の見えない洞窟の中を発光虫の淡い光だけで攻略するのは至難の業だ。


「あれっ、おい、クモ共の数が減ってないか」

「ほんとだ、なんか退いてってる?」


 追手の数が次第に減っていき、ついには最後まで残った宝石グモもなぜか三人から離れていった。奇妙な状況に困惑しながらも、とりあえず助かったということで一行はため息をついた。


「おそらく、その先に広い空間があって、右から二番目の洞穴を抜ければいいはず……」


 テオドアの言葉はそこで途切れた。非常に大きな宝石が、彼の視界に飛び込んできたからだ。


 これまで彼らが遭遇したものとは比べ物にならない、家ほどの大きさの宝石グモが、そこに鎮座していた。背中は無数のカラフルな宝石で彩られており、一つ一つが幼体の宝石グモほどの大きさがある。その巨体は今まさに、食事の最中であった。休眠を爆発によって妨げられ、エネルギー補給のために配下の宝石グモが持ってきた洞窟トカゲなどを貪っている。幸いにも、ジャックたちの存在にはまだ気づいていなかった。宝石グモの王の視界に入らないように奥まで行く方法はない。テオドアは、壁伝いにできるだけゆっくり行く作戦を提案した。


 そろりそろりと歩く一行。もうすぐ半分まで差し掛かるという所で、壁を降りてきた宝石グモがルーシーの頭に触れた。とっさに悲鳴を上げ、槍で強引に振り払う。しかしその動きは、クモの王に居場所を教えてしまった。


「キエエエェエェェエ!」


 黒板を爪でひっかくような金切り声をあげ、クモの王が重たい体を上げる。でっぷりと太った体躯の下には、一本一本が大剣ほどのサイズがある牙が並んでいる。他の宝石グモたちは、王の前から我先にと退散した。ルーシーは小声で謝った後、震える手で盾を構える。


「受け止めるから、そしたら急いで逃げて」

「駄目です、あれの突進は王国式戦車の威力を上回るでしょう」

「でも……」


 迷っている時間はない。ジャックはルーシーの肩に手を置くと、その震えを和らげるように軽く叩いた。


「いいか、俺たちは冒険者未満だ。身の丈以上のことをやろうとしたら、必ず誰かが犠牲になる」

「だからこそ、出来る事を駆使して乗り切るのですね」


 テオドアが言葉をつなげる。それを聞き、ルーシーの震えが止まった。


「そうだね、忘れてた。やろう、二人とも。生きてここから出よう」


 三人の心が、初めて一つになった瞬間だった。クモの王は耳をつんざく奇声を上げ、重い体を震わせながら迫ってくる。宝石のような大きな目が、ジャックたちの眼前でらんらんと光った。


「ジャック、あの武器を目に!」


 テオドアが叫ぶ。ジャックはためらわず、『蒼のせせらぎブルー・ブルック』をクモの王の目に向かって投げた。エンチャントが発動している刃が、目に突き刺さる。意外にも、宝石のように見える目の部分は硬くなく、ゼリーのような材質の組織で構成されていた。テオドアは、今はびしょぬれでページが張り付いてしまっている本から、そのことをすでに知っていたのだ。クモの王は目からほとばしる水に仰天し、咆哮を上げながら苦しんでいる。その隙に三人は出口に向かって一目散に走りだした。


 ジャックの目が、『ゴミ漁りスキャヴェンジ』の力で青く光る。地面に落ちている様々な生き物の死骸の中から、鋭利で持ちやすい形状の骨を素早く見つけ出すと、走りながらそれを拾って構えた。クモの王の異常な咆哮に反応した宝石グモたちがわらわらと湧いてくるが、ジャックはそれらに骨を投げつけてけん制する。手持ちの武器がなくなっても、すぐに特殊スキルで新しい物を探し出して補充する。一方先頭を守るのはルーシーだ。『盾の衝撃シールドバッシュ』を走りながら使い続けることで、暴れ牛のように目の前の敵を押し飛ばしながら進んでいる。気合の声をあげながら、ルーシーは痛む体にむち打ち突進を続けた。後ろからはクモの王の叫び声が聞こえる。だが、あの巨体では出口への洞穴を抜けることはできない。三人の冒険者たちは、日の光が見えるまでは足を止めなかった。


◇ ◇ ◇


 高く上った太陽の光が、初めての勝利を祝福する。何のことはない鳥の鳴き声さえ、今の彼らの耳には凱旋のラッパのように聞こえた。宝石グモがもう追ってこないことを確認すると、ジャックたちは草原に倒れこんだ。


「やったー……出れた……」


 最初に口を開いたのはルーシーだった。長い金髪が汚れるのにも構わず、草原に寝転がる。そして少し濡れた草の匂いをいっぱいに吸い込んだ。


「勝ったぞー!」


 喜びの声を上げる彼女を見て、ジャックとテオドアは顔を見合わせ微笑む。つい昨日の夜は、連携が取れず喧嘩したばかりだ。だが今は、ともに困難を乗り越えた戦友として友情が芽生えていた。


「お疲れさん、二人とも。よく頑張ってくれたな」

「感謝するのは私ですよ、おかげで宝石グモの生態について貴重な情報が得られました」


 そういうテオドアの顔には、メガネがない。どこかで落としてしまったのだろうが、今の彼はそのようなことは気に留めていなかった。もともと視力がそこまで悪いわけではなく、学者として箔をつけるためにかけていたというのも事実だ。


「なあ、これからどうする? もうちょっとここで休むか?」

「この近くに小川があるはずです。まずはそこまで行って、キャンプを設営しましょうか。服も乾かさなければですし」

「賛成! いっぱい汗かいちゃったから水浴びしたい!」


 ジャックとルーシーにとっては初めての、テオドアにとっては人生で最も過酷な、エコーグロウ洞窟の冒険の余韻に浸りながら、三人は小川を目指し歩き出した。

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