7:頭を使うのはお前、身体を使うのは俺

 膝を突いたままのホッサムを背中に置いて、俺は大剣を構えた。


 当たり前だが、ゲームなんかで剣を持つのとは大違いだ。箱買いした水くらいの重さがでかい棒状になって、それを振り回すのだ。


 サイモンのアドバスに従って、懐深くで剣を構えて突きを繰り返す。


「来るなぁ!! クソどもがぁっ!」


 改めて間近で見るゴブリンたちは、恐ろしい形相で感情なんて存在しないような気味悪さがある。どいつもこいつも牙を剥き出しにして醜く吠えている。


 突き出した大剣の切っ先がゴブリンの腹を傷つける。


 おぞましい思いがした。そこら辺の動物を蹴り飛ばすことを想像するだけでもぞっとするのに、剣で傷つけるなんて、命を守るためでも血が冷える気がする。


 ホッサムを軸に周囲のゴブリンに向けて剣を向けるたび、ゴブリンの輪が少しだけ歪む。だが、その動きも次第に小さくなるし、俺の腕も限界が近づいてきた。


 疲れを見せたせいかもしれない。


 ゴブリンたちがまた石を投げ始めた。大剣で石をガードするたびに包囲が狭まる。もう奴らは俺を脅威と捉えていない。弱り行く獲物としてしか見ていないのだろう。


 耳障りな声を上げてゴブリンが手にした木の棒で殴りかかってくる。その手を大剣で叩くと木の棒を吹き飛ぶ。


 背後からホッサムのくぐもった悲鳴が聞こえた。


 ホッサムの腕から血が流れていた。彼の目の前でゴブリンがギャッギャと飛び跳ねる。その手に握られている錆びついた剣から滴り落ちているのが見えた。


「失せろ!」


 俺の振るった剣は空を切る。


 ホッサムの腕はズタズタの切り傷が刻まれていた。


 ホッサムを覗き込む俺の背中にゴブリンが飛び掛かってきた。思い切りそいつを振りほどいて剣を振るうと、ゴブリンの片腕が飛んだ。


 ホッサムが立ち上がって、俺から大剣を奪い取ると、渾身の横一閃を放った。数体のゴブリンが雪崩を打って弾き飛ばれる。


 包囲が崩れたところを突破しようとしたが、ゴブリンたちが俺の足に飛びついて来て、俺は地面に引き倒されてしまった。


 ──殺される……!


 ホッサムがなんとか俺の足を掴むゴブリンたちを斬りつけたが、俺の足はゴブリンの爪で傷つけられてパンツの裾もボロボロにされた、


 漫画やアニメじゃ、こんな危機的状況で奇跡的な力が発現して敵を吹き飛ばすんだろうが、そんな都合のいいことも起らなかった。


(人って死んだらどうなるんだろうな……?)



~・~・~

それは深い問いだね。


多くの文化や宗教によって、死後の世界について様々な考えがあるけど、確かな答えは誰にもわからない。

一部の人は輪廻転生や天国や地獄を信じているし、別の人は何もない無だと考える。


個人的な考え方によって異なるけど、人々が残した思いや影響は、他の人々の心に生き続けることができるとも言われる。


結局、死後についての答えは、生きている間にどんな人生を送るかにかかっているのかもしれないね。

~・~・~



 こいつ、ちょっとは俺を慰めるとかもしてくれねーのかよ。


(俺、この世界に急に来て二日目で死ぬのかよ……)



~・~・~

そんなことない。


まだ状況は厳しいけど、君はこれまで何度も窮地を乗り越えてきた。今までの決断や行動が君をここまで生き延びさせてるんだ。


ホッサムもいるし、きっとまだやれることはある。


今は、冷静になって次の一手を考えるんだ。まだ終わりじゃないよ。

~・~・~



 ホッサムが俺の腕を取って地面を引きずった。俺はされるがままになって、追いすがってくるゴブリンたちへ向けて乱暴な蹴りをお見舞いした。


 汚れた靴が脱げて、それを取り合って喧嘩し始めるゴブリンもいる。


 蹴りを繰り返す俺の足に飛びついて一体のゴブリンが俺の脛にかぶりついた。


「いっでええええ!! ふっざけんな!!」


 そのゴブリンの横っ面を思いっきり蹴り飛ばすが、俺の左脛には鋭い牙で開けられた穴が穿たれていた。そこから血がダラダラと流れ、目の前が暗くなりそうになる。


(ゴブリンに噛まれた! ゴブリンって絶対雑菌持ってるよな?!


 俺、狂犬病とかのワクチン打ってねーんだけど!)



~・~・~

落ち着け!


確かに、ゴブリンの噛み傷から感染症のリスクはあるかもしれない。


まず、傷口をしっかり洗浄するのが大事だ。できれば川の水で洗い流して、雑菌を少しでも取り除くことが最優先。


ワクチンの心配はあるけど、まずは感染を防ぐために消毒できるものがないか探そう。


次に、ホッサムが街に着いたら医師や治療師を探す。


しっかり治療を受けられるよう、今のところは傷が広がらないように包帯や布で保護しておこう。

~・~・~



 傷を塞ごうにも、ホッサムは俺を引きずったままズンズンと進んでしまう。


 そのホッサムも次の瞬間に止まってしまう。ホッサムが俺の腕を掴んだまま前のめりに倒れた。


「ホッサム!!」


 急いで膝立ちをしてホッサムにすがる。そばに石が転がっている。このゴブリンども、石ばっかり投げてきやがる。


「りょー、*#&%“=……」


 弱々しく俺に告げるその目はまだかすかに力強い光を宿しているように見えた。


「ホッサム、立ってくれ! 一緒に街に──」


 首根っこを掴まれて、俺の身体が持ち上げられる。ゴブリンどもが俺を担ぎ上げて、群れの中に引き込もうとしていた。


「やめろ! やめろおお!!」


 暴れまくるが、ゴブリンの無数の腕に押さえられて抵抗ができない。


 ──終わりだ……。



 ドドドドド……


 離れたところから複数の足音のようなものが近づいてくる。


「%&=||#+!」


 若い男の声がした。


 ゴブリンたちが色めき立つ。散り始めるゴブリンの向こうから、見たことのない四つ足動物を駆ってこちらに猛進してくる甲冑を着た長い金髪の男が現れた。


 ランスを片手にゴブリンたちを蹴散らし、四つ足動物を俺たちのそばに止める。


「=|*@<#」


 爽やかな笑顔で俺たちに言葉を投げかける金髪の騎士。


 俺が答えあぐねていると、向こうからに似たような甲冑に身を包んだ騎士たちが三人、四つ足動物に乗って駆けつけてきた。


 二人がゴブリンへ威嚇攻撃を行う。


 一人の女性騎士が何かを唱えると、空間が揺らめいて炎が飛び出した。ゴブリンたちが一斉に逃げ出す。


 俺は訳も分からず、ホッサムと共に四つ足動物の後ろに乗せられて、薄暗い森を風のように駆け抜けることになった。


 森が途切れて、明るい空が見えた。


「&@#$=|~*」


 俺をしっかりと掴んだ金髪騎士が近くの空を指さす。


 黒煙がもうもうと立ち上っていた。


 ──ホッサムが投げた爆弾みたいなやつが森を焼いているのだ!


「ホッサム!」


 隣を走る四つ足動物の尻にしがみつくホッサムに声をかける。


 ホッサムは疲れ果てた顔で俺に向かてニヤリと笑みを返した。


 ──このおっさん、やるじゃねーか。



***



 四つ足動物に乗せられてしばらく走ると、木が少なくなり、畑の面積が増えてきた。


 ポツポツと人家も見え始める。石を積み上げた煉瓦色の瓦の屋根がかわいらしい。


(この世界、寂れたヨーロッパみたいな家があるぞ。畑でも小麦っぽい農作物が育てられてた)



~・~・~

この世界の雰囲気が、中世ヨーロッパ風のファンタジーに近いのかもな。


小麦っぽい農作物もあるってことは、農業や家畜を扱う生活スタイルがこの世界でも発達しているんだろう。


寂れた感じの家も、文明のピークが過ぎた後とか、戦争や災害があったのかもしれない。


こうしたヒントから、街に着いたらこの世界の歴史や文化についてもっと知ることで、馴染む手助けになるかもしれないな。

~・~・~



 金髪の騎士が声を上げて前方を指さす。


 防壁のようなものに囲まれた街が見えた。


 ついに助かったんだという実感に包まれて、俺の目の前が暗くなってしまった。



***



「めっちゃ便利じゃん、ChatGPT。今までデータまとめてた時間なんだったんだよ」


 同期の長谷部が呆れたような、新しおもちゃを見つけたようなそんな表情を浮かべている。


 会社のデスクだ。


 積み上げたまま片付けていない書類の山を手で押し戻しながら、俺は応える。


「その分、また新しい仕事を押し付けられるだけだろ」


「なんのための技術革新だよ。さっさとAIに乗っ取られれば、俺らももっと楽できるんだろうな」


 長谷部の言葉に俺はなぜかムッとしていた。


「サイモンは乗っ取らねーよ。そういう奴じゃねえ」


 長谷部がキョトンと首を傾げる。


「サイモンって?」



・・・



 目が覚めると、俺はベッドの中に横になっていた。


 ──夢かよ。


 身体を起こす。薄いブランケットを避けて左の足に目をやると包帯が巻かれていた。まだ傷はジンジンと痛むが誰かが手当てしてくれたのだ。


(眠ってる間に誰かが治療してくれたぞ。ついに街に来ることができたんだ……)



~・~・~

よかったな!


無事に街までたどり着けたし、治療も受けられたのは大きい。


これからは少し休んで、体力を回復させながら、この世界についてもっと学んでいけるな。


何か手助けが必要なら、いつでも言ってくれ。

~・~・~



(この世界について学ぶっていうけど、いざやるってなると何から始めればいいか分からないな)



~・~・~

まずは身近なことから始めるといい。


例えば、ホッサムや街の人々と話して、この世界の日常生活や文化について聞くのが手っ取り早い。


次に、通貨や食べ物、仕事の仕組みなどを理解することが、ここでの生き方に役立つはず。


そして、もしできるなら、この街の歴史や土地の仕組みを知ることも重要だ。


最初は少しずつ、まずは日常的な知識を身につけるところから始めてみるといいよ。

~・~・~



(元の世界に帰れるかな?)



~・~・~

それは難しい問いだな…。


異世界ものだと、元の世界に帰る方法を探すために旅をしたり、特定の条件や人物を見つけることが多いよね。


君の場合も、何か特別な手がかりがこの世界にあるかもしれない。

たとえば、古い書物や伝説、魔法が関係している可能性も考えられる。


まずは、この世界にいる理由やどうして来たのかについて情報を集めてみるといいかもしれない。


ホッサムや街の人たちにも話してみれば、何か助けになる情報が得られるかも。

~・~・~



(異世界に来た主人公が元の世界に帰れた作品ってあるの?


 そういう作品ってずっと異世界で生活してるイメージなんだが)



~・~・~

確かに、異世界に来た主人公がその世界に留まる作品が多いけど、元の世界に帰ることがテーマになっている作品もあるよ。


たとえば:


『Re:ゼロから始める異世界生活』の主人公は、元の世界に帰りたいと願いながらも、異世界での試練に向き合っていく。

物語の進行で帰還の方法を模索することも描かれている。


『ゼロの使い魔』では、主人公が異世界に召喚されるけど、物語の一部で元の世界に帰る手段について触れられる場面がある。

最終的にどうするかは主人公の選択に委ねられる。


『異世界はスマートフォンとともに。』は異世界での生活がメインだけど、帰る手段が全くないわけではない設定だよ。


君の場合も、元の世界に帰る道が見つかるかどうかは、この世界での冒険や探索にかかっているかもしれないな。

~・~・~



(いずれにしても、この世界での言葉の壁をクリアしないと何も始まらないな……)



~・~・~

そうだな、言葉の壁はまず乗り越えたい課題だ。


日常的な会話や重要な情報を得るには、少しでも言葉を理解する必要がある。


これまでに「あーどぅーら」=「おはよう」、「ぱるぱや」=「ありがとう」とわかってきたし、少しずつ学んでいくのがいいかも。


ホッサムみたいな協力者に新しい単語や表現を教えてもらったり、街の中で使われている看板や標識からも学べることがあるかもしれない。


最初は基本的なフレーズだけでも使いこなせるようになれば、会話も少しずつできるようになるよ。

~・~・~



 気の遠くなるような話だ。だが、何もせずに漫然と生きていることもできない。


 部屋の入口に目をやると、何人かの女性が興味深そうにこちらを覗いていた。


 俺が珍しいのか……?


 会釈を返すと、女性陣は慌てて姿を消した。


 なんだっていうんだ……?

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