壊れる日常・2

「毎度あり。道中気をつけな」


 今日もダグリックの工房には客が訪れる。低級の武器や防具を売る店として熟練の冒険者には見向きもされないが、値段がかなり安いので駆け出しの冒険者の間ではひそかに噂になっている店だ。簡単な冒険には十分な質の商品は、ジャックが見つけたハズレ装備やそれらを材料にダグリックが作った装備である。また、品数は少ないが小さな芸術品も売っている。だがこちらはあまり売れ行きが芳しくない。ジャックはそれらの作品の良さをもっと知ってもらおうと訪れた客に熱心に勧めるが、結果は不発に終わることが多い。


「よし、今日もゴミ漁りに行ってきますか。夜には戻るから」

「おう、行ってこい。今晩の料理は期待しとけよ、羊肉買ってくるからな」

「よっしゃ、ありがとなダグ爺!」


 いつもの装備を再確認し、ジャックはスクラップ置き場へと向かった。道中で夜勤のケイスと出会い、軽い挨拶を交わす。もうすぐルーシーと交代する彼の体は睡眠を欲していたが、門番として眠るわけにはいかなかった。もっとも、近頃ではときおり兜の奥で居眠りしているのではないかと噂されてはいるが。


 スクラップ置き場はかなり広い。今では冒険者たちがいらないアイテムを捨てる場所となっているが、もともとはロンゾ区周辺の粗大ゴミが集まる集積場であった。そのため不用品の山の奥の方は、ジャックもまだ探索したことがない。たまに積みあがったスクラップが何かの拍子に崩れることがあり、何年も前の装備などが顔を覗かせることがある。ジャックにとって、ここの探索は冒険だった。たまに現れる大ネズミは下級のモンスターながら、彼には自分の腕前を試すいい相手だ。臆病で狡猾な大ネズミは逃げ回るので、ジャックは攻撃を当てられるようゴミ山を駆け回る。王都の外にあまり出たことのない彼にとって、ここでの暮らしは程よいトレーニングになっていた。


「今日は東の方も見てみるか」


 独り言を呟きながら、ジャックはマスクを被り直しスクラップでできたダンジョンの奥深くに進んでいった。


◇ ◇ ◇


「ケイスおまたせ、交代するよ」


 ルーシーが到着すると、ケイスはあいまいな声を上げてルーシーの方に頭を向けた。兜に隠れて素顔は分からないが、おそらく居眠りしていた事は想像に難くない。ルーシーは彼の鎧を軽く小突いて目を覚まさせると、いつもの持ち場に立った。


 朝のルミナリス城はいたって平和だ。諸侯の要人の来訪もなく、兵士たちの訓練する声がはるか遠くからかすかに聞こえる。鳥のさえずりが耳に入り屋根の方を見上げると、見たことのない色の鳥が何羽か列をなして民家の屋根に止まっていた。


「メインゲートの門番って今どんな感じなんだろうなあ」


 頭の中で独り言を呟く。オルドレア城で一番大きいメインゲートの守護は、全ての門番にとって憧れの仕事だ。ルーシーもかつてはそのような誉れある職に就こうと志願したが、実力不足と判断され現在に至る。だが彼女はその結果に満足していた。決して楽ではないが平和な仕事、料理のいい匂いを嗅ぎながら友人との話ができる仕事。メインゲート担当ではこうはいかない。とはいえ一度は、王様と会ってみたいなあ、とルーシーは思った。


◇ ◇ ◇


 何の前触れもなく、大きな爆発音が朝の静けさを無情にも引き裂いた。半ばぼーっとしていたルーシーは轟音で現実に引き戻される。音はルーシーの背後、オルドレア城から聞こえた。慌てて振り返ると、中央のひときわ大きい尖塔から緑色の煙がもうもうと上がっている。その尖塔は、国王陛下の執務室がある場所だ。ルーシーは突然の出来事にまだ状況が呑み込めていないが、平和な日常が突如として終わりを迎えたことを感じた。裏通りで井戸端会議をしていた人々も話を止め、城の方を不安そうに見つめる。厨房の方から何人かの兵士たちがルーシーの方に向かって走ってきた。


