第七話「存じております」
「それでは参りましょうか、旦那様」
「ああ……」
右腕にひんやりした感触がある。それは、リザに腕を取られていることの証だった。
逃がさないぞと言わんばかりの、痛くはないがいつでも拘束されそうな、絶妙な力で抑えられている。何かもう別の意味でドキドキしながら、駅前の銅像を横切って繁華街へ向かう。
「リザは、どこに行きたいんだ?」
「旦那様の行きたいところなら
一番困る回答がきた。普通は誘った側が主導権を持つんじゃないの? いや、デートプランを練るのは男であるべきなのか。知らんけど。
「じゃあ、ひとまず歩くか」
都会なら娯楽や遊ぶ場所には事欠かない。歩いているうちに何らかの良いアイデアが浮かぶだろう。
リザはフェルと違ってお淑やかというか、大和撫子然としているので、歩幅を俺に合わせてくれて大変歩きやすい。たぶん、本当だったら三歩後ろを歩いてくれるレベルだと思う。
身長差のせいでそれをされると、たぶん妻というより弟を見守るお姉さんみたいになるけど。
「なあ、何か食べたい物とかないか?」
「大丈夫です。こうして旦那様と共に歩めているだけで、わたくしは満腹ですので」
ぎゅっと腕にくっつく力を強めて、彼女は幸せそうに微笑んだ。
「遠慮しなくていいぜ。俺が、リザに何かあげたいんだ。色々お店はあるし、一個くらいあるだろ?」
「──フェルにも、そうしたのですか?」
「それは……」
「……すみません。不要な質問でしたね」
答えあぐねたのが、もう答えみたいなものだった。
思えば、場所も行動も、先日のデートをなぞってしまっている。
「悪い」と返すことしかできなくて、しばし気まずい時間が流れ、沈黙する。
「そうですね……」
辺りを見回したリザの視線がソフトクリームの看板に止まったことに気づいた。
「抹茶ソフトとミルクソフト一つ、お願いします」
「かしこまりましたー」
早い時間だからか空いていて、並ぶことなく注文し、すぐに品物を手にすることができた。
「はい」
抹茶ソフトをリザに手渡し、近くにあったベンチに座って食べ始める。濃厚な牛乳の味がして美味しい。
「ありがとうございます。覚えていて下さったのですね、わたくしが抹茶を好むのを」
「当たり前だろ? 相棒なんだから」
「旦那様……」
嬉しそうな顔をして、彼女は抹茶ソフトを食べ始めた。フェルなんかは大口を開けて一気に食べるものだけど、その点リザは流石というべきか、はむはむと丁寧に食べ進めている。
隣の芝生は青いというか、ソフトは緑というか、それを見ていると、何だか羨ましく見えてきて。
「ごめんリザ。そっち、一口貰ってもいい? 俺のもあげるから」
「よっ……! よろしゅうございますよ」
「なんだその返事」
珍しく動揺した様子の彼女を不思議に思いつつ、ソフトを交換する。
抹茶の落ち着く香り。あえて味を変えたけどこっちにしてもよかったな。
「抹茶美味いな、ありがとう」
「え、ええ。とんでもございませんわ」
抹茶を二口ほど貰って彼女を見ると、青い舌をチロチロと動かして、白いソフトを味わっていた。
さっきまではパクパク口にしていたのに、食べ方が違うのが気になる。食べすぎないように俺に遠慮しているのだろうか?
