第三章 24話「明日」
よく晴れた日だった。
窓を開けると、若葉を揺らす春風が頬に心地よく、医師に付き添われ院内を散歩する人達の姿が見える。
私は病院の個室にいた。
白いリノリウムの床は、髪の毛一本落ちていない程きれいに清掃され、ピカピカに磨かれていた。
私は白いカジュアルなトレーナーとジーンズ姿で病院のスリッパを履き、ベッドに座ってぼうっと外を見ていた。
ノックが聞こえ、ドアが開いた。
「由紀子…。調子はどうだい?」
母だった。
母は包みを手に、私の側に腰をかけると言った。
「ほら。お前の大好きなイチゴだよ。後で洗って来てあげるからお食べ」
「お母さん…」
母は細い腕で私を抱きしめた。
「よく、辛抱したね。明日からまた、少しだけど一緒に暮らせるよ…由紀子」
そこまで言うと、母は涙ぐみ目頭を押さえた。
「父さんも喜んでいるだろうよ…」
お父さん…?
ノックが聞こえ、再びドアが開いた。
白衣姿の女性が入って来た。
女医と思われる清潔感溢れる爽やかな美貌の中年女性だった。
彼女は母に丁寧に挨拶をすると、私が座っているベッドの前に椅子を出し座った。
「さあ、由紀子ちゃん。明日はいよいよ念願の2度目の仮退院ね。よく頑張ったじゃない」
彼女は職務を感じさせない親近感に溢れた口調で、私に話掛けた。
母が女医の手を取り、頭を下げて言った。
「本当に市川先生のおかげです。この子がここまで立ち直る事が出来たのは…」
「お母さん。由紀子ちゃんはだいぶ良くなってますよ。今回の仮退院で経過を見て良好ならば、完全退院できる日も遠くありませんのよ。お母さんも良く頑張って下さりましたわ」
母は市川女医の腕に縋って、嬉し泣きをしてた。
「あ、ありがとうございます先生…」
私は、ぼうっとしながら二人のやりとりをただ黙って見ていた。
「ただ、前日もご説明しました通り、あまり強い刺激は避けて、睡眠を充分に取らせるように心掛けてあげて下さい。それからお薬も日に3度、必ず服用させるようお願いします」
市川女医は、私の手を取り、まるで自分の妹にでも話かけるように親しみを込めて語りかけた。
「では、由紀子ちゃんに質問です。あなたは明日、仮退院してお母さんとお家に帰りますが、その次の日の朝からどうしますか?」
「お弁当を作る工場で働きます」
私はなんの感慨もなく答えた。
「そうですね。そこでみんなと一緒に仲良く働く事が出来たら、由紀子ちゃんの社会復帰第一歩は、まず、成功するのよ。そしたら私が院長先生に完全退院の話を進めてあげる。許可が降りたら予定より随分早く退院できるのよ。今の由紀子ちゃんなら大丈夫。先生もずっと応援しているから安心してね」
母は泣きながら何度も頷き、持参して来たイチゴを洗いに病室を出て行った。
市川女医は母が退室するのを見届けると私に向き合って言った。
「由紀子ちゃん。今もまだ、怖いお化けの幻を見る?」
少し間をおいて私は答えた。
「いいえ。先生。ちゃんとお薬を飲んでるから。もう見ません。大丈夫です」
私は自分の答えた声が、自分でも驚くぐらい平板な感情の起伏の上で発音されている事に気がついた。
長い間処方されている薬のせいかも知れなかった。
次の日の晴れた昼過ぎに、母が迎えに来た。
私は手を振る市川女医に見送られ、母と病院を後にした。
途中、振り返り、私が8年間通院していた16階建ての病院の佇まいを眺めた。
「松川総合心療内科」
私は8年間、この精神病院に入院していたのだ…。
病院から電車で乗り継ぎ、3駅目の駅で母と私は降りた。
「由紀子、スーパーに寄って行こうよ。お前の大好きなお刺身を買っていこう。今晩はお祝いだよ」
「うん。お母さん。アイスクリームも食べたい」
「先生から甘いものは、少しずつと言われたけど、まあ、いいわね。なにせ随分久しぶりなんだからねぇ」
母とスーパーで買い物をした。
買った物は、30%割引きシールの貼ったヒラメの刺身と、うどん、野菜、アイスクリームだった。
私は母と食事を済ませると、4畳半の自分の部屋に籠った。
机の上に父の遺灰がおいてある。
私はベッドの上で横になり天井を見ながら、あらためて自分の身の上を振り返っていた。
私は9年前に、殺人を犯していたのだ。
学生時代に付き合っていた浮気男をくだもの包丁で刺殺していたのだ。
初判決は有罪で懲役9年だったが、私の精神鑑定の結果、統合失調症の判定が下され、警察の付属病院である「松川総合心療内科」にいままで入院していたのだ。
今日は5年ぶりの仮退院の日だった。
父は私が人を殺したショックと、私が強制入院させられた心労が重なり、6年間に他界していた。
「お父さん…」
今は薬が効いててぼうっとしてるから…
でも、切れてきたらどうしよう…。
先生に言われた通り、絶対に薬を切らしてはダメだ。
とにかく今は寝よう。
明日の朝から私はお弁当工場で働くんだ…。
私は病院の規則と同じように早朝6時に目を覚ました。
清掃工事で働く母と一緒に早朝、家を出ると、私は途中まで母に付き添われ、近所にある食品工場に歩いて行った。
工場につくと、勝気そうな中年女が私を出迎えてくれた。
「松川先生の所から来たのは、あんた?」
「はい。津島由紀子です。よろしくお願いします」
「あ、そ。んじゃこっち来て着替えて。簡単なの教えるから」
作業着に着替えると私は厨房に案内され、彼女からおかずの盛り付けを教わった。
「少し、ボウッとしてる子だけど、あんまり刺激しちゃダメよ。松川病院から来た子だから。単純なのだけやらせるんだよ。いいね」
休憩時間にパートの年配者が周りに話しているのを聞いた。
「ほら、新人さん、お茶が入ったよ。こっち来てみんなと一緒に食べな」
私は呼ばれ、女性のパート仲間達と菓子パンとお茶をご馳走になった。
「ほらほら。口の周りにパンの食べカスが付いてるよ。女なんだからもっと気をつけなきゃ。ボウッとしてたら彼氏もできないよ」
中年女は笑って、私の口についていた菓子パンの食べカスを取ってくれた。
「はい…すみません」
そして、その日夕方まで同じ事をし、仕事が終わって帰ったら、母が晩御飯を作ってくれていた。
「ただいまお母さん。1日頑張れたよ」
「おかえり。よかったね」
「ひじきと椎茸の盛り付けばかりやってたの」
母は笑った。
そしてまた食事を母と二人で終えると、
私は部屋に籠ってベッドに横になった。
「そうだ。私は人殺しなんだ。私はもう終わったんだ。近いうち死のう」
ただ漠然とそう決めていた。
いつかは決めていないが、本当に自殺しようと思っていた。
でも、その決心でさえも何の感慨もなかった。
ふと、私は昼間の長時間労働のせいか急に甘いものが食べたくなって冷蔵庫に入っているアイスクリームを取りに台所に向かった。
母が茶の間でテレビを観ている。
「由紀子、ほら、来てみなさいよ。あの人達射殺されたみたいよ」
私はテレビを見た。
ニュース番組だった。
「昨日から都内にある大手M銀行に立て籠った犯人二人組は、両名とも一時間30分前に射殺され、人質15名は全員救出されました」
「銀行強盗か…」
私はたいして興味もなかった。
ニュースは続けた。
「では、こちらがその時の監視カメラ映像です。ご覧ください」
ライフルを持った二人組の男達がいた。彼らは人質を盾に銀行内のカウンターに隠れて、何かを叫んでいる。
バン!バン!パン!二人の男達はライフルを乱射しながら、何か叫んでいた。
「由紀子!騙されんな!」
え?
由紀子、騙されんな…?
一瞬、完全にそう聞こえた。
少なくとも私には…。
母は全く気付かなかったようだ。
何故、私の名前を彼らが叫ぶの?偶然だろうか…?
カットアップされた映像は、次に二人の男の遺体をモニターに出し、続けた。
「警視庁ライフル班によって射殺された犯人二人組の身元が判明しました。二人とも広域指定暴力団、新川組の幹部、桜井真一、砂岡勇の2名で、二人は覚醒剤購入の資金欲しさから、今回の犯行に及んだと見られています。二人は過去数回、覚醒剤の常用者として逮捕されている前科を持ち、警視庁がさらに詳しい犯行動機を調査中との事です…」
「由紀子!騙されんな…!」
テレビの実況録画から聞こえたその叫びがだけが、妙にいつまでも私の心に引っかかっていた。
私の1週間の仮退院は、そして社会復帰の実習観察は何事もなく平坦に終了し、私はまた「松川総合診療内科」の個室病棟に戻っていた。
病院に戻った最初の夜の事だった。
私は深夜に喉が渇き目が覚めた。ついでに安定剤を飲もうと水道の蛇口を捻った時に、ドア鍵の開錠音と共にギイッとドアが開いた。
白衣姿の市川女医が立っていた。
市川女医は無言で部屋に入って来ると微笑んで言った。
「あら。由紀子ちゃん。急にごめんなさいね」
「先生。こんな夜中に…どうしたんですか?」
「昼間、あなたの仮退院の感想を聞かせてもらったわね。でも、正直に言うととてもつまらない感想だった。先生そう思ったの」
「つまらないですか…。」
私はぼんやり答えた。
市川女医は微笑み言った。
「あなたには私が毎日、普通の人の3倍以上強い安定剤を出していたのよ。あなたは、それを私の言い付け通りに、この8年間毎日ちゃんと飲み続けた」
市川女医は私の髪を撫でた。
「本当にお馬鹿さんね。ぼんやりしていて何も考えられないでしょう?もうあなた終わってるのよ」
市川女医は落ちついた動きで、私の背後にまわり、後ろから抱きつき、ささやきながら私の胸を軽く触った。
「さ、行きましょう」
そう言うと、市川女医は私の手を取った。
「どこに行くんですか…?」
「屋上よ」
生暖かい風が吹いていた。
パジャマ姿の私は、言われるままに市川女医に腕を引かれて16階の屋上の手摺りの前に立っていた。
星も見えない夜空には遠い街の光だけが僅かに見え、遥か下には、街灯に照らされた駐車場に止まっている数台の職員の車だけが見えた。
「ほら、今日は特別に由紀子ちゃんの為に、ここの鉄格子を外しておいたのよ。ここから下を覗いてごらんなさい。ほら」
市川女医は私を鉄格子を外した場所に手を引いて連れて行った。
そこで彼女は、後ろから私の髪を掴み、熱く興奮した口調で耳元に囁きかけた。
「どう?怖い?」
「怖いです…」
市川女医は私に地上部を覗かせるように髪を掴むと、頭を下に向けさせた。
「また、おしっこむぐさないでね。お漏らしは死んでからするのよ。わかった?」
「はい…」
市川女医はさらに恍惚とした表情で、私を後ろから抱きしめ、今度ははっきりと胸を掴み上げながら、また耳元に唇を近づけて囁いた。
「由紀子ちゃんは、ずっと、あたしのオモチャだったの。その事さえもお前は覚えていない。本当にどうしようもなくゴミなのよ。わかっているの?お返事は?」
「はい…」
私はまた返事をした。
「よし、いい子。それじゃあ私の最後の診察を始めるわね。こんな場所に立ったまま先生の診察を受けられて幸せ?」
「はい…しあわせです」
私の感情に乏しい返事を聞くと、市川女医は白衣のポケットから、何かを取り出した。
それは銀色のペンライトだった。
市川女医はペンライトを両手で掴み、中心からカチッと接続部を捻り、スイッチを入れた。
しかし、ペンライトの先は光らずに、代わりに、ペンライトから奇妙な音声が聞こえ始めた。
それは人の唱える不気味な経文のような音声だった。
市川女医は、私の髪を掴みながら、その音の出るペンライトを私のこめかみに近づけた。
頭の中に、死ぬ間際の僧侶が、狂い、のたうちながら唱えているような、陰惨で奇怪な念仏声が入って来た。
めまいと吐き気を感じ始めた私は、目を閉じ、耳を塞いだ。
「耳なんか塞いでもダメ。ほら、ちゃんと目を開けなさい」
髪を掴んでいる市川女医は、乱暴に私の顔を自分に向けさせると、今度は片手で持っていたペンライトの基底部を親指でカチッとクリックした。
ペンライトのスイッチが入り、先端が光った。
それは眩しい緑色の光だった。
市川女医はそのペンライトの先から、ビームのように迸る緑色の光を、私の額に当てて言った。
「さあ、津島由紀子。お前は今、婚約者の松岡英一郎と、K別荘地に車で向かっているわね」
「はい…」
「お前はもうすぐ、英一郎と共にそのバイパス道で交通事故に遭う。その事故で英一郎は即死するが、お前は生き残る。100キロ以上もスピードを出した車がカードレールに激突したのに、助手席の搭乗者のお前だけ、どうして命拾いしたの?」
市川女医は私の髪を掴んだ手を、髪が千切れるばかりに乱暴に揺さぶった。
「答えなさい!衝突の瞬間、アレになったから?そうなの?」
「わ、わかりません。いたいです。先生ごめんなさい…」
どこか他人事のようにボウッとしていた私の頬に、知らぬ間に涙が流れていた。
「この薄バカ。何回同じ事を訊かせるの?」
市川女医は、いよいよ私を屋上の安全手摺りが撤去されたギリギリの際に立たせた。
私の履いていた片方のスリッパが足元から滑り、フワッと屋上から地上に落ちて行った。
「このゴミ。お前は人殺しなんだよ。死ぬ前に少しは、私の役に立とうとは思わないの?この恩知らず!」
市川女医は、憎悪とも嘲笑ともつかない表情で私の顔を見た。
「先生ごめんなさい…」
私はただ涙を流して謝っていた。
「謝って済むと思っているの?この、こ汚ない薄バカ」
市川女医は荒い溜息をつくと、私の顔を自分にグイッと向けさせた。
「やむを得ないわね…。ムカつくけど、また干渉するわよ。ほら、光を見なさい」
市川女医は、念仏の聞こえてくるペンライトの先端から迸る、強烈な緑色の光を、更に私の額に近づけ、眼前で人魂のようにユラユラと動かした。
「5秒後に、干渉するわよ」
原色の緑色一色に染められた視界の中で市川女医のその言葉を聞いた私の意識は、既に遠退き始めていた。
もう、死んでもいいと思っていた。
「そうよ。気持ちいいでしょう?私に感謝なさい」
市川女医は笑うと、私の下半身を手で弄って言った。
「あら?由紀子ちゃん。今日は珍しくおしっこむぐしてないのね。偉いわ。進歩したじゃない。でも、もう診察は終わりなの。またここから飛びなさい」
そう言うと市川女医は、手摺りのない16階の屋上の際に立たせた私の背中を、ドンッ!と突き飛ばした。
消え入りそうな細い悲鳴と共に、私の身体は地上の駐車場に停車していた乗用車の真上に落ちて行った。
数秒後、ガシャーン!という無慈悲で悲惨な音が深夜の駐車場に響き渡った。
私の身体は止まっていた車のフロントガラスを突き破り、車内に頭から真っ逆さまに突っ込んでいた。
深夜とはいえ、明らかに事故が起きたにもかかわらず、駐車場には誰も駆け付けなかった。
しばらく静寂が続いた後に、ただ一人、市川女医だけが、白衣の上着のポケットに片手をいれながら、ゆっくりと歩いて来る。
市川女医は、80年代の女性シンガーソングライターの有名なヒット曲を、鼻歌混じりに口ずさみながら、駐車場に歩いて来た。
彼女は直撃した乗用車のフロントガラスから、下半身だけだらんと曝け出し死んでいる私の死体を前にすると、微笑みながら言った。
「由紀子ちゃん。あなたも、よくよく使えない女ね。どうして我々に協力してくれなかったの?」
そう言うと市川女医は、今、病院から外に出る時、受付側の自販機で買った紙カップのコーヒーを口に運んだ。
そして、夜空を見上げ、フゥーッと安堵したような溜息をついた。
(美味しい?)
弾かれたように振り返った市川女医の手から紙カップが落ち、フロントガラスの破片が散乱するアスファルトの上に熱いコーヒーが溢れた。
「あ、あなたまさか…」
目を見開いた市川女医の顔が血の気を失った。
霊体の私は市川女医の後ろに立っていた。
(そういう事だったのね。市川先生)
市川女医は霊体の私の声を感知していた。
「お、お前…どうして…?」
その時だった。車の上に墜落死していた私の死体が、ビクッと跳ね上がり、車のボンネットから滑り落ちるように転がり落ちたが、その後、アスファルトの地面から目を瞑りながらゆっくりと起き上がりだした。
私の死体はゴーレムになっていた。
「く、来るな!」
その様子を見ていた市川女医はたじろぎ後退りしたが、すぐさま白衣のポケットから、例のペンライトを取り出した。
彼女はペンライトを握り、剣のように構え、素早く空間に弧を描くと、ペンライトの先端から細い緑色の光線が走った。
その細い緑色の光線は、ゴーレムの右腕を一瞬にして切断した。
(ゴーレム!!)
右肘の付け根から切断された彼女の腕は、切断された先から何処に消えてしまった。
美貌の市川女医が少女のように歓喜した。
「ご覧なさい。素晴らしいわ!あなたもう、不死身じゃないのよ。ほらあ!私の研究成果が出てるじゃない!アハハハハ」
しかし、右腕を切断されても目を瞑ったまま表情一つ変えないゴーレムは、
ゆっくりだが、あっという間に近付いて、市川女医の首を左腕一本で掴んでいた。
掴まれたショックで、市川女医はペンライトを落としてしまっていた。
「し、しまった…」
霊体の私は市川女医にテレパシーで、話かけた。
(市川さん。あなたのペンライトの先から出ていた緑色の光は、次元を操作する光線ね)
「…そ、そうよ。お前がバイパス道で交通事故を起こす数十秒前に、何度も我々が意図的な介入をしたわ。…そして今もお前は我々が作り出したループされた次元檻の中にいる」
(私は可哀想な、ぼんやり由紀子ちゃんじゃない。もうこの次元には飽きたわ。あなたを倒します)
「津島由紀子。あなた我々に勝てると本気で思っているの?」
(そんな事わからないわ。でも、一体何者なの?あまり品性らしいものを感じないけど)
市川女医は高らかに笑った。
「品性とな?これは面白い。そう。下等なお前達の時間に例えるなら、我々は1秒を一京分の一に圧縮した世界からやって来た」
(へェー。そう…。よくわからないけど。邪悪よね。あなた達って。悪魔より最低だし、もっとヤバいわ。で、何が目的なの?何故、私とゴーレムの状態に固執するの?あのルミちゃんっていう女の子もそうだったけど。何か調べているの?)
「まあ。ぼんやり由紀子ちゃんにしてはいい質問ね…?」
ゴーレムは片手で彼女の首を押さえていたが、締めるのは止めていた。
私とゴーレムは、この邪悪な存在達の真の目的を見極めてみたかった。
「どうせ死ぬお前に、シンプルに教えてあげる。我々は、ただの人間のお前がどうやってあの次元に於いて、身体とその周囲の分子構造を転換させているのかを知りたかったの。老婆と娘はエージェント1と2。つまり我々の調査員よ。お前の能力データを記録する為のね。ねぇ、何処でその力を見に付けたの?言いなさい。今なら間に合うわよ由紀子」
(知らないわ。どうしてこうなったのか、こっちが知りたいわ。だいたい、そんな事、私自身わからないんだから、他人のあなた達にわかるわけないじゃない)
「愚か者。だからお前はぼんやり由紀子って呼ばれるんだよ。それでは最後に教えてやる。「怨霊」は我々が人の集合無意識に直結している「次元の大陸棚」を破壊して発生させたんだ。あの基盤を破壊されると人は狂うんだよ。お前達は知らないだろうがね。あれを防ぐ技術は今の人類にはない。つまり我々は、それだけ全てに於いて人類より遥かに進化しているという事」
市川女医は続けた。
「お前達の事は、全て知っている。どうやって滅んでいくかもね。これからの人類は、我々の単なる栄養源になるのよ。光栄に思う事ね。ただ、その計画を完遂させる為にはお前のような突然変異の人間の研究が必要なの。今後そういった特異能力を持つ種をすべて人類から根絶させ、僅かでも抵抗できないようにね」
(あなた達と誰も闘えないようにするって事ね)
「闘う?笑わせないでよ。お前たちも屠殺場に送られる家畜の哀れな足掻きを闘いとは呼ばないでしょう?これは計画をスムーズにする為の処置に過ぎないわ」
市川女医は呆れ顔になった。
「お聞きなさいぼんやり由紀子。我々は既に勝利し、お前達人類は地獄で泣き狂いながら、我々の家畜となる。その未来は確定しているのよ。多少の誤差はあってもね。我々はその規定事実を、未来から過去に向けて逆になぞって来ているだけなのよ。言ってる意味わかる?」
(未来から過去に…?頭がおかしくなりそう。考えたくもないわ。原子力発電所の特効もあなた達の計画?)
「これよ」
市川女医はゴーレムに首を掴まれたまま、ポケットから何かを取り出した。
それは4センチぐらいの四角い小さな桐の箱だった。
それは小さな菊千代丸だった。
市川女医は、首が苦しくなって来たのか、やや喘ぎながらも虚勢を張るように笑った。
「こ、この次元ボットを次元操作光線で送り込んだのよ。任意の次元にね」
(こんなオモチャみたいなもので、日本新生会を操っていたの?)
「そうよ。だから人類を滅ぼすなんて簡単だって言ってるじゃない。菊千代丸の全てのテロ活動が百発百中なのは当たり前よね。全部決まっている事なんだから。端的に言えば、今人類が我々の視点に立れば対等だけど、お前達はまず、時間一つとってさえ、未だにそのように捉えられないでしょ?」
(でも、人類を滅ぼしてどうするの?あなた達だって栄養源がなくなったら困るでしょう)
「関係ない。我々にとって一つの種族の滅びの一瞬は、永遠の悦びなの。その一瞬の瞬間を吸う事ができれば、我々はさらに勢力を拡大できる。そうやって我々は幾つもの次元を吸収して来た。そして、由紀子。私はお前なんだよ。さあ、今から思い出しなさい」
市川女医はゴーレムの頭上に浮遊していた霊体の私の目を見て言った。
「今のお前とゴーレムは、私達の作ったこの亜次元にいるぼんやり由紀子のただの妄想なの。だからあまり調子に乗って、自意識持たないでねって事よ。聞いてるのぼんやり由紀子?」
そこまで聞くと、ゴーレムは左手で市川女医の首の骨を折っていた。
ゴキッと鈍い音とがして市川女医の身体は大きく痙攣し、白衣の下のスラックスから失禁した黒い滲みが広がって来た。
しかし、その失禁尿と思われる液体は彼女のハイヒールの足元から地面に滴ると、ジュワーーッ!と濃硫酸で焼くようにアスファルトの地面を溶かした。
やがて、ゴーレムに首を掴まれていた市川女医の身体は、ボンッと破裂し、周囲に、黄色い体液が飛び散った。
私は飛び散る体液に、思わず目を閉じ、顔を背けた。
目を開けると、ゴーレムが何か白く、動く長いものを握っている。
それは、人の腕の太さ程ある「回虫」だった。
1メートルを優に超える長さの巨大な回虫は、ゴーレムに掴まれ、ウネウネとしていたが、偶に踊り狂ったように激しく身体を動かしていた。
気持ちが悪かった。
回虫は激しく動き回ると、ゴーレムの手を擦り抜けて、ボタッと音を立てて地面へと落ちた。
周囲には、安物の車の芳香剤のような吐き気を催すケミカルな悪臭が立ち込めていた。
回虫は地面でのたうちながら、私にテレパシーで話かけて来た。
(津島由紀子。私のペンライトを返しなさい。どこにあるの?アレを返してくれれば、お前の悪いようにはしないわ。必要なら、望む現実をいくらでも作ってあげるわよ)
回虫ののたうちが激しくなり、悪臭はさらに濃度があがり、周囲に立ち込めた。
地面や車にビチッ!ビチッ!と長い身体をぶつけながらのたうち、回虫はテレパシーで語った。
(お前にはそこに住んで人類の滅亡を見物できる許可を与えてあげる。単なる妄想の一形態としてのお前が、我々に存在の意義を授かり、リアリティを増せるのよ。どう?素晴らしいと思わない?初めて本物になれるのよ)
私は、のたうつ回虫の姿に、既にペンライトの先端を向けていた。
ペンライトは霊体の私の手の中にあったのだ。
生きている人間の肉眼で見れば、ペンライトは宙に浮いているように見えたかもしれない。
親指で基底部のスイッチを押した。
回虫は原色緑色の光線に包まれ、のたうちながら発した、狂気じみた甲高い女の悲鳴と共に消えた。
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