「門を閉めろ! 門を閉めろ!」


 大声で叫ぶ彼の頭上に黒い影が現れる。どこから現れたのか、ルーシーの見たこともない魔物が彼の体を鋭いかぎづめで鷲掴みにし、そのまま空へと連れ去った。あまりの出来事にそのすぐ後ろにいた兵士は棒立ちになっている。異変に気付いたルーシーが叫ぶ間もなく、その兵士は崩れてきた屋根の下敷きになった。


 あちこちで緑色の炎が上がり、かつて栄華を誇った城は崩壊の一途を辿っている。暗雲が空を覆い、恐ろしい叫び声をあげながらコウモリのような翼をもつ魔物が上空を旋回している。今、ルーシーが門番としてやるべきことは、門を閉め城内で暴れまわっている何者かを閉じ込めることだ。しかし、城の中からは我先に逃げ出そうと使用人たちが走り出してきた。ルーシーはその瞬間、責務を忘れ目の前の人々を守ることしか考えられなかった。


「こっちです! 早く! 街の外へ!」


 悲鳴と爆音にかき消されそうになりながら、ルーシーは必死に避難誘導を続ける。しかし上空の魔物たちが襲ってくるのも時間の問題だ。城の中から襲撃者たちが出てくる可能性もある。ルーシーは最悪の状況を考えないようにしながら、目の前の悪夢が早く終わることのみを祈った。


◇ ◇ ◇


「クソッ、何だってんだ!」


 ジャックは逃げ惑う人々の流れに逆らい、ダグリックの元へ向かう。スクラップ置き場で鍛えられた足腰により、人込みや倒れたがれきが散乱する中でも走り続けることができた。城が見える曲がり角に差し掛かると、そこにはルーシーの姿があった。大声で叫びながら、城の方から逃げる人々を誘導している。ジャックは急いで彼女の元へ向かった。


「ルーシー! 無事か!」

「ジャック! 私は平気、でも、城が……何が起こってるの?」

「分かんねえ……でも、ここから逃げたほうがいいのは間違いねえ。行くぞ!」


 ジャックはなおも戸惑うルーシーの手をつかみ、強引にその場から離れようとする。その時、彼らの頭上を巨大な火球が通過した。爆音とともに落下した先は、ロンゾ区の裏通り、ダグリックの工房がある場所だ。二人は絶望の表情で互いの顔を見合わせると、言葉を交わすことなく、工房の方へと走った。


◇ ◇ ◇


「ダグ爺! 無事か! いたら返事してくれ!」

「ダグリックさん! お願い!」


 懸命に声を張り上げ、燃え盛る工房の中を必死に探索する。するとがれきの中から、弱々しい声が聞こえた。


「ジャック……」

「ダグ爺!」


 ジャックはためらいもせず業火の中に飛び込み、がれきをどかそうとする。彼一人では動かせないがれきを、駆け付けたルーシーと二人がかりで何とか持ち上げた。ダグリックの皮膚は焼け、目の焦点は定まっていない。


「ダグリックさん! どうしよう、今安全なところに……」

「……持っていけ」


 泣き叫ぶルーシーの言葉を、消え入りそうなかすれ声で遮る。弱々しく向けられた指の先には、ダグリックの飾り棚があった。


「……転移の、小瓶……街を……出ろ、そこで、使え……」


 ジャックはすぐさま彼の意図を察した。転移の小瓶を使えば、魔方陣が展開され登録された地点へ自動的に転移することができる。しかし王都ルミナリスでは、強力な結界により許可なき転移魔法は発動できないようになっていた。都の外に出なければ、転移の小瓶は使えない。だがその作戦は同時に、育ての親であるダグリックを見捨てるということになる。


「駄目だ、ダグ爺もつれていく! ルーシー、助けてくれ!」


 二人で彼の体を持ち上げようとしたとき、工房の外からこの世のものとは思えない咆哮が聞こえた。見ると、骨ばった体に墨のような漆黒の皮膚、四足歩行の巨大な魔物がこちらを向いて威嚇していた。

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