いや、というより、何だか大切に味わってるみたいな──
「ありがとうございました! お返し致しますわ!」
「お、おお」
訝しむような視線に気づいたのか、彼女は慌てた様子で抹茶を回収し、牛乳を渡してきた。しかし慌てていたのが悪かったのか、溶け始めていた先端が、びとっと俺のジーンズに落ちた。
「冷たっ」
「も、申し訳ございません!!」
慌てた様子のリザが懐から白いハンカチを取り出して、ゴシゴシとジーンズに生まれた白色の染みを拭う。
なんだか、絵面も相まって──いや、何も言うまい。
「ありがとう、もう大丈夫だから! ってか自分で出来るから!」
「すみませんでした、跡が残らないようあとで必ずお洗濯しますので……!」
諸々の処理を終え、彼女は深々と頭を下げていた。このまま土下座でもしそうな勢いだったので「いや、気にしなくていいよ。暑かったから丁度いいくらいだし。ほら、歩いてた方が乾くし何処か行こうぜ!」と、無理矢理彼女の手を引いて歩き始める。
「行きたいとこ、思い出したわ。付き合ってもらっていいか?」
「勿論でございます」
離さないように、指を絡める。しなやかな指の感触と、冷たい体温が、なんだか心地よかった。
「うおおおおーッ!」
「きゃーっ!」
飛んできた水飛沫に、思わず声を上げた。周りからもキャーキャーと、楽しげな声が聞こえる。
俺たちは、水族館に来ていた。
いま見ているのは名物のイルカショーである。本当は濡れない位置に座るかレインコートを着るべきなんだろうけど、普通に前列でジャンプの余波を浴びていた。びしょ濡れである。
「水も滴るいい男、ですね」
「滴りすぎかもしれないけどな」
濡れた前髪を掻き上げながら、俺は苦笑した。
濡れたら髪型終わるんだから、カッコイイはずなくない? それを経ても顔がいいからこその、「水も滴る〜」なのかもしれないが。
「……ありがとうございます」
「急にどうした」
「わたくしの、先程の失敗を消すために、わざわざ濡れる場所を選んで下さったんですよね?」
「ごめん、全然そんなこと考えてなかった」
シンプルに水族館に行きたかっただけである。クラゲとかイルカとかが見たかったのだ。
「ふふ、よいのです。旦那様の気遣い、わたくしにはよく分かっております」
「お、おう……」
「貴方のそんな優しさを、わたくしは──お慕い申し上げております」
濡れた髪が陽光に反射して、キラキラと輝いている。
曇りなき潤んだ瞳は、俺だけに向けられている。
それに少しだけ重圧と、罪悪感を感じてから「ありがとう」と声を絞り出した。
「よし、次はペンギンでも見ようぜ」
「ペンギン、いいですね! わたくし、彼らが好きなのです」
「歩いてる様子とか可愛くて、癒されるよな」
「ええ。よちよちと氷上を歩いているので、よく味わっておりました」
「
水族館の物には手を出さないで欲しいものだ、と苦笑する。
ペンギンを見て、泳ぐサメを眺め、お土産コーナーでぬいぐるみを撫でて。
そうやって楽しんでいると──リザの目が、あるもののまえで止まっているのがわかった。
「すいません、これお願いします」
それを持って、レジに向かった。会計を終えて、店内を出て、包装された袋から出して。
三歩後ろを付いてきていた彼女の、手を取る。
「はい、これ」
白い手首に、買ってきたモノを付ける。
チープな宝石が填められたブレスレット。旅行先のお土産物屋で見るような安物だったが、それ故に宝石は、海のように青く輝いていた。
「言っておくけど、俺、フェルだけを贔屓してたわけじゃないから。みんなも大切な相棒で、それで──」
「──存じております」
存じておりますとも。と、何かを噛み締めるように、彼女は続けた。
「本日は我儘を聞いてくださって、有難う御座いました。また──付き合ってくださいますか?」
「ああ。いつでも行こうぜ」
「はいっ──!」
手を繋いで、夕暮れの帰路を往く。
二人の体温が溶け合って、指先はすっかりぬるくなっていた。
*
こんな冷たい女を受け入れてくれた、優しくて温かい旦那様。
わたくしだけを見てほしい。
わたくしだけに触れていてほしいと。
貴方を困らせたくなくて、漏れかけたそんな独占欲を、心の内で凍らせた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます