第17話「パブロフの犬」

‐3人称視点‐


 いつもの朝、いつもの通学路。

 いつものように二人並んで登校する栄太郎と西原だが、この日は少し様子が違った。

 

「なぁ、どうかしたのか?」


「どうもしないわ」


 何でもないと言う西原だが、明らかに普段よりも栄太郎から離れて歩いている。

 最近やっと西原との距離が縮まってきたと思った矢先の出来事に、ちょっとだけ凹む栄太郎。

 

「そ、そうか」


「ええ」


 どうしようもないわけがない。そう言いたい栄太郎だが、ここまであからさまに拒否されてしまっては、しつこく聞くことも出来ない。

 もし下手に聞き出そうとすれば、この関係が終わってしまうかもしれない。

 ならば、違う話題で話しかけようと、栄太郎が西原の方を向くと、更に一歩離れた位置に移動する西原。


 話しかけようとした栄太郎の口が止まる。

 拒絶にも似たその反応に、耐え切れず。


「その、今日さ……」


 がっくり項垂れる栄太郎に、西原が消え入りそうな声で話しかける。


「臭いかもしれないから……」


「俺が!?」


「私が!!」


 思わず自分のニオイを確かめようと、自分の袖をクンクンする栄太郎に、西原が素早くツッコミを入れる。

  

「そうか?」


「普段は制汗剤のスプレー持ち歩いてるんだけど、中身がなくなっちゃって」


 そう言って、西原はカバンの中から小さなスプレー缶を出し、噴射口を押してみるが「プシュッ」と気の抜けた音が鳴るだけで中身が出て来ない。

 暑くなり、自分の汗やにおいが気になる時期。


(もし栄太郎に臭いって言われたら、立ち直れない……)


 好きな人の前では特にである。

 大好きな幼馴染が自分と距離を取っていた理由を理解し、安堵から大きなため息を吐く栄太郎。

 別に臭わないけどと言いたいところだが、その為には近づいて臭いをかがなければならない。


 残念だが、栄太郎にそんな勇気はない。

 貞操が逆転した世界なのだから、女が男のニオイを嗅ぎに行けばセクハラになりかねないが、男が女のニオイを嗅ぎに行くのはそこまで問題視されない。

 だが、逆転した世界から来た栄太郎は、どうしても前の世界の固定観念が抜けきれない。

 まぁ、勇気を出したところで近づこうとすれば、近づいた分だけ西原は離れるし、走って逃げられれば相手は陸上部のエース。栄太郎では追い付けないだろう。


「それなら、俺が使ってるやつ貸そうか?」


「良いの?」


「別に良いよこれくらい。そうやって離れて歩かれる方が気になるし」


 渡そうと一歩近づこうとすると、一歩離れる西原。

 栄太郎は仕方なく、投げて渡す。


(しかし西原のニオイか。本人は臭いとか言ってるけど、例えそうだとしても嗅いでみたいかもしれない!)


 少々変態チックな思春期思考の栄太郎。

 もしかしたら、ちょっとくらい吹き残しがあるかもしれないと期待するが、オーバーキル気味に制汗剤を自分に吹きかける西原。

 念入りに吹きかけたかいもあって、栄太郎が期待した西原のニオイは完全に消え、今自分が付けてる制汗剤と同じ香りが鼻をくすぐる。

 少しだけ残念に思いつつも、やっといつもの距離に戻ってきた西原を見て、これで普段通り登校出来るのだから、まぁいいかと納得する。


(西原さんと島田君、同じ匂いがするんだけど……)


 この日、教室に着いた栄太郎と西原が普段よりも周りの注目を集めていたのは言うまでもない。

 同じ匂いをさせているのだから、当然である。


「あっ、おはよう。なんか島田君と西原さん、同じ匂いがしてるけど一緒の香水使ってるのかな?」


 そして注目を集める2人に、誰もが聞いてみたいが口に出せない地雷原で見事にタップダンスを始める大倉さん。


「京が制汗剤スプレー忘れたから、俺のを貸したんだ」


「あっ、制汗剤スプレーか、使った事ないから香水かと思った」 


 流石に香水とは匂いが全然違うだろと苦笑気味に答える栄太郎。

 フーンと何度も言いながら、西原に近づく大倉さん。

 栄太郎と西原が同じ匂いをさせてる事に、何か言いたげな様子。

 だが、何も言えない。2人が同じ匂いをさせてる事で生じる胸のモヤモヤが何か分からないので。


「興味あるなら使ってみるか?」


 そんな大倉さんの様子に、制汗剤スプレーにそんなに興味があるのかとのんきに考える栄太郎。

 カバンの中から制汗剤スプレーを取り出すと、大倉さんに手渡す。


「あっ、うん」


 栄太郎から受け取ると、胸元の隙間からスプレーを持った手を突っ込む大倉さん。


「えっ、おい」


「あっ、使い方間違ってた?」


「いや……なんでもない」


 貞操観念が逆転した世界なので、女子が胸元の隙間に手を突っ込み、制汗剤スプレーを吹きかけても誰も驚かない。

 むしろ、驚いた栄太郎に対し、皆が「なんで驚いているんだ?」と思うくらいである。

 逆に、同じ事を栄太郎がやれば、周りから黄色い声が湧くだろう。

 

「あっ、なんかスース―して気持ち良いかも」


「コンビニでも売ってて色々種類があるから、気に入ったなら帰りに買いに行くか?」


「あっ、そうだね。帰りに買っていこうかな」


 栄太郎と大倉さんが制汗剤スプレーの話で盛り上がるのを、少しだけ残念そうな顔で見守る西原。


(せっかく栄太郎とお揃いだったのに……)


 チャイムが鳴り、栄太郎は自分の教室に戻り、それぞれ授業が始まる。

 制汗剤スプレーにより、暑い中でも不快感をいくらか和らげた西原と大倉さん。

 しかし、せっかく不快感を和らげたというのに、授業に身が入らない2人。  


(栄太郎の匂いがする……)

(島田君の匂いがする……)


 自分の身体から、栄太郎のニオイがしてそれどころではないからである。

 問題はそれだけでは済まなかった。


 匂いがするたびに、西原と大倉さんの脳裏には栄太郎の胸元が浮かぶのだ。

 何故なら栄太郎が制汗剤のニオイを特にさせている時は、カッターシャツの胸元を開けている時なので。

 要はパブロフの犬である。


 もはや興奮して授業どころではない。

 いやはや、思春期である。


 お揃いの制汗剤にしようと考えていた西原と大倉さん。

 だが、あまりの刺激の強さに、栄太郎と同じ制汗剤を選ぶ事はなかった。


「栄太郎、制汗剤スプレー忘れたから借りて良い?」


「あっ、私も」


 時折、忘れたと口実を作り借りることはあるが。



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